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梅内 美華子 作品





シキリ、シキリ


不思議なこと。

私たちは道を歩くときに、上り道よりも下り道の方が好きだ。
勢いをつけてわっと走り抜けるとき、むしろ気分は爽快。
ジェットコースターなどでも、下り坂の角度、距離が争われ
より坂がきつく、距離の長いものを求めて列をなす。

だのに、自分の調子が悪いときに、それを下り坂に例える。
坂を転げるように‥というのは悪い表現なのだ。


坂道が1本あるとして、それは同時に上り道であり下り道である。
わたしたちは、重力に引かれてしまう。
まるで何かに操られているかのように、自然と下りてしまう。
買い物袋から落としたオレンジは、ころころと坂道をバラバラに
下っていく。
ゆっくりと慎重に降りようと伸ばした足は、思いがけなく駆け足に
変わる。

坂道は上ろうとするわたしたちの背中に、余計な荷物を背負わせた
ようにして、下り道を誘惑する。

誘惑された子供たちは、笑いながら坂道を何度も何度も駆け下りる。

重力。
それに理由は付けられるけれども、なんとも魔術的だ。


  1首目

石段を下る缶は、もちろん中身の空っぽな空き缶。
すっから缶だ。
段を一段下りるごとに、盛大に音をたてる。

  すっからかん
           すっからかん

そして、缶は次第にヘコミを作り、傷をつくる。
すっからかん と、己の空虚を叫びながら傷をつくり、道を下って
ゆく。
ちょっと勢いを付けてあげた空き缶は、まるで自分の自由意志の様に
石段を駆け下りて行っただろう。
やがて缶は下り道の最後まで行き着いて、動きを止める。
今までの動きは嘘のように消えてしまう。
盛大な音も、冬の空気に吸い込まれたようになり、あたりはしんと
静まり返る。

まるでその景色や静けさが思い浮かぶようだ。

冬の石段は、さぞひんやりとしていることだろう。
缶が下りる後をついていったあたしは、もちろんまだ石段を降りて
いる。白い息をはずませながら、缶を追いかけて早足に進む。

そしてなんだか急に寂しくなったかもしれない。
石段を下り終えた空き缶は、傷だらけになりじっと動かない。

先ほど、面白いように響いていた缶の音がむなしく思えてくる。

そして、自分はこの石段を下るときにやはり

   すっからかん

というのだろうかと思う。そして、空き缶の元まで、白い息を吐き
ながら、その石段を下る。




  2首目

今度は夏の印象。
海までの坂道を友人らと はしゃぎながら歩いている。
坂の上からは海が見える。
この道を下れば海だ。

その坂道が結構な坂道で警戒して歩いていると、友人の一人が
ふざけてあたしの背中をトンと押した。

歩く足に勢いがつく。
両腕を翼のように伸ばして、後ろの友人たちを置いてけぼりに
海に向かって一直線に走り出す。
子供が飛行機のつもりになるようにして、あたしも
「キーン」
などと言いながらどんどん走っていく。

海からの風は優しい向かい風。
下り坂を走り下るあたしの髪の毛は後ろにたなびく。
服も後ろに引きつれたようになる。

重力に加勢された速度と風のまやかし。
一瞬、下る魅力に魅せられる。

道を下り終わり、後ろを振り返ると、友人らがまだ坂道の半ばで
笑いながら手を振っている。
ちょっとした優越感。
海はもう目の前だ。





坂道が1本あるとして、それは同時に上り道であり下り道である。
その下り道の好対照2首より。


シキリ、シキリ


今回の作品  出典

みかづきさい
  一首目  1999年発行  「若月祭」  (梅内 美華子 第二歌集)
傘に雪  より


みかづきさい
  二首目  1999年発行  「若月祭」  (梅内 美華子 第二歌集)
さるびあ丸  より