WGJ13「最後のサムライ−西南戦争−」リプレイ

「唯今戦争はじめ候」




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西南戦争

薩軍照会書

熊本鎮台司令官谷干城に宛てた照会書である。大意は「政府に聞きたいことがあるねん。兵隊ゾロゾロ連れて通るで。並んで待っとけよ」、関西弁意訳になってしまったがそんなところだろう。ずいぶんと高慢で挑発的な文面であるが、これは西郷が鹿児島県令大山綱良に依頼して出したもので、文面を知った西郷は取り消しを求めたという。

ただ大山県令のまったくの作文というわけではなく、尋問云々は西郷らから県令に出された率兵上京の届出書と同意であるし、整列の部分は、陸軍大将は鎮台兵を指揮できるとか熊本鎮台参謀長で薩摩出身の樺山資紀が寝返るだろうという会話が西郷と大山県令の間であったらしく、それを受けての文面と思われる。

この照会書の取り消しは間に合わず、二月十九日樺山参謀長の許に届けられる。「いかに西郷大将であっても、非職の一私人が、大兵を引率して、鎮台下を通過することは、断じてなり申さぬ」という回答だったという。ごもっとも。

もちろんこれが乱の原因というわけではない。原因は明治六年の西郷下野、明治七年の佐賀の乱、明治九年廃刀令、家禄処分という流れの中で生じていった。ただ、後戻りできない事態になったのは、この日から二十日ほど前の一月二十九日の薩摩方による火薬庫襲撃事件だと考える。政府による弾薬運び出しに反応して、一部の者がそれを防ごうと起こしたことであるが、数日間で千人以上が参加してしまう大暴動となった。これを法規に従って収めようとすれば薩摩方から犯罪者を出さなければならない。それはこのときの薩摩方では不可能であるし、誰もそうすべきとは考えなかった。ただ「しまった」「事ここに極まれり」と言うしかなかったのだろう。

ついでニ月五日、大警視川路利良に視察(薩摩方から見ればスパイ)を命じられて鹿児島入りしていた中原少警部らが薩摩方に捕えられ、拷問の末西郷隆盛の暗殺計画を自供する。(中原少警部は後に強要されたものとして自供内容を否定する。)これに激昂した薩摩方は結局この事件を名分に決起する。照会書冒頭の「政府への尋問の廉有之」というのはこの暗殺計画を指している。

この名分は鹿児島県内や西郷好きの人々の間では正義、大義になったが、それ以外では弱かったようである。共に戦うことになる熊本士族による熊本隊でも、その決起趣意書は「(西郷の挙兵は)未だその旨の如何とするを知らず」と前置いて書かれている。熊本隊などの党薩諸隊は薩軍の目的は理解できないままに、自分たちにとって最大の好機として決起したようである。

「政府への尋問」という名分は薩軍の行動も規制したのかもしれない。作戦らしいものもなく堂々と熊本まで行軍したのは、義は薩軍側にあり非は政府にあるという主張を表すものだったのだろうか。現代人の立場と目から見た評価は難しいところがあるが、この名分を勝利条件にしたシミュレーションゲームは作れないだろう、と現代のゲーマーから見て思う。


征討令

西郷の照会書が熊本鎮台に届けられたニ月十九日に発せられた「賊徒征討の令」である。(もちろん、このとき初めて戦闘準備が命令されたわけではなく、一月二十八日あたりから警戒と準備の命令は出ていた。)この「征討令」は電信によって同日朝のうちに熊本鎮台に達したようである。熊本鎮台は「征討令」と西郷の「照会書」を続けて受け取ったわけである。さらに同日昼前、熊本城天守閣が炎上、市街も消失する。失火、自焼、放火いずれとも分からないという。殺気立った一日だったろうなと想像する。

ともあれ「征討令」により薩軍は賊軍と規定される。二月二十五日の西郷らの官位剥奪、二十八日の総督の訓諭でも薩軍が賊軍であることは強調された。義は官軍側にあるのだ、これが「くそ鎮」と馬鹿にされていた徴兵鎮台兵の士気を支えたとも言える。考えてみよう。たとえば一方のプレイヤーサイドを「賊軍」と呼称するゲームをプレイする気が起きるであろうか。(「海賊」の場合は結構やる気になる不思議。)名分、正義というものは戦意を支える上で重要なものなのだろう。

二月二十日の最初の小競り合いの後、二十一日の朝から薩軍が熊本城下に進入し政府軍がそれを攻撃する。熊本鎮台は政府に打電した。

「唯今戦争はじめ候。大砲しきりに放つ」


うひー。真面目な文章はこれで終りでございます。知ったかぶりはもう限界。

『西南戦争 西郷隆盛と日本最後の内戦』(小川原正道 中公新書 2007)などを参考に、ほぼ引き写しで書かせていただきました。間違いがありましたら、ごめんなさい。




ウォーゲーム日本史「最後のサムライ−西南戦争−」


ウォーゲーム日本史の第13号、『最後のサムライ−西南戦争−』はこの西南の役の軍事的展開を戦場となった九州全体を表す盤面に再現することを試みたゲームです。(この説明でいいのかは自信はありません。あしからず。)

ルールについてはルール本体を見ていただくのが一番早い(当たり前だ)のですが、概略一部だけ説明します。

解釈間違いがあれば・・・、笑っていただくしかありませんね。

自作モジュール画像

概略

『最後のサムライ−西南戦争−』では、双方のプレイヤーに配られている手札(カード)を交互に自分の手番(例外有り)に使う(場に出す)ことによって、駒(ゲーム界の慣例でユニットと呼びます)を移動させたり、攻撃させたりすることができます。その移動や戦闘によってマップ上に示されている重要スペースの支配を目指します。支配している重要スペースの数が少ない方が、少ない分士気を下げ、士気が0になれば敗北します。

カード

カードにはイベント内容と作戦値が記されています。カードを使用するときには、イベントを実行するか作戦値を使うかを選択することになります。他にもカードを伏せたまま場に出して「1作戦値として使用する」「購入コストの+1追加」として使用することができます。

作戦値と活性化

作戦値1ポイントで、1スペースを活性化するか、戦略移動のために1ユニットを活性化させることができます。

活性化というのはユニットを行動できる状態にすることで、イメージとしては命令を出してそれについていろいろ手配りする感じと捉えていただければ、外れてないと思います、よ。

1スペースの活性化は、攻撃のためか移動のためかを決めておきます。攻撃活性化したスペースには移動して入ることはできません。活性化の指定が終われば、移動、攻撃の順に解決していきます。

戦闘

攻撃は街道でつながったスペースに対して実行できます。(上陸戦闘など例外あり。)攻撃は双方が判定し相手に与える損害を決定します。損害の少ないほうが負けで、後退することになります。各ユニットには耐久力が決められており、耐久力以上の損害で戦力減少(ステップロスといいます)します。戦闘の勝敗とステップロスの多寡は別になることになります。

例えば、耐久力1の側が2損害を叩き出した(記事中ではこれを2ヒットと表現するときがあります)とします。相手が耐久力3の場合、ステップロスは与えられません。一方で耐久力3の側の攻撃が1ヒットだったとすれば、耐久力1の側はステップロスします。しかし戦闘自体は2ヒット対1ヒットで耐久力1の側の勝ちとなります。

これであってる、のかな?と、とりあえず今回はこの解釈でプレイに臨みます。

勝敗の決定

両軍は当初、それぞれ6点の士気値を持っています。重要スペースの支配数の差によってこの士気値が減少していき、0になれば敗北します。逆に勝利するには相手の士気値を0にすれば良いということになります。士気値はカードのイベントでしか回復しません。支配数が多くても士気が上がるわけではないのです。

薩軍の初期支配スペースは鹿児島だけ。鹿児島は重要スペース2つ分と考えるので、要は2点。対する政府軍は初期で7ヶ所、7点。この状態だと毎ターン5点ずつ薩軍の士気が下がります。しかし、セットアップ時の移動で確保できる重要スペースが2つありますので実質薩軍4点、政府軍7点からゲーム開始となります。

重要スペースの熊本は、鹿児島から近く、不利な修正も付かないので順当にいけば1ターン目に薩軍が占領できます。これで、5点対6点となります。しかしこのままでは、毎ターン薩軍の士気値が1ずつ下がり、6ターン後には敗北してしまうのです。薩軍はどうしても攻勢に出なければならないというわけです。


対戦



第一回戦

薩軍 政府軍
筆者シロクマ
最初のゲームは「連合艦隊」
kervel氏に「攻めダルマ」とか呼ばれた。
そんなことはない。ダイス運悪し。
kervel氏
最初のゲームは「砂漠の狐」?
ダイス運の良い慎重派。もったいない。


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第二回戦

薩軍 政府軍
筆者シロクマ
もう「桐野利秋」なんて信じない。
「強襲上陸」も信じない。
kervel氏
「黒田清隆」は必ず購入。
4ステップが大好き。


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第三回戦

薩軍 政府軍
kervel氏
2連勝中。好調は続くか。
筆者シロクマ
田原坂を越えてくるがいい。
作戦値が多いのがうれしいな。


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次回の予定



三回対戦して全敗しました。悔しい。三戦全勝したkervel氏がおなかいっぱいらしく、「最後のサムライ」は一時中断となります。次は同テーマを続けてみようということで、季刊TACTICSの「激闘!田原坂」をやってみます。以前kervel氏にボロ負けして、ゲームが悪いんだいとか言った記憶がありますが・・・。連敗を止められるんだろうか。

読み苦しい文章にはご容赦を頂きたくお願い致します。そして最後までお読みくださいました方に感謝を。

では、従軍兵士の手記から一言、「全く戦相終わり候」。





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平成24年4月15日
平成28年6月29日一部訂正