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梅内 美華子 作品





シキリ、シキリ


星明りとは言うけれど、
星自体が周りを明るく照らすというのはイメージじゃない。

黒い紙に、針で小さな穴を開けて電灯にかざすと
穴からポツポツと光が漏れてくる。

そんな感じで、光がこぼれ落ちてくる穴
っていうようなイメージの星たち。
うっかり覗きたくなるような
そして、盗み見てしまったような気分にさせる
光の点。

そして、そんな控えめなイメージの星たちは
私たちの住処である地球の仲間でもある。
私たちの言う物理学やら天文学やらに支配されて
何かを中心にグルグル回っている。
そして、わたしたちの目には儚く映るにもかかわらず
おおよそ、私たちの想像をはるかに越えて長生きで
荒涼とした世界を持っている。

あるものは、冷えた土くれの塊、
またあるものは、燃えながら、燃えながら
宇宙を奔っている。


  1首目

彗星を ほうき星 というのは、
その尾が空を掃いているみたいだからだそうだ。
それほど立派な尾を持つ彗星にお目にかかったことがないし
ほうきっていうものが日常にないから
うまく想像出来ない。

ほうきよりも眉の形の方が女の子には日常だ。
昔はゲジゲジした味のりみたいなマユゲが
もてはやされたのだけれど、それも一瞬。
今は細くてとんがったみたいな眉毛が流行。
男の子までも。

始まりが太くてゆっくりと細くなっていくマユゲ。
ほうき星の描いた眉はぽってりしていて
かわいい眉だったことだろうと思う。


さて、この眉、もうすぐまた地球にやってくるというのだけれど、
天文学的数字とはよく言ったもので
天文学の言う近未来は、人間的には遠未来だ。
近い将来1000年後、なんて平気で言うのだから
人間的には笑うしかない。


ミカコちゃんの見たほうき星が(近未来とは言うけど‥)
何十、いや何百年後にやってくるのかわからないけれど
その時にそのほうき星が描くものは
もはやほうきでも眉でもないかもしれない。
天文学的近未来では、一体何が日常なのか。

その時、もはや、ほうきは博物館行きかもしれない。
マユゲは○やら△をかたどっていて当然かもしれない(笑)。

それは、それでいいのだけれど、
何よりも強く思うのは
空を見上げた時にその尾を見ることが出来るだけの
澄んだ大気を保っていないかもしれないということだ。

天文学的近未来ではなく、
人間的近未来に、その結果が出てしまうのではないかと
きっと誰もが心のそこでため息をついている。
そのため息が形作るホウキ星が見えてくるような
そんな現在。


  2首目

昔から恋はあって、
道ばたでキスをしている人をこの頃よく目にするけれど
それだけじゃなくて、
見えないところで世界中のたくさんの人びとがキスをしている。
人間として誰が最初にキスしたのか知らないけれど
誰かがやってみて、
そして流行ってしまって
そこからこっち、たくさんのキスがある。

そんな歴史もわたしたちの歴史だ。


ガイア仮説というのがある。
簡単に言うと、星を一つの生命体とする考え方だ。
たとえば地球に住む全ての命は地球という
一つの命を支えているっていうような。

人間がたくさんの細胞という命のもとに
成り立っているように
星もそうだというのである。


さて、星は記憶をするのだろうか?


地球に当てはめてみる。
地球の記憶の一部は命の歴史を含む。
長い進化の結晶である生命の末裔は、まさに歴史の象徴。
記憶みたいなものだ。
星には色んな過酷な状況がある。
その状況状況において形状を変え、進化をし、
逞しく生きぬく生命は歴史の形、記憶と言える。

人の脳細胞が記憶を担っているように
星の上では私たちをはじめとした生命体が
記憶の象徴として存在する。

星の記憶である、生命。
その中に位置する人間は、キスをして、キスをして
今の歴史的形に落ち着いている。
数多ある営みのなかで
「くちづけ」
という一個だけをピックアップするのは変かもしれないけれど
罪がなくロマンティックだし
それに世代をつなげる行為も無理なく発想できるし、
いい表現だと思う。

わたしもいい歳で、友達が子供を持ったりしている。
そんな時、単純に、親になった友人は自分の親を思ったろう。
またその親を思ったろう。
命のつながりを、不思議な連帯感を持って受け止めたに違いない。

ある二人はくちづけをして
何処かでやはりくちづけをしている誰かを思ったろう。
また過去に恋に堕ち、くちづけをした誰かを知って
不思議な連帯感を抱いたろう。

  あなたもあたしも知らないけれど
  この世の中、過去も未来も全て、
  たくさんの恋、キスがあると思わない?
  今、目の前に通ったほうき星は
  過去のくちづけも今のあたしたちのくちづけも
  見たのかしら?
  そして、また巡り来る時に誰かのキスを見るのかしら?


短いスパンで消えていく命が遠い先祖や子孫の同じ感情を探して
星に問い掛ける。
生命の営みを問えるほどの長生きなものは
星ぐらいしかいないのである。

星はそんな命を抱えている。
小さな命には波乱万丈な一生を、単純な営みとして受け止め
その中で共通する、そう、例えば
「くちづけ」
のような行為の連なりを記憶のように懐に封じ込める。
そして、日々誕生する新しい命に
「くちづけ」
という記憶を埋め込む。

宇宙の一個の星が持つそんな記憶を
定期的に通りかかる彗星が面白そうに見る。



命はどれも似ている。
だから、わたしたちの命をつなげる細胞たちも
私たちという大きな生命の持つ記憶に
思いを馳せる事もあるのかもしれない。
そして、小さな細胞たちも
くちづけと呼べるようなロマンティックな営みを
行っているかもしれない。


シキリ、シキリ


今回の作品  出典

みかづきさい
  一首目  1999年発行  「若月祭」  (梅内 美華子 第二歌集)
みつばち  より


みかづきさい
  二首目  1999年発行  「若月祭」  (梅内 美華子 第二歌集)
植物的な  より