梅内 美華子 作品






人が人でいられるのは、人の中にいる時だけだ。
どんなに人間嫌いで人を避けて生きていても、お互いに
影響せずにはいられず、また、お互いの影響を受けずに
はいられない。


人として生きているということは、交信の連続だと言え
るかもしれない。

親切な行為、暴力的な仕打ち、笑顔、涙、どれもこれも、
何かを発信するものとして、人が発現するものだ。
どれもこれも、人の中に住んでこそ最大の効果を発揮す
ることができるものである。

こういった行為一切を止めて、周囲への交信を断絶する
ことすらも、一種の交信と言えよう。


私たち二足歩行の生物は、手を使い、大脳を巨大化させ
て、交信を始めた。

表情によって、言葉によって、また、文字によって。
そして、それは勢いを増しながら続いている。
私たちは四つの足を持つ生き物よりも、ずっと遠くの生
き物と交信できるようになった。そして、この地球上だ
けでは飽き足らず、広大な宇宙に向かってパラボラアン
テナを花のように開き、その花に何かがとまるのを待っ
ている。


未知の何かに向かって、無邪気に花を開く。
私達の誰もが、その花にとまるのは蝶か何かだと思って
いる。

しかし、それは予想に反して、大きくて凶暴なスズメバ
チかもしれない。

花を見つけられたら最後、私達も地球も、一瞬にして取っ
て食われ、壊滅するかもしれない。


でも、そんな危険も顧ずに未知の生命体との交信を夢見
る私達。

地球各地で花開くアンテナと何かの兆候を心待ちにする
科学者達。


そんなところが、案外、私達人間をよく現しているかも
しれない。



  一首目

携帯、PHS。
この10年ほどで、私たちの生活を随分と変えた道具。


私たちはプライベート、プライベートと言いながら、ど
んどんプライベートを無視した社会を築いている。

もはや、プライベートなんて幻想に思えてくる。
携帯や、PHSはその象徴。
便利で、同時にとても不便な道具だ。

そのデメリットをおしてもこれだけ普及したのは、私達
が交信する生き物、一人一人がパラボラアンテナ、交信
する花だからである。

決して、交信する魅力には対抗できないのだ。

携帯やPHSを使用してのメールは、絵文字などを用い
ながら、文章以上の何かを伝える。
遊び心、仲間意識、面と向かっては言えない気持ち。



見えない誰かに向かって、親指が何度も数字を叩く。
手慣れた人は、指先を見る必要もない。
親指がまるで、何か餌をついばむように、携帯電話の数
字を叩く。

機械的過ぎて、人の意思に反しているようにも見えてく
る。

低脳の原始生物が、きわめて巧みで俊敏な動きで餌を取
るように、人の親指がニョキニョキとうごめく。


それらは育つ。
拙い動きのものが、やがて成長して俊敏に動くようにな
る。難しいことも簡単にやってのけるようになる。
それらは増える。
多くの人の指を乗っ取って蠢く。



私たちは交信する生き物。
夕暮れの仕事帰りの電車の中でうつむき加減にメールを
打つ人々の群れ。手元に蠢く指もまた群れている。

その宿主たちの後頭部から、空に向けてパラボラアンテ
ナが花開くのが目に見えるようだ。


沢山の人々の中にある、伝えたい沢山のこと。
そして、誰かから、何かを伝えてもらいたいと願う気持
ち。
心待ちにするアンテナという花。


  二首目

睡眠は、人の体を休ませる。
そして、その間に私たちは夢を見る。
夢は記憶のフィクサー役で、本人も知らない方法で記憶
の整理をしてくれる ー なんて最近言われている。


私達は寝ている自分を知らない。
寝顔を決して見ることがなく、自分のいびきに悩まされ
ることもない。

時間は知らぬ間に飛び去り、寝言も覚えていない。

弛緩した寝顔の口元が微妙に動く時、私たちはその寝顔
の主が夢の中にいるのだと思う。

眠っている本人だけしか決して見ることのできない夢の
世界。
他者と分かち合うことのできない異質な体験に動
く口元。

まるで、この現実世界を超えて、何かと交信しているよ
うだ。


起きている間は外にアンテナを向けている私達も、寝て
いる時はそのアンテナを内に向けざるを得ない。

だから、寝ている間に得られる情報は、自分が生み出し
たものであるにすぎない。
夢の国は何処かにあるのではなく、自分の頭の中にある
のだ。

でも人は言う。

「死んだおばあちゃんが出てきて伝えてきた」

「白い蛇がでてきたからいい知らせだ」
「夢に見たから心配していたら○○さんが怪我をした」

夢で受け取ったメッセージはとても神秘的で、自分にダ
イレクトに届くものだから、ついつい人は自分宛てに何
か特別なギフトが送られたのだと考えがちだ。


それは当然かもしれない。
私たちは普段、どんなに交信しても他者と分かり合うの
は難しい。

だからといって、今度は自分のことを考えてみても、う
まく自分を掴むことができないのである。

それは、自分のことを考える時も、他者の目で自分を見
ざるを得ないからだ。


でも、夢の世界では私たちは自分の中で自分にアンテナ
をはれる。
自分の国に入り込み、素直にアンテナを開く
のだ。

その時、他ならぬ自分のためのメッセージを劇的に受け
取ることができるのは当然じゃないだろうか?



冒頭で、夢は記憶のフィクサー役らしいと書いたが、私
もそれがどういうことなのかはっきり判っている訳では
ない。

私自身が、自分の言葉で夢を語る時、よっぽど「夢の国
はどこかに繋がっている不思議な世界だ」と言う方が実
感を伴って言えると思う。


人間は宇宙みたいなものだ。
自分という宇宙も判らず、他者という宇宙も判らず、そ
の未知に向けてアンテナを広げる。

夢の世界は、アンテナの感度が一番強く働く、やはり現
世とは別の不思議な国なのかもしれない。


睡眠の中、私たちの意識は自分という宇宙へと飛び立つ。
科学で認識できる世界も超えて、様々な交信を繰り返す。



眠りの世界に開く個人のアンテナ。
人間が現実世界に科学で広げた交信のネットワーク。
毎日、私たちはそれを解釈し、誤解し、理屈を付け、時
に笑い、涙する。



短歌を発信する梅内美華子というアンテナ。
感想を文章にして発信する私というアンテナ。
それを読んでくれる、あなたというアンテナ。



今回の作品  出典

ほたろう
  一首目  2003年発行  「火太郎」  (梅内 美華子 第三歌集)
おかめ  より


ほたろう
  二首目  2003年発行  「火太郎」  (梅内 美華子 第三歌集)
除夜  より