(今回のコラムは、漫画時代準備号に収録したものに加筆・修正し再録したものです)
漫画が多様化するに伴い、「おしゃれな漫画」というものが登場するようになって幾年。特に、若者たちの、日常の中で生まれるドラマを描いた漫画は、主人公たちのファッションを描写しなければ、雰囲気が出ない(注1)というわけで、いまや、青年漫画や女流漫画(注2)とファッションは切っても切れない間柄にあると言える。
今回は、そんな、時代背景とも密接に関係した漫画内ファッションについて書いてみたい。
・ファッションとはなんぞや?
ファッション。それは、流行を扇動するメディアだけでは語れない、奥の深い世界。
それは、単に服飾のみならず、生き方や、スタイルにまで及ぶ広範囲なもの。例えば、もっとも明確にファッション性を与えることのできる、服。これは、単純に、身を隠し、身を守るものではなく、コミュニケーションツールの一つとして、機能している。全くの他人同士が出会ったとき、まず見るのは、やはり、外見。そこから滲み出る雰囲気で、最初のフィーリングが決定すると言っても言い過ぎではないはず。つまり、自分というものの、個性や、スタイルを、最もわかりやすい方法で、示すことが出来るというわけ。すなわち、自分を知ってる人ほど、ファッション性が高いと言えるのかも知れない。(ブランドもん着てリゃいいってもんじゃない)服のみならず、このような、ファッション性は、漫画の中で、どのように再現されているのだろうか?
・女流漫画家はファッションがお好き
思えば、高校生の頃、やまだないとの漫画に出てくる、中年や、少年のスタイルを見て、「かっくいー!」と思ったのが、俺が、ファッションに興味を抱くきっかけのひとつだったかも知れない。やまだないとに限らず、おしゃれに敏感な女流漫画家は、漫画の中のおしゃれにも決して手を抜かない。最近月刊化された「CUTIE COMIC」(注3)にも象徴されているように、女流のファッショナブルなまんがは、おしゃれ好きの女子中高生にも好評のようだ。最近では、安野モヨコの「チェイシングエイミー」(注4)に出てくる登場人物のスタイリングを、セレクトショップのビームスが担当するなど、女流漫画とファッションの関係はますます密接になっている。
そういった表層的な描写のみならず、岡崎京子の「東京ガールズブラボー」では、80年代の雰囲気、時代背景を伝える記号として、漫画内ファッションが機能している。北海道から上京し、メディアデビューを目指す、主人公金田サカエは、とにかくおしゃれ好き。「ダサい」制服をカスタムし、「コム・デ・ギャルソン」(注5)のマフラーをまとい、自意識過剰に東京を闊歩するその姿は、当時の前衛少女を体現しているよう。(注6)当然、ファッションにつきまとう要素(テクノ、ロリータパンク、烏族)なども網羅しており、非常に深い時代描写のための装置となっている。いわば、時代の気分を、明確に、目に見えるかたちで表現する、絶好の手段といえるファッションの描写。外見から入るという意味ではファッションも漫画も同じ。魚喃キリコの漫画を見て。ほぼ大半の人がかっこいいと思うのも、その絵の巧さプラス、人物の表情も含めた、時代感溢れるルックスのせいではないだろうか?
このように、おしゃれが好きな女流漫画家と、おしゃれが好きな読者の幸せな関係は、今後さらに進展することだろう。
・サバイバルする中学生は、ハイテクスニーカーを履きつぶす
世紀末大破局サバイバル漫画「ドラゴンヘッド」。この漫画の主要キャラクターは、「オバサン」を除く全てが、90年代を生きる少年少女。当然破局前は、普通の学校生活を送っていたわけであり、ファッションにも興味を抱いていたことだろう。
それが、例えば主人公テルの履くスニーカーに表れている。まず、回想シーンで履いてるのがナイキのバッシュ。で、破局時がコンバースのオールスター。トンネル脱出後、少年たちに分けてもらったのが再びナイキのバッシュ。その後伊豆で、三たびナイキのバッシュに履き替えている。もちろんこの頻繁なスニーカーの交換は、苛酷な旅の中で、履きつぶしたりする必然性があってのことだろう。が、しかし、主人公たちは決して無名のスニーカーや、月星シューズを履いたりせず、必ずスポーツブランドの靴を履くのである。
望月峯太郎の執拗な描き込みで描かれるスニーカーは、ほんと、メーカーがスポンサーについててもおかしくないくらいに、どこどこのなにと判別できる。ナイキ、アディダス、リーボック。やはり、サバイバルに似合うのは、デザインされた汚せないシューズや、安っぽい靴ではなく、運動性能に優れたスポーツメーカーのスニーカーなのだ。
また、服も、主人公やアコは、ラフで運動性のよさそうなものを着る。Tシャツ、短パン。主人公はラルフローレンと思われるBDシャツ。アコは「X-GIRL」(注7)のロゴが入ったTシャツ。どれも、ストリート系と言われているファッションだ。普段でも、汚れとかを気にせず、気楽に着れるこういったファッションが、やはり非常事態という状況によく似合っている。
おそらく望月峯太郎という漫画家は、こういったファッションやバスケットボールが好きな人なのだろうが、(注8)そういった個人的趣味を抜きにしてみても、このような災害時にも、ストリートファッションで立ち向かう少年少女というのが、現代の気分だということなのだろう。精神的に、大きくなっていく主人公たちに、こういった格好は、よくハマる。
望月の「バイクメ〜ン」風に言えば、これもまた「スタイルではなく生き方」であり、「ドラゴンヘッド」では更に「生き延び方」なのだ。
「平坦な戦場で僕らが生き延びること」・・ウイリアム・ギブスン(注9)
このように、それぞれの作家の趣味もわかって、興味深い漫画内ファッションの世界。「CUTIE」のように、漫画を連載するファッション誌やカルチャー誌も増え、より、多様化している模様。来世紀に向け、時代を映す鏡のひとつとして、ファッションと漫画の連結は、より強固なものとなるだろう。
なお、表層的なものについてより、本質が大事だという人もいるだろう。それはもちろんだ。
ただ、表面的な装置もまた、物語(特に「今、ここ」)を描くためにかかせない小道具であるはずだ。
(注1)当たり前なんだけど、恋愛もので、霜降りジーンズ履いてる男の主人公って見たことがない。
(注2)レディースコミックという言い方では、語れない漫画を勝手に命名。
(注3)稲森いずみの痛いお姉ちゃんぶりも話題のテレビドラマ(あの漫画を実写でやるのはやっぱりきつい。)「ハッピーマニア」原作の安野モヨコを筆頭に、やまだないと、魚喃キリコ、南Q太というそうそうたる面子が一同に介しているナウな漫画雑誌、男は立ち読みしにくい。でも気にしない、気にしない。
(注4)同名映画の漫画化。小説と漫画の合本で発売中。
(注5)日本を代表するファッションデザイナー、川久保玲が設立したブランド。「COMME des GARCONS」は、仏語で、「少年のような」という意味。毎シーズン、大胆な提案をするコレクションの評価は、常に高い。しかし、作品とすら呼べるその商品は、すごく高価である。
(注6)ここらへん、当時幼児で、「宇宙刑事シャリバン」とか見てた俺は断言できない。
(注7)人気ブランド、「X-LARGE」のレディースライン。
(注8)前作である「座敷女」などにも、アディダスや、ニューバランスなどのスニーカーが頻出。
(注9)このフレーズは岡崎京子「リバーズ・エッジ」にて引用されている。これもまた、「今、ここ」にある漫画。 |