脚本家 古谷壮志の
「わーるど・いず・のっといなふ」
「亜細亜の怒り」

私はブルース・リーのファンです。誰でもその出演作を一度は見たことが有る筈だが今回はそのブルース・リーについて。

私はブルース・リーの映画を見た後感化されて腕立て伏せなんかしちゃったりしたほうなんだけど。最近またブルース・リーの映画を観る機会があったので、改めてじっくりと観てみた。

私がその映画を初めて観たのは随分と前の事なんだけれど、今改めて観てみると内容的にはなんということのない内容なのだ。

冷静に考えてみるとブルースの映画って殆どストーリーは無いし、見え見えの伏線と勧善懲悪の単純なストーリーとしか見えない。(アクションは今観ても凄いんだけど)映画としても照明なんかかなりいい加減だし、カットもつながってなかったりしてこれもかなり適当である。

では何故そんな作品に感化されたファンが沢山いるのか?それは単純にブルースが魅力的な存在だったからであろうと思うんだけれど。何にそんなに魅力を感じたんだろう?と考えてみた。

私が思うに、それは彼の「怒り」ではなかったろうかと思う。彼はどの映画でも洒落にならないほど怒っている。それも、何もそんなに・・・と言いたくなるような単純な理由なのだ(映画のストーリーの上ではね)彼の怒りの本当の原因はなんだったのか?

それは多分自分がアジア人である事に対する強いコンプレックスからではなかろうかと思う。ブルースは育ちは香港だし両親も香港人で生粋のアジア人なんだけど実は生まれはアメリカ(サンフランシスコ)で国籍の上では実はアメリカ人なのだ。

んでもって一旗上げようと渡米して大学に通ったりして(カンフーについての真面目な学術的研究なんかもしてる)スターになろうとするんだけど国籍ではアメリカ人なのにアジア系という理由から端役ばかり、彼を主役に起用したTVシリーズも企画されるんだけど空手の出来るアメリカ人(ロバート・キャラダイン)にそれを取られちゃったりして香港に帰ってしまう。

でも香港では彼が端役で出演したTVシリーズ(グリーン・ホーネット)が放映されててアメリカで活躍するアジア人ってことで大スターになっていたのだ。そして彼のカンフースターとしての人生がスタートするんだけど。

過去の経験からか彼の映画で最終的に彼が戦うのは大概白人で、それもアメリカ人なのだ。(「燃えよドラゴン」ではアジアを裏切ったアジア人を倒すんだけど)アジア人の観客が鼻持ちならない傍若無人な白人を面白いようにぶっ飛ばすブルースが格好いいと思っても無理はない。

アジアの歴史を観れば明らかだ。彼の怒りを端的に表している部分は最後に敵を必ず殺してしまう所にある。エンターテイメントに重点を置いたジャッキー・チェンのカンフー映画とは大きな違いだ。

むしろジャッキーの方は世界の動きと同調していてアジア人と白人社会との協調路線を打ち出していると言っても良い。しかし、ブルースの頃とは時代が違う。

香港人は協調路線を打ち出しつつも、そういったアジア人としての怒り(プライド)を今でも持っている様に私には見えるのだが、日本人はどうだろう?同じアジア人としてそういった怒りを持っているのだろうか?

協調というよりは言いなりになって踊らされている様に見えるのは私だけだろうか?機会があればブルース・リーの映画を観て彼の「怒り」を感じてみて欲しい。そして考えてみて欲しい、彼の「怒り」に触れた時に、自分が何を感じるのかを。
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