脚本家 古谷壮志の
「わーるど・いず・のっといなふ」
「神真似の系譜」

現代を象徴する若者達、人々の憧れ。かつてのそれは軍人であり、野球選手、力士。その時代によって様々だった。今のそれはどうだろう?

現代を象徴する若者達。まず思い浮かぶのは宇多田ヒカルだろうか。それから西武の松坂、イチロー。サッカーの中田かな。

現代の若者の個性の喪失なんて言われてるが、それはいつの時代でも言われる事なので置いておくとして、先に上げた人物の共通点は何だろうか?

カリスマ性か?天才肌か?それも有るんだろうがもっと根本的な所で、マスコミに露出している彼らの顔というのは基本的に澄ました嫌な奴等なんじゃないだろうか?

彼らの天才的な能力というのは天性のものもあるんだろうが、普通の人間にはおよびもつかない努力によって裏打ちされている筈である。

にも関わらず、彼らは一様に「こんなことくらいどうってことない」と言わんばかり。

「出来る奴は大抵嫌な奴だ」とはよく言うが、それにしても何故彼らは努力している姿を隠すんだろうか?(そんなことを考える私は天才ではないんだろうなあ)

まあ、もしかしたら彼らからすれば努力することは当たり前のことで、本人からすればそんなこと努力でもなんでも無いのかもしれない。だが、回りはそうは見てくれない。

マスコミに至っては見させてくれない。天才が努力している姿などニュースにも金にもならないもんだから結果だけを追う。一般の人間も又しかり。

これってかなり危ない。見ているだけなら何とでも言えるということを忘れて、自分も努力なんかしなくても「自分の持っているものだけで十分通用する筈だ」なんて考えちゃうんじゃないだろうか?

それって只のダメ人間なんじゃ…?以前みたインタビューでカリスマ美容師と呼ばれてる人が言っていた。「弟子入り志願が沢山来るんですがその内の9割が使えないですね。使えない人間に共通しているのは「努力は嫌だけど巧くはなりたい」という所ですね。努力はいるでしょ特に技術系は…云々」

カリスマ美容師とか言われてもてはやされていても、それは努力の結果であることを知って一寸微笑ましかった(無免許ではあったが)一面的に物事を捉えると、努力の結果も神懸かり。

以前に取り上げた「326」なんかの風潮がそれを加速させていく。憧れるのは構わないが神真似も程々と言った所だろうか。貴方の憧れの存在はどうだろう?
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