梅内 美華子 作品



9度目の紹介です。 「 馬 」 2首です。

シキリ、シキリ



かおりもて鉄路の奥より夜きたる青信号は馬の目の色



夜は大きな青馬なれば浅葱色の目をうるませて鉄路を渡る



田舎にいる間、あたしにとって馬は身近だった。

小学校に通う通り道には、何の役に立つのか2頭ばかりの馬がいた。

サラブレットではなくて、でも食用でもなさそうな

貧相で汚い感じの馬だった。

栗色で、額には白い星のような模様があった。

学校への道すがら、

よくあたしはそこいら辺の草をちぎって馬に食べさせた。

馬はおとなしく はむはむ とあたしの手から草を食べた。

いつでもとてもおとなしく、

目はうるんでいて悲しそうだった。

優しそうで、賢そうで、悲しそうで、大きい生き物。

柵の中をくるくるまわる栗色の馬。

それがわたしの知ってる馬だ。



青馬。

馬なら黒と言う。

青く光るみたいな黒い馬に憧れる。

漆黒の馬を実際に見たことはない。

まるであこがれるように青光りする黒い馬を思う。

たてがみとその尾をたなびかせて奔走する漆黒の馬を思う。



栗色で額に白い星がある

のっそりと優しくて、悲しそうな

わたしの知ってる馬とは別の生き物みたいに

青馬を思う。



実際、毛色の違いが馬そのものの違いにはならないだろうが

私の中で黒い馬と栗色の馬は別だ。

見たことの無いものに憧れをかぶせているのだ。

このまま、憧れのまま、

黒く青く輝く馬にはあたしの中で猛々しく駆けていてもらおう。



さて



2首とも



この2首は同じ情景をよんだものだろう。

そしてこの青馬は

あたしの青馬とは違って

シャガールの絵みたいに優しい綺麗な目をした青馬だ。





わたしは踏み切り待ちをしている。



夕暮れ時。

風が出てくる。

夕暮れ時独特の、不思議な匂いのする風が出てくる。



そしてふと気がつく。

踏切を渡るわたしの向こうには夜が訪れて

空が群青に染まっている。

だのに、ふと踏み切りから振り返って後ろを見てみると

まだ夜に染まり切らない夕焼け色の空があるのだと。



やがて信号は赤から青に変わる。



踏切を渡り始める。

線路の上で立ち止まり、ぼんやりと線路の行く先を追ってみる。

道がカーブしてない限りまっすぐ続く鉄の道。

電車が走り去った後、

からっぽになった線路の上には空がある。

時間を告げて色を変える空があるのだ。

今、線路の上に見える空は、夜と夕暮れのグラデーション。

太陽の色を夜の色が覆い隠そうとしている。



そして思う。

信号が青になり、人々が行き交うのと同じように

夜も踏み切りの向こうに渡っていくのだと。



夜は青い馬。

信号機の光のような薄緑の丸い目をした

夜色の馬が踏み切りを渡る。

やがて、夕暮れの空をゆっくりと覆い隠す。

大きくて、目が丸くて薄く光る緑色で

のっそりと空を覆っていくと思うのだ。



わたしが来た踏み切りの向こう、まだ明るい空のはるか彼方まで

馬はゆっくりと進んで夜を運ぶ。





わたしの青い馬にくらべて

この馬はロマンティックだ。

信号の青い丸い光の目をした

空を覆うゆったりした馬。

シャガールの絵みたいなふんわりした馬。





夜の色は闇、黒。

だのに、不思議にもこの首をよんであたしが思い浮かべた

夜の使者、青馬の目は

小学校の頃に草を食べさせた栗色の馬の目と一緒だった。

だからイメージもやさしくなった。

うるんだ大きい目。

狭い柵の中をくるくる周ってた

大きいからだの

優しく、賢そうな、悲しい目。

空を覆う夜色の馬は

私の中でそんな目をしている。



あたしは夜の空が好きで

夜を好きで

でも夜に悲しくなったりするからだろうか。



いや、それよりも何よりも

あたしにとって

栗色の額に白い星のある馬がそうであるのと同じように

夜が現実味を帯びているからかもしれない。

もし、あたしが夜を知らなければ

夜に憧れたろう。

そして

夜を運ぶ青馬は

あたしの憧れる青く輝く漆黒の馬だったろう。

不気味に緑に輝く眼を持って

空の彼方に駆けて行ったろう。





しかし今、私の中で

夜の青馬は

悲しい優しい目で空を渡っていく。





今回の作品  出典

ゼブラ・ゾーン
二首とも 1994年発行  「横断歩道」 (梅内 美華子第一歌集) 
青馬  より