あおばと通信 第25号 1999年4月1日発行 
 







 

第 25 号
1999.4.1
編集発行人:松 夫佐江
毎年4.7.10.1月発行
年間購読料:1,000円
振替口座:
02080−0−34687
発行所 〒894-0041名瀬市朝仁新町39−11電話(FAX)0997−52−5172

■関西阿権会「敬老歳の祝、新年会開催」
 
 関西阿権会では、平成11年1月17日、大阪市旭区の神徳会館で「敬老歳の祝い新年会」を開催しました。会員60名が出席して、にぎやかで、華やかな新年の集いとなりました。
 歳の祝いは、松千代子様(喜寿)77歳の年の祝いと、敬老者としては、吉岡トミ子様、茂林秀市様の、両名のご長寿を喜びお祝いしました。会は吉岡幸男会長の、あいさつを皮切りに、顧問並びに相談役の祝辞、乾杯「御前風」と進んで、婦人部の踊りや、カラオケで盛り上がり、最後は口説の総踊りとなりました。
 茂岡会長のあいさつでは、阿権での合同歳の祝いの状況や、シマの近況などが報告され、更に阿権校区民一同様から、関西阿権会に対して贈られた、感謝状の披露がありました。
 料理は、江藤洋子婦人部長並びに、婦人部有志の皆さんの手料理が盛り付けられ、島の焼酎、祝いの角樽で祝杯を重ねました。
 宴たけなわとなったところで、芸能人のような若い美男子が紹介された。誰だろうと皆が注目すると、本年の年頭に全国高校ラグビー大会で優勝した、啓光学園高校(大阪枚方 市)の選手で、フォワードを守っていた「富善司郎さん」17歳でした。彼は阿権の富和雄さんの長男で、啓光学園ラグビー部のレギュラー選手として活躍しており、現在2年ですので、将来が楽しみな阿権二世です。(関連記事あり)
 宴は4時間に及びましたが、島のことや関西犬田布校区会の、運動会開催担当となっていることなどで、話しが弾み時の経つのを忘れる程でした。
(情報提供 星村博通氏) 

■阿権内県道
 
(1999/3/8)提供 美島助市氏
  

■我きゃシマ(阿権)は「合同歳の祝い」で盛大に新年を祝う
 
 
 恒例となっいる、合同歳の祝いは正月元旦に、会場の阿権小学校体育館を、シマから、ヤマトからの、大勢の参加者で埋めつくしにぎわった。
 総合司会を、内山義則氏が担当、はじめに1月1日の歌(年の初めの歌)を合唱、美島助市氏(公民館長)が挨拶、来賓祝辞を、美島盛秀氏(町議)田代伊津子氏(阿権小学校長)中島洋一氏(町議)が、祝いのあいさつをした。
 感謝状の贈呈は、阿権小学校長より、児童の情報教育と、人材育成のためにと、長い間図書購入基金を送り続けた、阿権校友会(代表世話人の松田清氏)と、阿権校区民一同より、関西阿権会(顧問の茂岡正吾氏)に、それぞれ感謝状が贈られた。
 祝宴は、磯村高一氏(踊り)常山武二郎氏(太鼓)隈野信行氏(三味線)の祝唄、御前風で始まり、祝のムードが華やかに繰り広げられた。
 益利夫氏の、乾杯のあいさつで盛り上がり、平富子さん(85歳)からは、年の祝の皆さんに花束が贈られた。
 余興では、小中学校のこども達の、唄や踊り、三味線などに、シマ唄、カラオケ、民謡日本一の、松山京子さんも出場してにぎわった。
 余興の合間に、シマで祝の時には、つきものである「トリカワシ」の時間が用意されていたが、久々に逢うなつかしい「ハロジ」達や、友との再会で、祝の酒を酌み交わす時間は、余りにもみじか過ぎ、急かれるまま、名残り惜しそうに、次の人に席を譲っているようだった。
 婦人会の踊りは、輪になって、身振り手振りしなやかに、とても楽しく、六調で、宴は最高調、終わりは、太田光栄氏の音頭で、万才三唱、閉会となる。
 
◎反省会
 1月4日に、公民館で「合同歳の祝い」の、反省会が行われた。
 この祝いのための準備に、奔走した担当役員、係りの人達 や、祝いに参加するために、ヤマトから帰省した、皆さんが多数出席した。
 この「合同歳の祝い」は、皆んなの心の触れ合いと交流、親睦につながる、我が「阿権集落」のすばらしい行事であることを確認。
 今後の、ふるさとの活性化問題、シマとヤマトを結ぶ絆について、などなど熱い想いを、時の経つのも忘れて語る、熱気溢れる反省会であった。

■「旧正月の伝統再現」伊仙町歴史民族資料館で『オオバンゾウ』
 
 旧正月の1月16日、伊仙歴史民族資料館の、展示室前に収穫感謝と豊饒(ほうじょう)祈願の飾りもの「オオバンゾウ」が飾られた。アワ飯(おおばん)と竿(ぞう)を意味するオオバンゾウは、昭和初期まで、旧正月になると島のどの家の台所にも見られた。
 山から切り取ってきたシイノキ(直径約七a、長さ2b) を、薪用の木などを乗せた火棚付近に、横につるし、それを竿にして、シイノミ、ダイジョウイモ、アワ、モミ、バナナ、ミカン、野菜、イノシシ肉や、豚肉、塩魚を、ひもでつり下げる。
 松の内を過ぎると、さおにしたシイノキを、燃料にしてアワガユをつくり、その年の吉方を占ったといいます。
 資料館では、1994年以来、旧正月から7日間飾りつけを公開している。
 義憲和館長によると、オオバンゾウを飾ったのは、与論、沖永良部、喜界、徳之島の4島と長崎県の五島など、いずれも石灰岩が隆起する平地のある島で、連作可能な焼き畑の島だという。「シイノキに食物をつり下げたのは、焼き払った森に再び往古の生気がよみがえるように、という願いも込められていたはず」と語った。 (南日本新聞より)

■郷友短信
 
犬田部中が2年ぶりV 徳之島中学野球で全試合を完封
 第3回徳之島中学校野球大会は、2月27日3町から、計8校が参加して、天城町総合運動公園の野球場と、陸上競技場であり、犬田部中が、全3試合に完封勝利。
 圧倒的な強さで2年振りの優勝を飾った。
 
伊仙町地婦連「生活学校」会長表彰
 鹿児島県新生活運動協議会の、今年度新生活運動優秀団体の、表彰はこのほどあり、生活学校運動の部門で、伊仙町地域婦人連絡協議会(米倉タニ子会長)の、「伊仙町生活学校」が、同会長表彰に輝いた。
 
東京奄美会が恒例の新年会開催
 東京奄美会の、平成11年新年会が、1月22日、東京上野の精養軒であった。
 350人が出席、盛り上がった。
 
幸田克巳氏(阿権出身)組合理事長に就任
 名瀬市井根町で、経営する商店の、代表取締役の幸田さんは、この度、奄美大島小売酒販組合理事長に就任。
 温厚実直な人柄で、奄美全体750人余りの組合員や、地域のリーダーとして活躍が期待される。
 
シマで「ばれいしょめん」―――製品化―――
 徳之島農業改良普及所(安庭徹所長)では、シマ産の「赤土新バレイショ・春1番」を2次加工した、新たな特産品づくりを検討してきたが、このほど同粉末を活用した「ばれいしょめん(乾麺)」の、商品化にメドをつけた。
 特産野菜の、出荷規格外品を有効活用した、新たな特産品として、3町の加工組合を通じ「ふるさと便」や、各種イベントなどで販売に乗り出す。
【問い合わせ】
 伊仙町農産加工組合 рO997‐86‐8232

■『ふるさと』の歴史散歩
 
 琉球服属時代を経て、薩摩藩の統治下に至る、長い封建の歴史から解放され、新しい明治の世を迎えるまでの、奄美の歴史は、一種の被統治民族又は、被搾取民族としての、忍苦の歴史であった。特に薩摩藩の、苛酷な糖業政策に呻吟し、「民は依らしむべし知らしむべからず」ということが、至上命令とされたその時代に、学問や教育ということは、思いもよらないことであった。その内、島の各地に在住していた流人たちの中の知識ある人たちによって行われたという師匠屋または寺小屋式の塾教育によって播かれた教育の種がやがて近世の学校教育の震源とも言うべき、郷校へと発展していった。往古の昔より阿権は、他部落に先んじて先住民族が阿権川下流の「アマングスク」を中心に居住していたことが、最近の発掘調査で解明されつつあります。先進地阿権の歴史を象徴するものは何んといっても学問であろう。阿権において郷校設立に貢献したといわれる丸野織之介から受けた数々の薫陶は、先人たちによって阿権の古い歴史や伝統を今尚今日に伝えている。明治初期に阿権小学校の前身、通常学校屋敷と呼ばれる地に、郷校が開設され、以後現在地に建設されるまで幾多の有志の方々の建設への努力と浄財で現在地に阿権小学校が建設された。百年の計は教育にあり、という言葉もありますが、今日遠い祖先が残してくれた数々の教訓を今こそ見直しながら「古きを尋ねて新しきを知る」よい機会にしたいものである。次に阿権における歴史的な、有形、無形の文化財などについて列挙して、ご指導、ご教示など仰ぎたい。
 
【阿権集落の文化財】(史跡、遺跡、民謡等)
○史跡や遺跡(現存するものも含む)
阿権八幡神社・阿権郷校跡・殿地屋敷跡・丸野塾・ハタムンイヨウ・マツブキ・犬神跡力石・中世用水路跡・カミンミチ・あぐんかんじゃく跡・トヨタカハンタ(断崖)・テングゴウのイジュン・石敢当・風葬跡・あぐんウガンジュ跡・ディゴの樹(神社)・センダンの樹(阿権小)・ツィンスのミヤー・ヒラソウのミヤー
○グスク跡
フウドウグスク・トーネグスク・ターミズグスク
○民謡
直富おどり・チクティングワ・竹踊り・汗水節・正月唄・天草・ムチタボレ・など
○昔の遊び
ネタビ・ヒャウチ・ネーウチ・ヤングル・水鉄砲・紙鉄砲・お手玉・羽根つき・あやとり・輪廻し・タコアゲ・縄とび・相撲・かくれんぼう・タナガすくい・ガン取り・カラズミンギゴウ・イザリ・アリョツキ・イュツリ・など
○昔の行事
六月灯・十五夜網引き・浜下り・牛なくさみ・闘鶏・ミヤーゲ・ムチタボレ(アキムチ)など
○シマグチ(阿権グチ)
今日は(キュウウガメーラ)・ありがとう(アボラダニ)・俚言:リゲン(クトバヂンカネイラン)など
 ふるさと阿権の、歴史と文化を、いつまでも語り継いでいきたいと、思っている本土在住の皆様、そして1世、2世、3世も、一緒に同好会を、作ってみませんか。老若男女、島、本土を問わず、関心のある方は、ご連絡下さい。「同好会」の名称を同時に募集します、ふるってご応募下さい。
【連絡先】大島郡伊仙町阿権 美島助市 рO997‐86‐3318

文化庁、審議に向け カムィヤキ遺跡視察
 
 文化庁の文化財審議会、第3部会(藤本強部会員)埋蔵文化財専門調査委員会と同庁記念物課の文化調査官ら一行7人が3月9日午後、伊仙町入り。1996(平成8)年度から4ヵ年継続の国の重要遺跡確認調査に並行して「第11支群」に至る発見が相次ぎ、範囲が拡大の一途にある阿三のカムィヤキ古窯跡 遺跡群を現地調査。同庁記念物課の文化財調査官は「重要遺跡と認識。国指定への候補になる物件」と感想を述べるなど、同審議の”前段調査”であることを明らかにした。伊仙町教委側は、国の重要遺跡確認調査(発掘)最後の99年度に、並行して一連の報告書を作成その後、文化庁に対し、国指定化を申請する方針。一行は10日には木之香の「アマングス」や縄文期の 「犬田布貝塚」(県指定)なども視察。午後は空路鹿児島へ、県埋文センターや上野原遺跡視察。 (大島新聞より)

阿権出身の富善司郎選手(ラグビー)は全国制覇を果たす
 
  
 東大阪市の花園ラグビー場で、1月7日にあった、第78回全国高校ラグビー大会の、決勝戦は、啓光学園(大阪第1)と大工大高(大阪第3)の、初の大阪勢同士の決戦の 末、啓光学園が、7年ぶり2度目の、優勝を果した。
 日本一に輝いた啓光学園フィフティンの、TB(左翼)として大活躍した富善司郎選手(2年)は、阿権生まれのラガーマン。
 ふるさと阿権では、住民がテレビさじきで声援を送り沸き返った。富善司郎選手(17)は、大阪市鶴見区在住の個人タクシー業、富和雄さん(49)環(たまき)さん(45)夫妻の長男で、3歳まで阿権で育った。その後和雄さんの仕事の関係で鹿児島市を経て上阪。大阪市大会で準優勝の緑中(鶴見区)の1年時からラグビーを始め、高校ラグビーの名門、啓光学園に進学して同フィフティンに加わった。身長173センチ、体重69キロ、50メート ル6.1秒台の足で、相手ディフェンスを巧みにかわすステッ プの切れのよさなど才能を発揮。
 90数校が出場した全国最大の激戦区、大阪地区予選を通じ、トライ機会が多いTB(スリークォーターバック)の左ウィングを担当した。
 富選手は「中学時代の2級先輩の大工大高の選手が、全国大会で活躍する姿をスタンドから観戦、自分も全国大会でプレーしたいと思っていた。それが実現して優勝までできてうれしい。ラグビーは大学にいっても続けます」。父親の和雄さんは「ベスト4に残ってくれればいいと思っていた。大阪で暮らし、息子が頑張ってくれたことは何よりもうれしい」と喜びを語った。ふるさと阿権でも皆んなが集まり、テレビにくぎづけになったほか、夜のビデオ観戦会でも沸き立った。富選手のおじの富与志雄さんはみんなでテレビを見ていて身震いするほど感激しました。古里の人々に感動を与えてほしいと語った。 (大島新聞より)

■榕樹短歌会三十周年で記念祝賀会
 
 伊仙町の榕樹短歌会(富岡千恵子会長、会員46人)の創立30周年記念祝賀会は、1月9日同町中央公民館であり、関係者からは「30周年を期にますます精進を」などと、祝いの言葉が述べられた。
 席上、会のリーダー的、役割りを果してきた、義原ミヤ子さんら会員7人への、感謝状贈呈があった。
 祝賀会には会員をはじめ、関係者約60人が出席、富岡会長は、短歌会創設の歩みを、簡単に振り返りながら「物心両面の、支援の下、今日の30周年を迎えることができた」と感謝。
 物故会員に対して、黙とうをささげたあと、義原さんが、これまでの歩みを紹介した。
 続いて得岡誠二郎教育長、吉村道子、中央公民館長らが、来賓祝辞を述べて、はげまし祝福した。
 なお、町文化財保護審議委員の平哲治さんが「島人の歌ごころ」と題して講演。
 「島唄のなかにも意味深いものがある、出会いと感動が、歌の元、奄美でなければ、この時代でなければ、あなたでなければ、作れない歌を作ってほしい」などと激励した。
 徳之島で、短歌会の指導を続けている中山朋之さんが講評。
 
【歌人たちの歩み】
 榕樹短歌会は、徳之島では最も歴史が古い。
 義原さんが、徳之島農業高校の川崎展教諭(当時)の、指導の下、1968年に、町内の仲間3人で作ったサークル、胚芽で始まり、毎年1冊づつ合同歌集を発行し、11号から短歌会名を「榕樹」と改めた。
 昨年11月には、30周年記念歌集「榕樹の歌人たち」を発行して以来、各方面から大きな反響を寄せられている。
 歌は、現実に基づいた感動を素直に詠んでおり、ふるさとの心や情感が、15477首のうたとなって、収録されているこの歌集は、いわば奄美の萬葉集といって差し支えないだろう。
◎栄喜久元さん(元県立図書館奄美分館長)は、
 私の印象に残った歌として、次の歌を挙げている。第1集川崎展「崩るると見えたる牛の反撃に島をどよもす群衆の声」義原ミヤ子「勝果てなれど地球の一点すくすくと甘庶(キビ)生ふる島わが故郷とす」。作井キク「好みませし酒を供へて亡き姑に甘庶とり終わりを今宵告げぬ」副島美智子「乳呑みておなか太りし仔豚らの背伸びをしては重なりて寝ぬ」。第2集、平トキ「両殿下のおでまし迎ふと島人は黙し待つなり炎天のもと」。第3集、義岡よね子「音もなく蘇鉄林に降る雨は針葉の先を光りつつ落つ」、平いわ子「縫いながら母が歌ひし島歌をゆくりなく聞く今日の農業祭に」。第9集、竹野光子「支へ合ひ九十九歳の姉とふたり生活(くらし)いるなり我八十五歳」。第26集、西園寿子「恒例の歌会嬉しも七夕の星のごと合ふ平松先生」。第28集なども心温まる歌だ、富原時 枝「この島に住み着く親をたはやすく都によぶと長の子は言ふ」第8集には、かって私自身、1人息子として、老齢の母を島から連れ出し、寂しがらせたことを思った。
 本書の歌の中には、甘庶の花、芙蓉の花、白百合、蜜柑初花、くちなしの花、浜茄子の花、向日葵(ひまわり)、百日紅、菜の花、母子草など、そして島に棲む動物、鳥類なども詠まれている。
◎「あおばと」連載中の歌人たちの歌集は
○明司シズエ「ばあさんに捧げる短歌」
○磯村節子「母子草」
○平いわ子「大いなる愛」「検木香る」
○竹野光子「筵瀬」
○平とき(故人)「七十路」
発行所 南方新社 5000円 рO99‐224‐6036

阿権小学校だより
 
◎転入生
 1月に作山瑞穂さん(5年生)が転入生として新しく仲間入りして、3月期がスタート。
 冬休みには校区の歳の祝、成人式、消防出初式などにも参加し、それぞれ貴重な体験をし、目には見えないが何にかを感じ、又感動したり、得るものがありました。
 
◎みんなが手にした賞
 1年間に児童が作品募集に応募し、手にした賞状を調べたら、なんと全校児童が何らかの賞を受賞しており、喜び、感謝しながら今年もみんなで頑張り、いろいろな作品応募に挑戦して欲しいと願っている。
 
◎伊仙っ子、雪の旅
 6年生の吉岡将悟さんが「伊仙っ子雪の旅」に参加。
 はじめて乗る飛行機、初めて見る北海道、そして雪、4泊5日の旅できっと何にかを学び、ステキな思い出を土産に帰ってきたことでしょう。
 
◎阿権小学校へ800b
 大東の5又路に立てられていた「阿権小学校へ800b」の道標が古くなり、字が分かりにくくなっているので、何んとかしなければと思って1年が過ぎ去ろうとしている時、年明け早々の或る日道標が真新しくなっているのに気づき、どなたがして下さったのかと問い合わせたら「岡留保三さん」と分かりました。深く感謝、頭の下がる思いでした。
 
◎勝忠信さんが手品を披露
 子どもたちは大喜び、たのしい面白い手品、ありがとう。
 
◎ことばに思う
 それぞれの地方には、そこで生まれたことば、奄美ではシマグチといいます。
 共通語と外国語、そしてシマグチまで、話せたらスゴイ。
 世界にはばたくことが、出来ます。むづかしいかな?
 
◎!卒業おめでとう!
 平成10年度、第51回卒業
 証書授与式を3月24日。今年度の卒業生は本田浩平君と吉岡将悟君です。6年間に、いろいろ学び、体験し、物差しでは図ることのできない、様々なことを身につけ、成長し、巣立っていく 2人には「希望」と「努力」という、言葉を送りたい。阿権小学校の、卒業生であることを誇りに思い、目をキラキラ輝かせる、中学生になって下さい。
 
◎平成十一年度児童数予定
 1年(4名)・2年(4名)・3年(3名)・4年(5名)・5年(1名)・6年(2名)・合計(19名)
 
◎行事予定
 3月19日・幼稚園卒園式
 3月24日・卒業式
 3月25日・修了式
 4月6日・入学式
 4月9日・入園式
 
◎今年もイネ栽培をします。
 2月20日・田おこし
 3月6日・種蒔き

■「島口あまくま」
 
●ギンノウ(かなづち)●キキリムン(頭脳明せきの人)●ギンシロウ(はかり)●クズェンガシ(大騒ぎ)●クッシ(殺す)●クグェリ(倒れる)●クンズィリ(くずれる)●クェーリ(太る)●クタイリ(疲れる)●クントウシ(踏み倒す)●クイッサ(とっくに)●クィブシ(煙)●クマ(こちら)●クマリ(泊まり込む)●クワッティ(噛まれた)●クレリ(我慢する)●クグミ(潜る)●グェーリ(まともでない)●クィンガブ(樹木の根っこ)●クンジリ(寒がる)●クャグィ(小踊りする)●クンキリミチ(近道)●クェー(肥料)●クンタムィリ(踏み止まる)

「榕樹短歌会」
 
※緑濃く星空冴ゆる徳之島に島人われら苦楽を分かつ (犬田布)明司シズエ
※ゆきずりの家の門辺に一群の母子草あれば手触れ親しむ (阿権)磯村節子
※飛ぶも良し跳ねるもよろし卯の年に榕樹短歌(うた)会三十年を祝う (河地)稲泉百合子
※シゲちゃんは健康そのものと同級生(とも)は言ふ畑仕事に精出すを見て (犬田布)稲泉シゲ子
※「お母さん」と電話の声は次男にて仕事の忙しさ楽しく語る (阿権)太田光子
※子や孫に詠みて残さん教訓は「健康が一番」次に「心」と (阿権)大野啓子
※農に生き農を愛しむ歌友なり励みし証の歌集「大き虹」 (阿権)平市子
※君子蘭に水注げば葉間よりバッタ飛び立つ羽根を濡らして (阿権)平いわ子
※黄金の雲間より出づる太陽に今年こそはとつい手を合はす (阿権)平敏枝
※載きし友等の歌集それぞれの個性豊かに詠まいて楽し (阿権)竹野光子
※若人と共に学べる生き甲斐の通信教育必ず遂げむ (犬田布)徳川宏子
※帰省せし子はわが背なをさすりつつ東京に住まむと頻りに誘ふ (犬田布)中村トミ
※新世紀前の一年あれやこれ為すべきいくつ脳裡に描く 水本けい子

■編集後記
 
 今年は久し振りに、ふるさと阿権で、正月を迎えた。
 特に印象深いのは、「合同歳の祝」に参加したことで、前日の準備作業にも、ささやかながら手伝ったことである。
 多くのハロジや、友達、子どもと、会話を楽しみながらの共同作業で、シマの良さを実感。
 只シマグチが、あまり聞かれなかったのは残念に思う次第。
 ムリシユ(盛塩、塩とスルメ・コンブ)は、昔から祝いの時は、富(フ)を頂くという意味で、お酒と一緒に、訪問客皆んなに、振舞うという風習がシマにはある。
 そのムリシユを、小さなのし袋に詰めるのを、担当していたが、何しろ数が多く、人手がほしいと思っていた時、中学生の女の子が数人、「おばさん、お手伝いするからね」とやって来た。
「ああ調度よかった、お願いしますよ」となり、作業はトントン拍子にはかどった。
 おしゃべりも弾み、ムリシユについて彼女たちに聞いて見たところ、「さあー、あんまり聞いたことないよ。ムリシユって何んなの?」という返事である。
 矢っ張り現代っ子には、このような昔の風習は、関係ないことなのだろうか、時代が変ったということを痛感しながら、私たち大人が、次の世代に残してやれる、宝物って一体何だろうと、悩むことになった。
 その中から、一つ思うのはシマグチのこと。「キュウウガメーラ」、「オボーラダニ」などの、簡単な挨拶や、日常会話ぐらいは、大人が遊び感覚で楽しみながら、日常の会話の中で教えてやらないと、やがてシマの言葉や、古い風習は消えて無くなる、可能性が大きいということである。
 そのような意味からも、「あおばと」には、シマグチの民話や、会話など紹介したい。 読者の皆様からの、シマグチだよりや、「シマグチ漫談」などの投稿を歓迎します。
 
あおばと通信ページに戻ります。