頭 YOSHIMI UCHIDA
内田善美

プロフィール
1974年、「すみれ色の季節に」(雑誌にも未掲載の幻の作品)で「りぼん賞」を受賞し、「なみの障害物レース」でデビュー。
少女漫画家としては桁外れの圧倒的画力と、詩的で幻想的(あくまで現実と交叉した)なネームの巧さで高い評価を受ける。
少女漫画が心理表現に主眼を置いていると仮定するなら、まさにその最高峰に登りつめたひとり。
しかし(或いはだから?)84年の「草迷宮 めらんこりかる Shopping」を最後に現在まで長い断筆状態がつづいている。

 

 

レビュー

星の時計のLiddell
(全3巻)集英社
星の時計のLiddle
■繰り返し見る同じ夢の中の館と少女に囚われた男、ヒューと、『私たちとはちがう』彼に魅了され、彼の夢について探るうちに、心の深遠に向き合う旅につきあうことになる男ウラジーミルの2人を軸に描かれる思考の移ろいの記録。
 あまりにもキー・ワードの多すぎる作品のため、今回は「実(ジツ)」ということに絞って書こうと思う。
 ヒューは劇中で『脳が持ち得た意識、ひいては精神にとって次元枠などたいした問題じゃない』『嘘であることが存在を否定することにはならない』とウラジーミルに語る。これは、実(ジツ)じゃない、夢の世界に、発狂することなく平然と没入していくヒューを常識的見地でたしなめたウラジーミルに対し、発せられたきわどい返答である。(これに限らず、この漫画の台詞は慎重に解釈しないとキケン)
 例えば漫画を読む、という行為は、ある種、嘘を食べるようなものだ。現実ではないもの。しかしその嘘は吸収されることで、読んだものに実を残しうる嘘だと思う。
 クライマックス、ウラジーミルは思考の果てに突然、「 」を発見する。「 」の内容は当事者以外が具体的に語れるものではない。説明不能な、それこそ霞のように不確かなものだ。しかし、それは確実に彼にとっての実(ジツ)なのだ。
嘘の物語り「星の時計のLiddell」は読み終えた俺の心に「 」を残した。(もちろんウラジーミルの「 」と俺の「 」は違う)まだとても、その「 」を言葉にする余裕はない。
この「 」はいまだ不明確で雑多な問題でもあるからだ。ただ、こういった「 」を残せる漫画が豊かな実の在るものであるということだけは言える。
逆に言えば、この「 」にあてはめられる既成の言葉が発明されていないからこそ、この物語りは漫画で語られたのだろう。
『こんな巨大なエネルギーが何かを生みださないはずがない』(雅)

 

 

モドル
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