脚本家 古谷壮志の
「わーるど・いず・のっといなふ」
「龍の棲息む町」

個人的な事情から数日の間、東京で過ごした。東京といえば私が思い出すのは荒俣宏の「帝都物語」だろうか。機会があれば読んでみる事をお勧めする。

物語中では東京に巣くう悪霊だの怨霊だの妖怪などが登場する。荒俣氏が東京を舞台にそういった物語を書いたのは何となく理解できる気がする。

「帝都物語」によると東京は風水学上かなり重要なポイントらしく、「地龍」というのが住んでいるらしい。東京で地下鉄に乗っていてその事をふと思い出した。 東京の地下鉄は大阪ではあまりなじみが無いが、所々で地上に顔を出す。

地下鉄とは言いながら地上に駅がある場合が少なからずある。 そんな地下鉄に乗っていると巨大な竜が、ちょうど干潟に放り込まれたうなぎの様に地面に潜っては顔をだしてうねりながら蠢いている様であり、地下に潜ったかと思うといつの間にか地上に居るという、実に奇妙な感覚に襲われる。 荒俣氏もそういったところに着想を得たのだろうか?

久しぶりに東京に来ている友人に再会した。彼曰く「東京では誰とも口をきかなくても生活できる」らしい。 基本的にそれはどこに住んでいようと同じなんだろうけれど、東京ではそれをより強く感じる。どうしてなのかと考えると、現在の東京というのは基本的に移民の町だからなのではないのだろうか?

極力ドライに振る舞おうとする東京に憧れてやってきたいわゆるシティ派と呼ばれる地方出身者たち、地元に住む人間は東京の住民であることをステイタスと考えるか、あるいは地方出身者を蔑視する。

文化の中心であるおごりと一種の上昇志向が複雑に絡み合って東京には満ちている。同時に欲望や怨念に近い思念も同じく満ちている。 その満ちているものに屈すると、先に述べた友人のように殻に閉じこもった生活を送る羽目になる。

そして彼自身も鬱屈とした思念を放ち始めるのである。 荒俣宏が「帝都物語」を書く上で参考にした江戸時代の資料に「百鬼夜行」というのがあった。昔の人は夜になると江戸中の魑魅魍魎が行進をするのだと考えた。

現在の東京の夜にはヤマンバギャルが闊歩し、「個性的」というレッテルを求めて奇抜なファッションに身を固めた若者たちが蠢いている。 江戸時代に考えられた「百鬼夜行」というのはある意味未来を予言していたのかも知れない。

少なくとも江戸時代の人間が現在の東京の夜を見たら、魑魅魍魎たちが百鬼夜行を繰り広げている様に見えるだろう。 「地龍」の話だが、様々な思惑で人々は東京を訪れる、そんな人々の思念が統一される瞬間がある。それは電車に乗って移動する時だ。

行き先は違えど「目的地に向かう」という統一された思念を持った人間達が乗り込んでいるのである。通勤ラッシュ時は特にそうだ。人間をすし詰めに乗せて走る列車は、様々な思念を駅ごとに振りまいて走っていくのである。 これはある種の生物であると考えても良いだろう。東京に住むという「地龍」。

東京の地下鉄はまさに「地龍」である。「地龍」はいずれ天に昇るというが東京に住む竜はどこに向かうのだろうか?
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