梅内 美華子 作品



5度目の紹介です。 「あお」 2首です。
シキリ、シキリ



水飲むとかがむ男の背を越えてわれが逢いたき真っ青な空



箔となりひったり空に吸われたき蒼さ見ている春の泪目



「あお」は不思議。

本来、色を持もたない大気、色を持たない水。

なのに私達は空に「あお」、海に「あお」を見て幻惑される。

私達は「あお」に囲まれて生きる生き物。

だから、「あお」が好きなのは生命維持の基本なのかもしれない。





1首目



前に「見上げる」で書いたと思うのだけど、

私達は大人になって、ちょうどの高さに世界が展開するようになると、

わざわざ上を向くことがなくなるよね。

これはそれを痛感するウタ。

上を見上げればいつでも逢いたい空があるのに

それでも上を向かない。

でも、真正面に見つめる人のむこうに空があって、

その人がいなくなれば逢いたい空がある。

悲しいかな、私達はただ前しか見ないよね。



逢いたい真っ青な空。

それはミカコちゃんだけの空。

そして、

あたしが持つ、あたしだけ逢える青い空もある。



誰もが《この私の空》《逢いたい空》があるに違いないと思うの。

上を見れば逢えるかもしれないのに、

私達はただ前だけを見て

愚かしくも、千載一遇のチャンスを待ってるのかもしれないよね。





2首目



私達は3次元に「あお」を見ているから、

実際には 「箔となり〜」 ってわけにはいかないのだけれど、

そこには紛れもない蒼があって、

色あるがゆえになんとなく面をみてしまう…。



ま、そんなことはどうでもよくて、

あたしは春の泪目に思いをはせるの。

春風の運んだ小さなゴミの仕業か、

心騒がす大っ嫌いな春のせいなのか(あたしは春が大嫌い)、

それとも、全くの幸せからか…。

こぼれそうな泪のお蔭で上を向いたその面前に広がるのは

吸われたいような蒼い空。



泪をためながら、気持ちの寄り道をする気持ちはよくわかるんだよ。

悲しい心、いっぱいの胸の内をはぐらかすための

ほんの寄り道。

ミカコちゃんの耐えざる思いの寄り道先は

蒼だったのかなぁ?



あたしの泪の寄り道先。



きっと、寄り道するなら

あたしの「あお」

を選ぶと思うよ。



今回の作品  出典

みかづきさい
   1首目  1999年発行  「若月祭」  (梅内 美華子 第二歌集)
「植物的な」 より

2首目  2000年発行  「月鞠」創刊号 (同人誌)
「完全手洗い」 より