1月27日「オムニバス」(くろぶち) |
音楽CDでオムニバス版が好きでついつい購入してしまう。特にトラットリアやバンガロウなどレーベルでまとまって年に1度出たりするやつやインディーズの物なんかが好き。 自分の好きなレーベルでは大体外れは無いし、今まで自分の知らなかったいいアーティストの存在を知る事ができるのでとてもお得な感じがします。 で、話を漫画にそのまま持っていった時、そういうのってなかなか無いですよね。 これだけ毎日のように沢山でている雑誌を全て目を通すのは無理な話。 でもどこかに自分が知らない良い漫画があるはず。だから音楽CDのオムニバス版のように漫画でも単行本でやってほしいのです。 雑誌でまとめて出すのではなく、レーベルというのも変だけど漫画家どうしの集りみたいのがあってもいいと思いませんか?古くは石ノ森氏らが掲げていた『新漫画党』のような集まりで雑誌の連載ではなく読み切りの習作を集めて出してほしい。 有名な漫画家に混じってアシスタントなんかのが入ってても面白いですよね。そうやってもっと新しい才能を日の光にあてるような企画があってもいいと思います。 …コミックキューがそうじゃないかと言われればそうですがああいうのでは無くって事で。 |
1月21日「こどももおとなもおとなでこども」(雅) |
現代の少女マンガ「こどものおもちゃ」がついに完結した。 (と、いってもそこそこ前に完結しているのだが、単行本になってから最終回に目を通したもので、今頃語っている次第。) 思うことはいろいろあるし、このマンガへの思い入れもまた並大抵じゃない。 なにより、漫画家志望の自分に、テーマをエンターテインメントするということの重要性(よくある少年ジャンプバッシングで嫌いなのはジャンプ的なものの全否定的な言い方。ジャンプにだってよいマンガはある。そのマンガがどれだけ荒唐無稽だとしても)を再認識させてくれた恩がある。なにしろ4巻を見終わった後には作者に感謝の手紙書こうかと思ったくらいだ(^^) このマンガは、たとえばここのサイトで紹介しているようなマンガの中ではかなりノイジーで表現もストレートだ。表現が親切すぎるため、「説明しすぎ」と思う人もそりゃいると思う。 けど、これはあくまで「りぼん」で連載された、まず子供の読者ありきのマンガである。 と、いうのも最近子供向けマンガでいいものがあまりないという問題がある。 全体的に青年誌化しているだけでなく、藤子・F・不二雄のような最良の子供マンガもほとんど見られなくなってしまった。(「ONE PEACE」タイプのマンガでは健闘しているものもあるが) 例えばさっき挙げた藤子・Fのマンガは「ドラえもん」や「エスパー魔美」を見ても明らかなように、子供の視点で見てもおもしろいし、おとなになっても、違う角度から見直せたり、実にシニカルなものもちらりと垣間みせたりしている。 そう、あくまでおとなの視点から、こどもに真剣に向き合っているのだ。 話を「こどものおもちゃ」に戻そう。 このマンガはそのわかりやすいクオリティからすぐに人気に火がつき、「りぼん」の看板作品になったわけだが、要所要所に、実におとなびたテーマを内在させている。特にクライマックスの「人形病」の件では、低年齢層の読者が戸惑うほど、心理的に深い不安や恐怖を執拗に描いている。 こども相手だからってわかりやすくさらさらっと描けばいい、ってもんでは断じてない! むしろ、子供の時にこそ、理解範疇レッドゾーンぎりぎりってものを見ておく必要があると思うのだ。 トラウマというのはオーバーだが、良識と呼ばれてるものばかり見せたところで、よいこが育つなんてことはまずあり得ない。そして、同時にこどもはこどもじゃない。感覚におとなもこどももないのだ。 中途半端に青年誌のテイストが入って、いいものが少なくなってしまった少年・少女マンガの中で、突破口としての輝きが、間違いなく「こどものおもちゃ」にはあった。 こどものおもちゃ後半のテイストに戸惑った読者も、やがてそこで描かれていたことを大なり小なり追体験していくことになるだろう。 |
1月19日「うらやましいぞ岡山県民!」(くろぶち) |
先週の週末漫画大好きコンビ‘つるんづ’に連れられて岡山まで古本屋めぐりへ行ってきました。 つねづね西のほうは古本がすごいと噂は聞いていた。しかし!行ってみると想像をはるかにしのぐ充実振りなのだ。僕はこれまで東京の古本屋などは行った事あるが今回ほど凄いと思った事は一度もない。 岡山県民はなんでも日本一本を読む人達らしく、そのせいでこうなったのだろうか? その究極な古本屋というのが『万歩書店』岡山県のみに6店鋪構えるこの店は見た目は普通なのだが中に入ったとたんそのレベルの高さに驚くだろう。店鋪によっては2FとB1もあったり、異様に奥に長かったりする。 価格に関しては僕はどうだかわからないけれど「まんだらけ」などではケースにカギをかけて高い値段がついているものも普通に並べられていたりする。貸し本漫画から漫画雑誌のバックナンバー、はたまたエロバカ漫画まで幅が広くマニヤにはたまらんです。 漫画以外の書籍や骨とうまでありますよ。 この興奮は行ってみないと解らない。漫画が好きな人ならばわざわざいく価値あり。(車じゃないと無理ですが) |
1月15日「文庫版」(くろぶち) |
最近は落ち着いた感じのあるコミックの文庫本サイズ化ですが、なんといっても見どころは表紙でしょう。なぜかオリジナルのままやらないですよね。 しっかりとデザインされているのです。それはたぶん文庫化をする時のコンセプトで「サラリーマンが電車の中で堂々と読んでいても恥ずかしく無い」ということだろう。 始めの頃の「ブラックジャック」なんかは格好いいと思った(原作もいい)けど最近ちょくちょく「これは違うだろ」っていうものがありません? それの極致的なものが「YAWARA!」だと僕は思うのです。あれは本屋で初めて見た時思わず声出しちゃいましたよ。だってリアルにYAWARAちゃんを描かれても、、、それになんかエロ小説(フランス書院とか)みたいなんですよ。 基本に立ち返ると「サラリーマンが電車の中で堂々と読んでいても恥ずかしく無い」なんだから、一番恥ずかしいじゃないか!と思ったわけです。 |
1月9日「笑えるか?」(雅) |
人笑わせるのってかなり快感。 では、それが受けなかった場合は? 先日、松本人志の「ビジュアルバム」のバナナの巻を観た。 お笑いにそんなに精通してない自分でも、まっちゃんの笑いが抜きんでておもしろいのはわかる。なので、すごく期待して観た。さあ、どんなコントをやってくれるのか? で、昨日、「BSマンガ夜話」で、いしかわじゅんが「行け!稲中卓球部」について、 おもしろいんだけど、それを笑うことにどこか罪悪感があるような。 ギャグっていうのは、他の表現より、はるかに「客」を意識しなけれなならない ジャンルだと思う。それは冒頭にも書いた通り、凄くシビアで残酷な世界だからだ。不細工だと「ブス」とか言われるのと同じくらい残酷な。 まっちゃんも「稲中」も、そんな残酷な世界で大成功したトップクラスの 「笑い」なのだが、だからこそ、その残酷を乗り越えた残酷さがあるように感じる。 そんなこんなで俺は彼らのギャグを心の底から笑いきれないのだ。 たまにね。 |
1月4日「書店の漫画の管理」(くろぶち) |
今では書店で漫画はかかせないというより主力の商品でもあるだろうが、CDなどの他の製品などに比べて商品の管理がいきとどいてないと思うのですがどうでしょう? 例えば好きな漫画家が昔に読んだ事が無い単行本を出していることがわかって書店で探す。しかし出版社別なのでなかなか見つけづらい。特に1巻完結などは大変。結局店の人に訪ねるが分からない。 で、取り寄せてもらうという形に流れるのだが、しっかり紙に色々書かされる割になかなか届かない。 いらいらして書店に問い合わせると「こっちも在庫の確認してるところでわかりません」と言われ結局そのまま連絡がないことが多々ある。 時には途中別の本屋で見つけてしまいその後電話が掛かってきて文句を言われることも。 もっと気軽に読みたい漫画をすぐに読める環境に整備してほしいと願うのです。 |
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