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7度目の紹介です。 「とんぼ」 2首です。
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「悪いけど」を必ずつけて頼む君月草の瑠璃とんぼに喰わす
あかあきつ
抱きながら背骨を指に押すひとの赤蜻蛉かもしれないわれは
あたしがまだ青森県に住んでた頃のこと。 夏から秋にかけて、 たくさんのとんぼが空を行き交う光景は当たり前だった。 電線にはとんぼがびっしりと羽を休めていた。 お正月に、運勢を告げ終えたおみくじが木に結びつけてあるみたいに それはたくさんのとんぼが‥。 久しく、そんな光景をみていない。 由紀さおり姉妹が「赤とんぼ」の歌を歌うのを聞くと ジンとしたりする。 とんぼは日常から消えてしまった。 いつのまにかノスタルジーの代表みたいになって 当たり前にいる昆虫じゃなくなった。 気付いてみて愕然とするのだけど、それが現実なのだ。 Dragonfly 英語名では架空の動物を擁する。 どんどん、非現実に近づいていく虫、とんぼ。 一首目 イジワルな見方かもしれないけど「君」は悪いなんて思ってない。 悪いなぁって思うなら、そんなに頼まないはずでしょ。なのに 頼むときはいっつも「悪いけど」って言うなぁ なんて感想を抱かせるまでに、しょっちゅう頼んでるのだ。 でも、きっと憎めない人なんだろうなぁって思う。 あたしが小さい頃は、とんぼのエサなどと言って むらさきつゆくさの花(アオムラサキ色)を食べさせた。 実際、とんぼは蚊や羽虫などを食べるんだから 花は食べるはずがない。 捕まえられて、更に鼻先に花を押しつけられて しゃにむに噛み付いてるのが現実なのだろう。 それにだんだん気付く人がいる。 また、とんぼを捕まえてもすぐに離してしまい エサをあげようなどと思いもしないようになる人もいる。 最初から捕まえようと思わなくなる人もいる。 でも、「君」はその大多数の中には入らない。 いい年をして、まだとんぼを捕まえて瑠璃を食ませる人なのだ。 多分、「君」は少し皆とは違う。 あたしがとんぼに瑠璃を食べさせる「君」を思うとき 「君」ととんぼのいる空間が微妙に現実と乖離している光景が 思い浮かぶ。 そして、「君」がそこにいることが正しいことのように思う。 それは、あたし自身の現実逃避のなせるわざなのだろうか‥。 ちょっと大げさな感想だったかなぁ? とんぼと「君」を思いながら 「君」の頼みごとならあたしもついつい聞いてしまうだろうなぁ なんて悲しくなったりした。 2首目 まったく個人的な思い出があたしを包んだ。 この首は、あたしにある思い出を甦えらせた。 ここにはいつも勝手な感想文を書いてきたし 今回もそうしたい。 でも、共感は得られそうもないなぁ‥。 あたしにはちょっと幻覚症状の激しい友人がいた。 その友人は、何故かあたしを好きになってしまった。 彼もあたしも、それが彼の中の「ごっこ」だとわかっていた。 彼にはそれが必要だったのだ。 彼はあたしに幻覚を綴ったはがきをくれた。 「ベットの下にたくさんの赤とんぼが飛んでいます」 文章はそれだけ。 その他には、整然と並んだ赤とんぼの群れが描いてあった。 あたしはちょっと涙が出た。 最近、赤とんぼは幻覚じゃなかったんだなぁと 思うようになった。 秋に現れる赤とんぼ。 夕暮れの赤とんぼ。 ベットに横たわって物思いに眠れない夜の淋しい心の内と、 胸のザワザワなる感じを たくさんの赤とんぼに託したのだなぁと思うようになった。 心の弱い、繊細な人らしい手紙だったのだ。 あたしは、彼のたくさんの手紙に返事も出さず とうとう消息もわからなくなった。 彼を思い出すとき、今度はわたしの周辺を赤とんぼが飛び交う。 ミカコちゃんもきっと誰かの胸騒ぎの元であったのだろう。 そして、逆もまた真なりだったのではないだろうか。 あたしの中で、どんどん現実離れしていくトンボという生き物。
今回の作品 出典
ゼブラ・ゾーン
1首目 1994年発行 「横断歩道」 (梅内 美華子歌集)
「月の草」 より
みかづきさい
2首目 1999年発行 「若月祭」 (梅内 美華子 第二歌集)
「テストステロン」 より