頭 TAKAO YAGUCHI
矢口高雄

プロフィール
昭和14年雪深い秋田県の田舎に生まれ大自然の中で育つ。
一度は地元の会社に就職しサラリーマンの生活を送るものの、30歳を迎えるころになり夢だった漫画家を目指すこととなり、ガロにて漫画が入選し晴れて漫画家になった。
言わずと知れた釣り漫画の元祖「釣りキチ三平」などをはじめ、自然や動物、田舎などをテーマにした作品が多い。
「幻の怪蛇・バチヘビ」の影響で日本全国に「ツチノコ」の存在を広めたり、日本の教科書誌上ではじめて漫画がのった人でもあったりする。
色々と漫画が変化する時代の中、ずっと変わらず良質な少年漫画にこだわり続けている人である。

 

 

レビュー

マタギ列伝
朝日ソノラマ
マタギ列伝

マタギ
(全1巻)中央公論社
マタギ

■山で熊などを狩る狩人の「マタギ」の集団をテーマにした話。
「釣りキチ三平」のイメージからは遠い絵柄にまずビックリした。「釣りキチ」よりも以前の作品であり、ガロに投稿して漫画家になった経歴から見れば不思議ではないけれど、白土三平を彷佛とさせる劇画調なのである。
東北の雪山で熊と闘うマタギ集団には厳しい戒律があり、言葉遣いから行動まで独特の文化があり、厳しい自然のなかを風や地形を読み巧みに動き回る姿はまさに現代の忍者のようで格好いい。
しかしこの物語はマタギが凶悪な熊と死闘を演じて打ち取るところをドキドキしながら楽しむというそういったものではないのだ。
常に背景に「大自然と生き物」という大きいテーマが存在していて、熊も人間もその中で生活している同じ生命としてどう生き抜くかという部分が描かれているのです。
師匠から弟子、親から子へと受け継いでいく大切なもの、食物連鎖、自然との関わりなど普段街で文明に囲まれて人間中心の生活を送っている人間に忘れているものがつまっています。
1話完結式なのだが、1話読みおえる度に色々と考えさせられる。

左に本が2つ並んでいるのは、実はこの漫画は最初「マタギ列伝」が連載されていたのだが、これからという所で突然出版社再度とのトラブルにより連載が中止になってしまったのだが、人気もあり矢口高雄本人にとっても大切な作品だったため、雑誌を移してまた設定は同じだが新しい漫画として下の「マタギ」が連載されたのである。
両方とも読んでみたが、僕個人としてはやはり途中で終わってしまっているものの、「マタギ列伝」のほうが主人公が途中で銃を持つ事ができなくなったり、結婚したりと色々とあって面白かった。(クロブチ)

 

 

ボクの手塚治虫
(全1巻)朝日新聞社
ボクの手塚治虫
■矢口高雄もトキワ荘に集った石ノ森章太郎や藤子不二雄、その他大勢の漫画家と同じく、手塚治虫の漫画に見せられた子供の1人だった。
この「ボクの手塚治虫」という漫画はもともと矢口高雄の幼少時代をモチーフとした自伝漫画の1部であったのだが、連載の途中に手塚治虫が亡くなってしまい、追悼の意味も込め、手塚治虫の漫画との出会いの部分を切り取って独立して1つの漫画になったものである。
手塚治虫が出てくる漫画は「まんが道」など多数あるがこの矢口高雄の「ボクの手塚治虫」はちょっとそういった漫画とは違う。
普通の漫画家の自伝漫画の場合、どのようにして漫画家になっていくかのサクセスストーリーだけど、この漫画は戦後すぐの田舎での子供達の暮らしを描いている。東京や大阪の街とは全く異なった文化といえる田舎では勉強第一でなく生まれた時から家の農家を継ぐ事があたりまえの状況。物流の面からみても漫画などが目に入る事は全くない社会なのである。
この漫画は戦後すぐの田舎における漫画の状況の記録だと言える。
そんな状況の中で矢口少年が手塚治虫の漫画と出会い彼の中で大きく何かが変わっていく。雪の中をまる1日かけて街の本屋まで雑誌を読みに行く姿などは感動である。
「だからどうした」というような描写は一切無いけれど、読み終えて、今こうして僕らが普通に漫画を読める状況がどうして存在するのかという事が少しわかったような気がします。(クロブチ)

 

 

モドル
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