脚本家 古谷壮志の
「わーるど・いず・のっといなふ」
「燐多について・・・」その5

世界が平和であれば良い、私もそう思う。だけどそんな理由で殺された人間の名前で歴史の教科書は一杯だ。そんな大義名分を振りかざす奴はろくな奴じゃない。

平和の定義や正義の定義も人によってあいまいだし。なんせ胡散臭い。燐多のキャラにはその考え方が大きく反映されている。

彼はむかつくから敵と戦っただけで。世界に新たな希望を見いだしたわけではないし、劇中にもそんな描写は全く無い。

つまり、問題を乗り越えたわけでも成長した訳ではないのだ。ただ物語の流れに騙されるとそういう錯覚も充分に起こし得るようになっている。

そこが問題だったのだ。(面白かったからそれでも良いんだが)出来れば面白くて、作者の意図やイデオロギーなんかも適切に伝わるような作品であれば良いのだが、なかなかそうも行かない。

えらい長いことかけて色々書いてきたが、作家としてこういった行為、つまり後になって自分の作品を解説するなんてことはかなり邪道だし反則なんだが、それでも書ききれない部分はかなりある。

次回作はこういった歯痒さが出来るだけ残らないようにしたい(自己満足にならない程度にではあるが)このコラムを読んだ人には是非次回作を観ていただき、次回はどうやってジレンマを解消したかをその目で確かめていただきたい(出来ていればの話だが)

改めて最初から読み返してみたが何書いてるのかよく解らなくなってきたので今回はこの辺で。

次回、「IN THE HEAT OF THE NIGHT」にご期待ください。

燐多「虹が美しいのは、それを構成するそれぞれの色が輝いているからだ。そして、それぞれの色にちゃんと居場所があるからだ。どれか一つの色が秀でているか らでも、色が別の色を支配しているからでもない、それぞれが美しく輝いている。だから美しい。世界もそうあれば良いのに…」
Back