「エロマン」カットまさし(FLOP DESIGN
コミックキューのエロ特集もよかったよなぁ
魔物語ーいとしのベティもすきだったし。
でもやっぱり、かぼちゃワインでしょう!
すげえ子供のころドキドキした。
「エロ劇画のエロ」ストロング山下(大陸伝説

1970年代エロ劇画の再評価は過去に1度、1980年頃に盛り上がった形跡がある。
当時の文献をひもといてみると、石井隆と榊まさるの評価が高いようだ。
当初、エロ劇画は、学生、土方などの男達の欲望の捌け口として誕生したわけだが、石井隆の出現によって裸、性的場面さえ描いてればいいという意味合いはなくなり、より、作家性あるいは世間の動向を反映した社会性を反映したものとなっていった。当時の読者のことはわからないが、現在70年代エロ劇画を評価している私にとっては、あくまでも作品の芸術性・思想性を考えるものであってエロの対象ではなくなっている。

はっきり言えば、エロ劇画ではたたない。性的場面のありとあらゆるシチュエーションとありとあらゆる描画法を用いて制作されているのにも関わらず、一向に欲情しないという不可解な現象が生じる。

欲情のメカニズムとは別次元でエロ劇画は存在している。つまり、エロの為のエロ劇画ではなく、劇画のためのエロということが言えるのかもしれない。単なるモチーフとしてエロが用いられているのならば作品の本意はエロではないわけで、仮にエロ志向であっても作家が手をつけた性には反応できないのである。

「まいっちんぐマチコ先生はやっぱりすごいわ!」ミドリ(LOVE&PEACE

このマンガは小さい頃スキだったんですけど。
弟とお母さん公認で見ているはずなのになぜか後ろめたい気持ちで見ていたような・・・・。

だから今見たら大したこと無いのかと(エロチズム度が)思ったけど、「懐かしのアニメ」とかの番組で見たとき、「やっぱりエッチだわ!」って思いました(笑)

エッチ→マンガ→マチコですね。ハイ。

「彼女はデリケート」ズミ斎藤
「激烈バカ」の後、それを読んでいたために、一時、変態道へ足をふみいれるところでした。(当時 小6) 案の定、 その後の僕の人間形成に影響したのは言うまでもなく、その後の6年間は、巨乳好きでした。 (一昨年、めでたく更生いたしました。) 今から思えばマガジン買ってた人はみんな「はじめの一歩」読むふりしてチラチラ何回も読んでいたんじゃないですか?
「エロエロ万歳」たんたん

エロって一種病気じゃないんでしょうか。人間の判断力低下させるし(タイトルに騙されてハズレのAVをつかんでしまうのが好例)一旦頭の中感染しちゃうと後はズルズルと治療不可。
山本直樹の作風なんかはやっぱりこのズルズル感が或程度ベースだと思うんですよ。わかっちゃいるけどやめられないみたいな。
でもそういうエロに振り回されてる姿って傍目からだと結構笑えるんですよ。

だから山本直樹にしろ榎本ナリコにしろ実はちょっと喜劇寄りの漫画じゃないかと。

まぁ、タチの悪い病気だけど付き合い方さえ心得れば面白いんじゃないんですかね、エロは。

「エロについてのこと」つるんづマリー(つるんづの漫画大作戦

俺はエロとは個々の趣味によって際限なく分化していくもの、これまでの育ち方がうかがえるもの、であると思う。

体が反応を示すものだから嘘はないはずである。
何に反応するかは本当に様々で昆虫に反応する人もいるという。
それはまともではない感覚である。
なぜなら、性の対象は常に異性であるから、昆虫に反応する人は詳しく言えば昆虫を通して、異性を感じているのである。

すこし話がズレてしまったが、エロとはこんな風に際限ないものである。
本人の性格がもろに現れるものだと思う。

「俺とエロ」ふりーく北波(ビバ!ダイナミック

正直に言おう!俺は胸フェチだ。だが、もちろん何でもイイワケではないっ!

正直に言おう!俺のイタイケな思春期の下半身を直撃した胸があるっ!

胸...いや、それはむしろ「おっぱい」と言うべきだ。あの微妙なる曲線、ふとした拍子の揺れ、きゅ、と寄せたときの弾力感!その寄せ付けている肩の線との絶妙なバランス!ああ、神様!

『おじゃまユーレイくん』!

「もしもキミが神出鬼没になったら何をする?そう、エッチなことヤリ放題さ!」と全ページにわたって俺に語りかけてくれた「コロコロコミック」によしかわ進先生が連載したマンガだっ!
あの主人公・霊クンにまさにやりたい放題されたヒロイン、「こだまちゃん」。
俺ははっきり、あのこだまちゃんを「ネタ」として意識していたっ!ああ、脱衣所で上に来ているセーターを脱ぐ時の、あのブラジャーと胸の絶妙なライン!

正直に言おう!俺はその後「こだまちゃん」の原点にも気付いた!
それこそ、永井豪とダイナミックプロ作品だ!『へんちんポコイダー』!
そして『イヤハヤ南友』!まだ「オカズ」などという意識のない俺の下半身をわずかに目覚めさせようとした傑作をっ!

後年、腐ったマニア道に生きている俺は気付いた。
そのヰタ・セクスアリスマンガのタッチにもよしかわ進が潜んでいることにっ!
そう、よしかわ進はその時ダイナミックの豪ちゃんアシだったのだ!
あのこだまちゃんの肢体を育んだ「虎の穴」があの豪ちゃんの素晴らしきエロエロマンガにあったのだ!そして、俺はダイナミック道に人生を捧げるコトになる...(血涙...川崎のぼる風に)

「俺とエロ2」ふりーく北波(ビバ!ダイナミック

ブラジャーも大事だ。だが、「スリップ」のフリルや胸元にわずかに覗く「谷間」も大事だ。ダイナミックの「女の丸みフェティシズム」へのリスペクトと共に、俺はそれらへの熱い想いも抱いていた。

ポリシー?カンケー無いねっ。
その名は「金井たつお」。作品名は『いずみちゃんグラフィティ』。

開けっ広げで、明るくて、結構男の子にも軽く話しかける一方、愛する男の子にはけなげで...ガキの時分の「俺の女(理想)」願望を週刊レベルで満足させてくれたヒロイン、いずみちゃん。
もちろん開けっぴろげないずみちゃんは脱ぐ脱ぐ!
当然のごとく...な下着姿、あまりにえっちなチアリーダー姿、胸元が絶妙な角度で見える陸上のユニフォーム!そして入浴!

そして金井たつおの本質的に細くえっちな線!さすが、師匠・本宮ひろ志の元、奥様のもりたじゅんに「女」の絵を叩き込まれただけのことはある!...だが、それ以上にっ!
なにしろこの作品の素晴らしさは、毎週一度のパンチラは絶対に欠かさないという点。その為だけに、いずみちゃんのお尻に潜り込むコトしか必然性のないネコをレギュラー出演させていたくらいだ!

これが確信犯的思春期入口下半身直撃無制限デスマッチでなくて何というのだ!そう、俺は毎週挑んでいた!ああ、少年ジャンプ万歳!

やはり本当に直撃するのは「チラリズムであるゥ!」(ワムゥ風に)

「ある日の英語の授業」Shinya(Everyday Icons

ある日の英語の授業の時である。
先生は友人のHに「dutchってどういう意味だ。答えてみろ。」と、問い掛けた。
Hは少々驚いた様子であったが、一瞬ひるんだ自分をごまかすかの様に堂々と「人形です。」と答えた。先生はどう反応してよいか解らず、すぐさま後ろの女の子に問い掛けた。そして男達の肩は小刻みに揺れ続けていた。

ちなみにdutch(ダッチ)の意味はオランダである・・・。

「♪エロから大きく手をあげてマンガの規制の話〜」
つるんづmiya(つるんづの漫画大作戦

性描写の激しいマンガ、写真などに対する規制をする方々の言い分には二種類あると思います。

1.分別のつかない子供たちにとって有害である。

2.女性の性を商品化するという女性蔑視、人権無視である。

僕は前者においては一部同感です。しかし、分別のつかない子供たちが見て真似をしたら困る、と言う人達と僕の意見とは違う。タダ単に大人になってからの心配があります。性的不能者になる可能性があると思います。

本来「性」とは隠されるものです。隠されることによって「性」は神秘的なものになり、

人の興奮を呼ぶのです。今はインターネットというエロオッピロゲ媒体が存在し、誰でも性に触れることができる。これでは子供たちは画面の中に生きてしまい肉体の触れ合いをともなう「性」の感覚を無くしてしまうのではと心配です。
後者の女性蔑視については、ちょっと疑問があります。
まずこれを言う人はだいたい人種が決まっている。ずばりオバサンです。もう夫にも相手にされない、異性としてみてもらえない人達の嫉妬に見えて仕方がありません。

まあ今のは冗談ですけど、この問題については呉智英というマンガ評論家がいい指摘をしています。

井原西鶴の「好色一代男」はどうなのか?という指摘です。好色一大男はズバリ本宮ひろしの「俺の空」です。女を次々と抱いていきます。

もし女性蔑視というなら、教科書にも載っているこの本を発禁にするべきでしょう。教科書に載っているのですから子どもたちが見たくなるのは当然!早くしないとオバサン!しかし西鶴撲滅運動が起きていないのはやはり作品としての価値が高いからです。
マンガだからといって作品の価値を問わないのはおかしいと思います。

いらぬ規制をした上でのマンガが「日本が世界に誇る文化」とどうして言えるのでしょうか。

これは性表現だけでなく、差別表現に対する規制にも言えることです。

なぜ「ジャングル黒べえ」がいけないのか、「ジャングル大帝」がいけないのか、「さくらの唄」がいけないのか。

性表現、差別表現を越えるすばらしいストーリーをもった作品たちをどうして規制するのか。

「あっ!黒人や!唇分厚くて真っ黒だ!人種差別だ!」

「あっ!エロや!先生と生徒がHしている!女性蔑視だ!」

こんなひねくれた読み方をするのは大人だけです。一部の表現だけを持ってきてそこを集中攻撃している。

前後の文脈を読んでいればそんなところに引っかからないはずです。
子どもたちは大人が思っているよりもっと頭がいいのです。
これは子どもに対する「頭脳差別」ではないでしょうか。           こんな事をしている間に「世界に誇る文化」は薄っぺらく、中身のないものになっていくでしょう。

ある程度のエロはどの文化にも必要で、それがいい作品を産むことがたくさんあります。

「エロを越えるストーリーがあればいい。」

大人たちは規制ではなく、そういう教育をしたらいいのです。
薄っぺらいマンガで育った子どもたちには薄っぺらいものしか描けないのですから。

ほらまわりを見て下さい。薄っぺらい「エロだけマンガ」が横行してますよ。早くしないとオバサン!

「もっとじらしてくれ!」くろぶち(FLOW

エロ漫画はちっとも興奮しない。なぜか?それは読みきりという枠におさめなければいけないからかもしれない。

主人公(全く共感できないというか性格などの描写がない)と女のコが突然出会いお約束の流れで見せ場へのシーンへと突入していく、、、。

そんなもん感情移入できるか!

エロ漫画に限らず普通の漫画でも週刊というペースに合わせたチラリズム。
本当のエロとか興奮っていうのはその漫画のキャラクターに対して愛情を持った時に生まれると思います。

そういう意味では「めぞん一刻」が僕にとっての最高のエロかもしれない。

雅(漫画時代)※代理人くろぶち

今回の特集のテーマ「エロ」の立案者である雅先生ですが、

自分の考えていたことが「つるんづmiyaに先に書かれた」との理由で取材旅行のためお休みという形をとらさせていただきました、、、。

まことに申し訳ございません。

なお、編集の僕が思うところ「最初と編集後記でいいたいこと言ってるじゃん」ってな感じでございます。


マンガジダイ初特集、

「エロ」はいかがでしたか?

みなさんの投稿を中心に構成するのがこの特集のコンセプトなので、幅広くさまざまな投稿が集まり大変嬉しく思っています。

今後もマンガの魅力を様々な角度から深く、わかりやすく掘り下げて行こうと考えています。これからも

「マンガジダイ」をどうぞよろしく!

(画・文 雅)

編集後記ってのは編集者の僕が書くものの様な気がする。

(愚痴・編集 くろぶち)

※次号予告

特集:「こころの中のヒーロー」


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