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VORIOUS ARTIST |
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V.A. |
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■文藝春秋の編集による、60年代に発表された様々なタイプの漫画を作家1人につき、1編づつ網羅した短編集。 まとめて過去の代表的漫画に触れることのできる好編集で、昔の漫画をどのあたりから誰の作品から読み始めようか、 見つけだすひとつの指針にもなりうる。オールディーズには2種類しかなく、即ちその時代の流行の徒花となって、古びて いくものと、普遍的に魅力を放ち続けるものとである、といった発言をしたのは、ミュージシャンの山下達郎だが、この傑作集の中身についても同じことが言えるだろう。そして、今なお古びない輝きのようなものは、確かに散見できるはずだ。 佐々木マキの「うみべのまち」やつりたくにこ「六の宮姫子の悲劇」のように、現在は入手困難な漫画も収録されており、 有り難い。今は絶版ながら、相当数が出ているはずなので、古本屋などで見つかる頻度は高いほうだと思います。 値段も、そう高くはなっていないはずです。(雅)
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■「コミック・キュー」などでも試みられた「漫画のカバー」。 これは永井豪の「デビルマン」を何人もの漫画家がそれぞれカバーするという、講談社による豪華企画である。 企画タイトルには、新しい視点で「デビルマン」を再構築する、と言った野望が込められているのだと思われるが、正直な感想を言えば、残念ながら、同企画のカバー作品の多くは原作の足下にも及んでいない。 それは何故かというと、オリジナルに忠実すぎるからだ。 (それはそれで、オマージュという点で正しいかも知れないが) 「デビルマン」で既に提示された世界観から1歩も出ていない以上、オリジナルにかなうわけがない。 そんな中、「デビルマン」で提示された作品内ルールはそのままに、自分の作品に昇華することに見事に成功したのが、黒田硫黄による、「ゼノンの立つ日」だ。 冒頭とクライマックスで、見事にオリジナルとリンクさせつつ、ロードムービーのように、「黒田硫黄の漫画」を展開している。 漫画のカバー、というのは、非常におもしろいと思うし、どんどんやっていいと思う。「ゼノンの立つ日」のような収穫が、これからももっと増えるのならば。 「ゼノンの立つ日」は、単行本第3巻に収録されているので、一読をお薦めする。漫画をカバーする、ということについて、いろいろ思いも馳せるはず。(雅)
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