YOSHITOSHI ABE | |
安倍吉俊 |
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■基本的にはギャグ漫画として、やや上滑り気味に暴走したテンションを維持しつつ、同時に、一人の予備校生の清貧(極貧)生活の中での心情の移ろいを、繊細に描いた青春ストーリーギャグの佳篇。 この、浮かれポンチなギャグの畳み掛けの部分と、思春期的自意識過剰ではなく、もっとシビアで現実的な悩みから生まれる主人公まゆ子の、戸惑い、そして行動の部分は勿論表裏一体である。 なので、読者(特にまゆ子と近い境遇の苦学生、苦社会人(←?))は、その表と裏が交互に立現れるリズムに身を任せながら、スムーズに、日常の風景がそのまま心象風景として浮かび上がる物語世界に感情移入することができる。 更に、まゆ子の個人的問題のみならず、宇宙人と共存することになった近未来世界の社会的、政治的問題なども、このストーリーギャグの裏にはゆらりと、物語りの舞台荏の花の海に浮かぶ宇宙人たちの母船のようにさりげなく浮上している。 これら諸問題をメインテーマとしては決して描かず、あくまで、同居人(タダ飯食らい)の宇宙人ニアをはじめとするブっとんだご近所さんとのボケツッコミにうまく埋没させて、庶民レベルの生活上の視点から、たまにふっと垣間見える問題として描いているのが絶妙。 そして、この生活上の視点から、その問題を垣間見せることができるのは、各キャラクターを背景含め、その世界で生活している人物としてきちんと描けているからである。 だからこの漫画におけるギャグは、きちんと読者を笑わせるギャグとして機能しつつ、同時に祭りにつきまとう寂しさを表現できているのだ。 (これは良質なストーリーギャグに必要不可欠なことのはず) スラップスティックに過ぎ去っていく日々の中に垣間見えるものに、胸がキュンと鳴る。腹もグウと鳴る。 空騒ぎしていても、問題は、宴会でとっちらかった酒の空き瓶のようにいたるところに転がったままだ。 そこから目をそらすわけではなく、でも楽しむ時は楽しむ、そんなまったりとした余裕は常に持ちたい。 これから先、こんな感じのままでやっていくことはひょっとしたら出来ないかもしれない。 でもやっていくんだよ。 と、今日も靴の紐を結び、喧騒と静けさの中を歩いていく。(雅)
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