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「こどももおとなもおとなでこども」

 現代の少女マンガ「こどものおもちゃ」を読んで思ったこと。
それはすごくいろいろあるし、このマンガへの思い入れもまた並大抵じゃない。 なにより、漫画家志望の自分に、テーマをエンターテインメントするということの重要性(よくある少年ジャンプバッシングで嫌いなのはジャンプ的なものの全否定的な言い方。ジャンプにだってよいマンガはある。そのマンガがどれだけ荒唐無稽だとしても)を再認識させてくれた恩がある。
  なにしろ4巻を見終わった後には作者に感謝の手紙書こうかと思ったくらいだ(^^)
  このマンガは、たとえばここのサイトで紹介しているようなマンガの中ではかなりノイジーで表現もはずかしいくらいストレートだ。表現が親切すぎるため、「説明しすぎ」と思う人もそりゃいると思う。 けど、これはあくまで「りぼん」で連載された、まず子供の読者ありきのマンガである。 それは脇においてはいけないと思う。
  というのも最近子供向けマンガでいいものがあまりないという問題がある。 全体的に青年誌化しているだけでなく、藤子・F・不二雄のような最良の子供マンガもほとんど見られなくなってしまった。(「ONE PEACE」タイプのマンガでは健闘しているものもあるが)
  例えばさっき挙げた藤子・Fのマンガは「ドラえもん」や「エスパー魔美」を見ても明らかなように、子供の視点で見てもおもしろいし、おとなになっても、違う角度から見直せたり、実にシニカル なものもちらりと垣間みせたりしている。 そう、あくまでおとなの視点から、こどもに真剣に向き合っているのだ。 親切に。時には不親切に。
  話を「こどものおもちゃ」に戻そう。 このマンガはそのわかりやすいクオリティからすぐに人気に火がつき、「りぼん」の看板作品に なったわけだが、要所要所に、実におとなびたテーマを内在させている。特にクライマックスの 「人形病」の件では、低年齢層の読者が戸惑うほど、心理的に深い不安や恐怖を執拗に描いている。作者も欄外で「わかりやすい物語を描くのモットーを弱めてしまった」と書いているんだけど、これはしかし、やるべきだった、やってよかったと俺は思うのである。
  こども相手だからってわかりやすくさらさらっと描けばいい、ってもんでは断じてない! むしろ、子供の時にこそ、理解範疇レッドゾーンぎりぎりってものを見ておく必要があると思うのだ。 トラウマというのはオーバーだが、良識と呼ばれてるものばかり見せたところで、よいこが育つ なんてことはまずあり得ない。個人的には逆効果とすら思う。 そして、同時にこどもはこどもじゃない。感覚におとなもこどももないのだ。 中途半端に青年誌のテイストが入って、いいものが少なくなってしまった少年・少女マンガの中で、突破口としての輝きが、間違いなく「こどものおもちゃ」にはあった。 こどものおもちゃ後半のテイストに戸惑った読者も、やがてそこで描かれていたことを大なり小なり追体験していくことになるだろう。 こどもの視点でおとなの世界をのぞいていく。 そうして気づかぬうちに読者はマンガの登場人物の年齢を追い越していくんだ。 (雅)
モドル