AKIYAMA JOHJI | |
ジョージ秋山 |
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「元祖デロリンマン」 ■「少年マガジン」で連載された元祖と、後に「少年ジャンプ」で連載された、2つの「デロリンマン」がありますが、どちらもお薦めです。 最近の文庫版や単行本では2つが合本となってますが、「ジャンプ」バージョンの最終回がカットされたりしています。(俺もまだ未読です) 自分を、人間を救うために現れた天使と確信する狂人「デロリンマン」と、唐突に現れては「おろかものめ!」とデロリンマンを一喝する、謎の怪人「オロカメン」との対比を軸に、自我の暴走と、それによって他者から齎される悲哀が、少年向けギャク漫画の体裁で描かれる。 どうしようもなく残酷な悲喜劇であり、かなしみを抱えて生きてゆく人間存在そのものが、軽いタッチで、ずっしりと重くのしかかってくる。 凄まじい業の収斂された問題作。 もう何十年も前からジョージ秋山が不変であることの証明。(雅)
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■ふと、何かを振り返ったとき、さっきまではっきりと確かだったものの輪郭はうっすらとぼやけ、経過と共に膨らんだり萎んだりしたイメージで 加工された、かつてのあの瞬間を決して完全に再現できない記憶の残像のみが微かに暗黒の中に浮上する。 その残像は、既に真実ではなく、まことからでたうそである。 しかし、うそはまた、その中にまことを孕む。 さて、人に告白するとは、一体どういうことであるか。 たとえば、あなたは人に告白したことがあるだろうか。 それは、ほんとうに、真実あなたの本心であったか。 過去は、ほんとうに、真実あなたの過去であったか。 真実だと断言できるあなたは、「告白」とは無縁だ。 しかし、本当は深く縁があるのに気付いていないだけなのかもしれない。告白すべきことから、目と心を背け続けてるだけなのかもしれない。 かもしれない。かもしれない。かもしれない。 現実に付きまとうあらゆる疑問の渦、渦、渦。 疑心暗鬼の渦、渦、渦、渦、渦、渦、渦、渦。 私のやっていることはなんだ! 私とはなんだ! 稀代のトリックスター「ジョージ秋山」は、陰惨で取り返しのつかない告白を突然口にするや、ラストシーンまで読者の心を暴力的にさらってゆく 罪作りな人攫いとして、この作品の中に居る。 そしてラストシーンにて、彼のもうひとつの顔をまざまざと見せられたとき、読者は絶句し、「ジョージ秋山」は手の届かない所に走り去る。 私の読んだものはなんだ! この感覚の正体はなんだ! 私とはなんだ! 答えは私以外には誰も教えてはくれない。 いや、それは私すらも… 「ジョージ秋山」に最初に言われたとおり、確かにこれは、「私、自身の物語」だ。 まことからでたうそに私、自身を発見し、うそからでたまことに私、自身を発見する。(雅)
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■オナニスト狸穴勇介と、その矮小な周囲の「からっぽの世界」を、果てしないスケールの精神描写で描いた、近年屈指の問題作。 実現できない欲望を抱えたまま、実現できる欲望を叶えるために行動。 全てが嘘っぱちでありながら本当。 行動があって、それについての考察があり、考察に基づいてまた行動、後暴発し、後悔した後に飽きずに行動、以上繰り返しの、ああ無常。 「かなしさ」をひたすらに描き込む救いがないようであるようで、やっぱりなさそうな、人間ドラマ。 とてつもなく大きなものと対峙していただけに、雑誌の休刊に伴った未完気味の完結が悔やまれるものの、決定的な内容は、既に描かれている。 それは1巻第1話の段階から、いや、ジョージ秋山がデビューした瞬間から延々繰り返されている死ぬ迄終わることのない問答であり、ゆえに今後も描かれていくであろう主題の輪廻転生である。 すなわち、所詮我々は自我を捨てがたき。 だからこそ「捨てがたき人々」の物語りは何時読んでも、心の奥底にズン、と響くのだ。それは、諸行無常の響きなのであろうか?(雅)
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