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「リアリティの本質」

 ホラー漫画のプロフェショナル、 伊藤潤二に「首吊り気球」という傑作短編がある。 自分と同じ顔をした巨大な首の姿をした気球が、 縄で「自分」の首を吊ろうと襲ってくるという、筋書きの、 ドッペルゲンガーの拡大解釈のようなぶっとんだ漫画だ。 この場合、気球の存在そのものにリアリティはない。 ひょっとしてあるかも、とすら誰も思わないだろう。 では、こんなものが溢れ帰った世界に置かれた 主人公たちの恐怖する心情はどうか? こっちにはおそらくリアリティがある。 そんなことはあるわけないけど、あったら、こんな感じで 怖がるんだろう、という感じに納得できる。 その結果、「首吊り気球」の読後感は、奇妙な現実感を 伴った「うすら寒い感じ」になる。
  リアリティというのは、何もそれを感じさせるために、 ノンフィクションを持ってくればいいというものではない。 設定がどれだけ荒唐無稽でも、さっき述べたような要素があれば、 読者はそこに「リアル」を感じるのだ。
  SFもホラーも、おもしろい作品であればおもしろい作品で あるほど、壮絶に「嘘」をついている。 その嘘自体は現実ではないが、その嘘を塗り固めた中身には 紛れもなく本物が混ざっており、だから読む者はおもしろいと感じる。 それは設定が理にかなっているとか、矛盾がない、とか そういったことを通り越した、本質的なリアリティのことなのだろう。 だから、それを持った漫画は、リアルである。迫力がある。 思わず現実を忘れてその世界に魅入ってしまうのだ。 漫画にとってのリアリティとは、 「如何に嘘の世界に現(ウツツ)の人間を引きずり込めるか」 の目安でもあるわけだ。 うまい手口で仕掛けられた壮絶な嘘に素直にだまされて楽しもう。 信じられないようなことこそおもしろいってもんだ。 (雅)
モドル