レビュー

藤子・F・不二雄レビュー2

 

藤子・F・不二雄SF全短編第1巻
カンビュセスの籤

(短編集)中央公論社
藤子・F・不二雄SF全短編第1巻
「劇画オバQ」
■日常に異分子が入り込むことで生まれるおかしなドタバタを描く藤子・FのSF生活ギャグ。
その日常と化した非日常に、再度、異分子「正ちゃんの奥さん」を入り込ませて、非日常を日常に引き戻してしまったのがこの「劇画オバQ」。
奥さんのいる年齢になった正ちゃんは、もはやちゃん付けできる愛らしい存在ではなく、唯一人昔のままのQちゃんはその世界の中でどこまでも浮いてしまう。(絵的にも)
そしてラスト、更なる決定的な異分子の登場で、「オバケのQ太郎」の世界観は現実の中に埋没し、結果Qちゃんは、いるべき場所を失い、漂うしかない、、、
セルフパロディと単純に言うことのできない深く、切ない作品。作者の心象の投影は、晩年の佳作「未来の想い出」でも重く描かれることになる。(雅)

「ミノタウロスの皿」
■人間は考える。地球を支配している生物だと言ってもいいだろう。
だからといって一番偉いわけじゃないと言う事を教えてくれる。
人間と家畜の関係を逆転するという発想で逆になんて人間が恐ろしくて勝手に作り上げた概念にとらわれているか…
一見難しそうでとっつきにくそうなテーマなのに主人公の男の子と読者の視点をいっしょにして可愛い女の子を救いたいという設定のおかげで一気に引き込む藤子・F・不二雄先生はさすがだと思った。(クロブチ)

■『彼らには相手の立場で物を考える能力が全く欠けている』
主人公のこの台詞が、まんま主人公にはねかえってくるすさまじい物語り。牛と人間の立場の入れ替わった惑星に漂着した主人公は、その星の「残虐な風習」を知り、必死でそれをやめさせようとするが、、、、
状況設定、キャラクターの配置、クライマックスの盛り上がり、どれをとっても、これぞ王道というべき、漫画の中の漫画。
藤子・Fの短編の魅力は、心にひっかかるものがあることであり、ひっかかった読者は思考を開始する。
この心にひっかかる、ということはすごく大事なことだ。
思考停止に陥らないための、すばらしい処方箋。(雅)

「カンビュセスの籤」
■藤子・Fは、しばしば命の選択問題を取り上げるが、ここでは一番壮大なかたちでそれが描かれる。
しかし、どんなに背景が壮大であれ、決定の断崖絶壁に立たされるのはあくまで個人なのだ。
藤子・Fはしばしば、答えの出せないような難しい問題を読者に問いかける。そして、読者は考える、、、
なぜ、そんなにまでして考えねばならぬのか?
それもまた、読者への問いなのだ。(雅)

「分岐点」
■あの時こうしていれば、、、
そういった感情を抱いてしまった時点で、もうどうしようもない、ということがSF的に描かれる。
偉そうに言ってるけど、俺もそんなことを思ってしまうことがある。それだけに、このオチには、そういった感情で後ろを向くことの無意味さを改めて、思い知らされるのだ。
と、同時に、それでも迷い続ける人間(自分)のもの哀しさも、的確に表現されている。(雅)

「イヤなイヤなイヤな奴」
■傑作!
読者のキャラクターへの感情移入を完全に逆手にとる。
「やられた!」という心地よい悔しさが、奇妙なカタルシスと共に訪れるラストには感服。
こういうのをスマートな物語りというのだ。
タイトルも秀逸。短編のお手本。(雅)

「間引き」
■本当に怖い話。
すごい作家は、しばしば時代の空気を先取りするが、藤子・Fは何十年も前に、現代を予測している。
愛や傲慢すらプログラムにすぎなかったかのような残酷。
本当にやんなっちゃうけど、目は背けられない。もう見てしまったのだから。
これを読むと、「ドラえもん」などの藤子・Fの子供向け漫画が、間引きの進行を食い止めようとする藤子・Fの無意識の発動のようにすら思えてくる。
子供には夢を、大人には現実を。(雅)

 

 

藤子・F・不二雄SF全短編第2巻
みどりの守り神

(短編集)中央公論社
藤子・F・不二雄SF全短編第2巻
「流血鬼」
■吸血鬼伝説を題材に鋭く描かれる逆転の物語り。
自分たちと異質なものを畏れ、忌み嫌うようになる人間心理と防衛本能を軸に、所詮人間は自分の属する共同体の共通認識による思い込みで行動するのだ、と言わんばかりのクライマックスまでのスピーディーな展開は見事。
ラストシーンの美しさにドキっとさせられる。(雅)

「ひとりぼっちの宇宙戦争」
■地球代表の闘士に選ばれてしまった少年の
地球の運命を賭けた孤独な闘い。
ここで描かれる戦争は一見スマートだが、当事者にとってはたまったものではない。
(「いけにえ」などでも繰り返して描かれる命の選択問題がここでも裏で浮上してくる。)
戦争の本質を描いてる点でとてもシビアな話なのに、語り口が、子供向きなのがいい。(雅)

「絶滅の島」
■この作品のカタストロフ描写を前に、藤子・Fが甘いロマンチストなどと思える読者はいないだろう。
愛らしい描線で描かれた登場人物が、無残に殺されていく描写は、奇妙な怖さや残酷さを生みだす。
そしてその「残酷」ということについて、弱肉強食の構造の中で巧みに語る。
ラストのブラックユーモアは強烈!(雅)

「老年期の終わり」
■名作中の名作!
可能性を見いだせなくなった人類の、繁栄しつつも寂しい老年期に、突然飛び込んできた過去(青年期)から送られてきた青年、、、
青年にとってはノスタルジーも諦めも、そんなのまっぴら御免なのだ。
若々しい希望と枯れた諦念が、ひとつの話の中に見事に同居している。現実の中で見る夢。その物語り。
ラスト2ページで胸を鷲掴みにされる。(雅)

「みどりの守り神」
■あっという間に目の前に広がった、終末の光景。
しかしありきたりな荒廃した廃虚などではなく、それは静かにみどりに包まれていた。
人間と自然の共生の可能性が、皮肉なかたちで描かれるが、ラストシーンから感じ取れる希望に、少しホッとさせられる。
そして、普段気にもとめていない「みどりの守り神」のことを、ふと自然に考えさせられるのだ。(雅)

 

 

藤子・F・不二雄SF全短編第3巻
征地球論

(短編集)中央公論社
藤子・F・不二雄SF全短編第3巻
「未来ドロボウ」
■あの時に戻りたい老人と、自分の将来に早々と見切りをつけた少年。その心だけが入れ替わってしまったら、、、
そうなってみないとわからない、ということが圧倒的にわかりやすい形で描かれる。
そうか、やはり若いということはとてつもなく素晴らしいことなのか。
俺もまだまだそのことがわかってないな。(雅)

「大予言」
■たった7ページでビシっと語られる大予言。
藤子・Fはまったく芸術的な予言者だ。
圧倒的な諦念と暗さが怖い。
俺もそれを知ってたからこそ、そして、目を逸らしていたからこそ、怖いのだ。(雅)

「ある日、、、」
■8ミリ自主製作映像の映写会を舞台に展開される、
伏線もなく、唐突すぎる、説得力あるショートショート。
やっぱり、うまいなあ。藤子・Fは。(雅)

「あのバカは荒野をめざす」
■これもまた、藤子・Fが繰り返し続ける「あの時に戻れたら」エピソードのひとつ。
年老いた浮浪者が云うところの「あのバカ」とは若かりし日の自分自身である。
人間は成長するために、いろいろなものを取捨選択していくが、どこかでつまづいた時、自分の取捨選択に責任転嫁してしまいやすいものだ。
今の自分に目をつぶって、かつての自分をなじってみたり。
確かに過去の自分も甘かったかもしれないが、しかし目をつぶったままで生きるのも能がなかろうぜ。この話は大好きだ!(雅)

「タイムマシーンを作ろう」
■「ドラえもん」で魅力的に描かれるタイムマシン。
しかし、それが完成した時、夢は終わる。
夢は夢のままでおいといた方がいい、そういうこともある、ということ。
作中、主人公の少年が「ドラえもん」の夢を見ているというのが、ほろ苦い。(雅)

 

 

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