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梅内 美華子 作品





シキリ、シキリ


私たちは宇宙の住民。
日々それを意識することはないのだけれど。


太陽が沈んだ後に大気を透かして見える空、宇宙空間。
人類は地球の衛星である月に到達しただけに過ぎず、
その先の全ては想像で語るしかない。
数字が創造した宇宙、
理論が創造した宇宙を‥。


誰も何も知らない間に、
誰かの脳みそが生み出した
その仲間が誰も否定できないだけの理論で
宇宙が語られている間に
私たちも想像しよう。
紛れもなく私たちを生み出した空間である
宇宙の不可思議さを。
そして存在の不可思議さに頭を悩ませよう。

そこから生まれる疑問も
宇宙が生み出したちっぽけな人間が更に生み出した
小さな疑問に過ぎないのだということを
噛みしめながら‥。


  1首目

夜と昼とで宇宙空間に接する部分が
狭まるわけではないのだけれど
夜空が視覚に訴えるために
夜は一気に宇宙につながるように感じる。

さて、私たちは命と言われる現象を持つ有機体である。

銀河系は宇宙の中心からは外れていて
本当に宇宙の隅の方にあるのだそうだが、
この命という現象が、
更に宇宙での隅っこ感をあおる。
一つ一つの自己憐憫だとか孤独とか言われる感情が
命という共通感情を持つ人類全体に伝播して
地球を孤独な星に仕立て上げてしまうのだ。

実際のところ、孤独な星なのかどうかは誰も知らない。


この句を読んで、一瞬、仲良し男女の夜とか
考えたのだけれど
それではつまらないなぁと思って
もっと神秘的に考えてみることにした。


最初に宇宙旅行をしたガガーリンが
「地球は青かった」とも言ったけど
「宇宙に神はいなかった」とも言ったそうで
当時のキリスト教徒の人々は
えらくがっかりしたのだそうだ。
宇宙旅行をしつつ、神が目に見えなかったことに
がっかりする地球人っていうのがなんだか可愛らしい。

「‥という声す‥」
という部分を読んだ時にはそのエピソードを思い出した。

宇宙を見ても神は見えないかもしれない。
でも宇宙の意思が持つ声は聞こえるのではないか?

その声は耳で聞こえる声ではない。
命に響く声。
遺伝子に響く声‥。

宇宙空間の持つ意思が
命という現象をもつ有機体の新たな形が出来る時に
有機体の胸部に落書きをしたくなったのだ。
その胸は、肉体的な胸なのか
それとも、
力なくして人を動かす心の中身のことなのか。

私たちの心に何かが生まれる時
それは宇宙の何かが落書きした賜物なのかもしれない。



  2首目

宇宙漂流の安らぎって言う言葉が哀しくて
泣けてくる。

SF小説の世界であれば
宇宙放浪の旅とかコールドスリープ中の宇宙船の営みとか。

私の中ではどちらかというと
コールドスリープと宇宙船の営みってイメジの方が強い。
それは孤独なものであるけれども
冬眠中であるがために
心持は平坦なはずだ。
普通の睡眠と違って
夢も見ないものなもかも知れない。
それを安らぎと言ってしまうのは
あまりに人という生き物は哀しいではないか。


しかし、その小説イメジばかりが宇宙漂流ではない。
実際、私たちは宇宙漂流中といえる。
宇宙船地球号という懐かしい言い回しを思い出す。

私たちは地球の中を日々動き回っている。
その地球が更に自転し、
自転しながら太陽の周りもまわっている。
その上、太陽は銀河系の何かを軸に回っているだろうし
銀河系はまた、何かを軸に回っているだろう。
そしてそれもまた何かを軸に回っているに違いない。

地球は他の星星と同じように、恐ろしく早い速度で
宇宙空間を移動し続けている。
その軌道は複雑極まりない。
私たちがその行き先を知らない以上は
漂流としかいいようがない。
私たちの命の長さでは
その巡り全てに立ち会うことは不可能なのだから。

そして、私たち命という現象一個一個も
自分の行き先を知らない。
あぁしたい、こうしたいという望みや希望を
携えながら
でも誰もその行き先を知らずに日々を送っている。
それを漂流と言ってしまうのは
命に失礼なような気もするけれど。


遠くに眠る誰かの眠り
何も生み出さない深い眠りを安らぎといい、
その安らぎを宇宙漂流の安らぎという。

私たちは誰も行き先を知らない宇宙の波に乗り
そして人生の道を歩んでいる。
それら全ては、私たち命に落書きのできる
何かの意思に優しく見守られ、許されている。
そのスケールは誰も想像する事ができない。


眠りのもたらす心の平安とい名の安らぎは
私たちという現象を得て満足する宇宙の安らぎに
シンクロしているのかもしれない。
私たちという命のつながりが続けていく長い宇宙漂流と
それを見守り続ける宇宙の意思。
その優しさと安らかさが
私たちの夢のない眠りに滑り込んできて
時に無邪気な寝顔となって現れるのかもしれない。


その一方で、
私たちは宇宙のくれた命という現象と格闘し、
身をよじりながら日々を暮らしているのだから
おかしなものだ。



シキリ、シキリ


今回の作品  出典

みかづきさい
  一首目  1999年発行  「若月祭」  (梅内 美華子 第二歌集)
サマータイム  より


みかづきさい
  二首目  1999年発行  「若月祭」  (梅内 美華子 第二歌集)
宇宙漂流  より