漫画時代6号の特集は『時代』です。

漫画と時代との関わりは切っても切れない関係ではないでしょうか?

「漫画の時代劇」ストロング山下(漫画鳳凰殿

漫画というものは、ビッグ・バンから果ての無い未来まで、時間軸からどの一点、あるいは一続きの範囲を抜き出すことが可能です。過去を扱う場合には事実をそのまま扱うことも、時代背景だけを借りて完全なるフィクションとすることもできます。

私は時代劇、チャンバラが好きなので、そういうものを描いた作家にちょっと触れたいと思います。完全に私の好みで挙げていきます。

ダイナミック・プロの永井豪や石川賢は、意外と時代劇が多いのです。もっとも彼らは忍術アプローチですが。過去・現在・未来とうまく(強引に?)からめてSFとなる場合もあります。時代劇ギャグもあります。

御色気時代劇といえば、ケン月影の右に出る作家はいません。S40年代から現在まで第一線(水面下?)で活躍してます。もうひとりお色気時代劇の名手がいます。さいとうプロの武本サブローです。そのものずばり女を主人公に時代劇アクションを展開していました。

下級武士の意気地を描かせたらこの人しかいないというのが、平田弘史でしょう。とても硬派な作画で有名です。

どうにも微妙な線で、さまざまな人間模様を描破してきた大物に小島剛夕がいます。小池一夫と組んでのシリーズはどれもおもしろいです。子連れ狼は機会があれば読んでおくのも悪くはないと思います。

平野仁の眠狂四郎や読切りで発表したものもなかなか良いです。

篠原とおるは数は少ないですが、いくつか描いてます。線が良いですよ。

「バカは何処にいてもバカ」つるんづMIYA(つるんづの漫画大作戦

「もし手塚よりも前の時代に生まれてたら、、、僕が漫画の神様になったのに、、、」

「もしビートルズよりも前の時代に生まれてたら、、、僕が音楽の神様になったのに、、、」

「あの時代に生きていれば、、、何も無い時代に生きていれば、、、僕が先駆者になったのに、、、」

今の文を読んでうなずいた創作者は普通の人です。さっさと平社員になりましょう。

そういやトミーと松の松が濃いので嫌いな時代もあったなぁ。

「漫画と時代のかかわり」くろぶち(FLOW

漫画が読み物として出回った時から時代との密接な関係がある。

まだ駄菓子屋などで売られていた‘赤本’、貸本屋で貸し出されていた‘貸本’。

このころの時代は子供達専門の漫画だった。表現は純粋に呼んで‘たのしい’内容で過激な物は押さえられている。

そして月刊誌の時代へと移り漫画も発展、映画的な手法奥の深いストーリーになる。

世間が学生紛争の頃、ガロの出現。学生たちと密接に結びつく。

その後、スポーツ漫画や劇画が出現。漫画は子供達だけの物ではなくなり、出版ペースも月刊から週間へと移項。

どんどん生活の中へと漫画は溶け込んで雑誌の種類も多岐に渡る。

今ではサラリーマンが通勤電車の中で読む時代。

さて、これからどうなっていくのでしょうか?ジャンプの部数も激減して青年誌の部数も落ちてきていて漫画の時代は終わったと言われる。

漫画でできることは終わったのか?

僕は信じたく無い。これからもガロのように逆に『時代』を作るようなそんな漫画家達、漫画達の出現を待ちつづけるだろう。

そういや毎日ダラダラしてた時代もあったなぁ。

「ゼビウス狂時代」下浦ソウイチロウ(ショートピース

岡崎京子の「東京ガールズブラボー」が好きだ。

80年代といえば僕はまだ小学生で、この漫画の中にでてくるようなサブカルなものは全く無かったし、知らなかった。
そんな80年代を送っていたが、80年代終りに今までにないカルチャーショックにあった。
それは「アキラ」との出会いだった。凄い衝撃だった。今までみてた漫画はなんだったのかとその時は思った。崩壊していく都市が混沌としてて最高に格好いいと思った。
 都市と生活は偶然に出逢う
  もうだれもぼくの心を変えられない(虹の午後に/サニーデイサービス)

そういやゼビウスばっかりやってた時代もあったなぁ。

「漫画の季節です」つるんづマリー(つるんづの漫画大作戦

 その時その時期咲く花があるようにその時はやるモノがある。漫画は色々な物の中咲きつづけた花である。こんだけ咲いてりゃもう枯れないだろう。

しかし時代は巡る。季節も巡る。漫画が咲くには厳しい気候もあるだろう。

 漫画の時代は終わったのかもしれない。楽しいものが多すぎる。では次には何の時代が来るのか?俺はやっぱり漫画だ。かなり確信を持っている。なぜならこれだけ多種多様の漫画が生産され続ける世の中、その上に出てくる漫画はさぞおもしろい事だろう。楽しみだ。

では今、その通りにおもしろいものが出ているかと言えば、それが現状は違っていて生産しつづけた結果、生産しつづける事が目的になっている気がする。

しかしこれは潜伏期間と考える。もうすぐみんなに見えてくる筈だ。

 だから我々漫画家を目指す人はむしろその次である。本当に人々が待っている

ものが芽を吹く、花を咲かせる、そんな素敵な、少しすっぱい季節です。

そういや奇跡的な時代もあったなぁ。

「ジダイ」雅(漫画時代

先人の足跡を歴史とするなら、

その重さにまずリスペクトを送信。

そして受信するのは激震。

積み重ねられた重みに呆然と感心。

ではこれからしていくことは何か?

時代自体ひとりで作るものじゃないが、

ひとりひとりのもの。自らもその一部なのは確か。

次代を迎える全ての表現者、まずスタートを見極める走者。

着地点を見誤らぬように軌道修正しながら終生上昇。

それはとても難しく、時には重みに押しつぶされながら、

それでもなんとか食らいつきながら、この世に爪痕残しながら。

一歩一歩前進、日々記録更新。

次代は時代を確かに生きる奴のもの。

そういやキン消しが溶けて貼り付いたような時代もあったなぁ。


編集後記(くろぶち)

今回、テーマが「時代」という少し範囲が広く抽象的だったので難しかったようですね。そのかわりいつもより様々な意見が出て面白い物になりました。

1999/2/1


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