2003年05月01日(第1版)
はじめに

 以下に紹介するアルタン=ハーン法典は、アルタン=ハーンが1578年に仏教に入信して以降1583年に没するまでの時期に編纂されたとされる法典で、『中央アジア研究』誌に掲載されたファクシミリ版によって世界にひろく知られている。
 この法典は、いまのところ、英国・リバプール市博物館(City of Liverpool Museum)が所蔵するチベット語法典・法令集の写本「The Bailey-Handwriting No.66.3.15」に収録されているチベット語訳テキストのみが知られており、チベット文字の筆記体で筆記されている。
 モンゴル人学者ビラ氏により、文面の二分の一に対して訳注が施されたけれども、全体を分析対象とした研究は行われていない。
 私はモンゴル法に関しては門外漢であるが、自身の研究テーマとの関係から、ウメ体で筆写されたチベット語法典を数多く調査した経験がある。
 そこで、この経験を活かし、原テキストをチベット文字の活字体であるウチェン体およびローマ字に転写し、Web上において公開することにした。
 本コーナーの設置によって、より多数の人々がこの法典の分析に参加し、この法典に対する研究の深化につながるならば、私にとってそれにまさる喜びはない。

 本コーナーでは、原テキストの表記をありのまま転写することを方針とした。先行研究における校訂の試みの成果については、「書誌と研究」コーナーで順次紹介してゆくので、参照されたい。

 本コーナーで提供するウチェン・ローマ字転写テキストの作成にあたっては、佛教大学文学研究科修士課程のソナムワンギャル (bsod nams dbang rgyal) 氏の大きなご助力を頂いている。
 すなわち、手塚が作成した草稿をソナムワンギャル氏に校閲点検いただき、数十箇所にわたり、私の転写に対するご意見や誤りの指摘、縮略体の展開などのご教示をいただいたのである。  ただし氏のご指摘・ご意見にしたがわず、私の見解を反映させた点もあり、故に転写の誤りに対する責任は、手塚のみにある。
 

戻る/Return
2003.05.01 par
gleng gzhi

gleng gzhi/




戻る/Return
2002.11.30
Preface



戻る/Return