脚本家 古谷壮志の
現象学的人間論と、うずまき
この物語はフィクションであり、
登場する人物、団体名は実在のものとは
一切関係有りません。

ぐるぐる編その1

 私には傍から見れば妙な友人が何人かいる。これは、その中でも指折りの奇妙な友人である渦巻助教授との日々の記録である。

 彼と最初に出会ったのは私が大学に入学してまだ間もない頃であった。最初に述べておくが本編の主人公はあくまで渦巻助教授であり、私は記録者でしかない。故に私の役目はシャーロック・ホームズで言うところのワトソン博士であり、「渡る世間は鬼ばかり」で言うところの石坂浩二である。

 私が通っていた大学は関西のとある芸術系大学で、私はそこで映像による芸術表現を選考していた。そこは学科事態が実に奇妙な所で、教授陣は年中アルコールの匂いを発していた。生徒たちも実に変わっており、そんな中に渦巻助教授(以下教授)もいた。学科には全国から生徒が集まっており、人見知りする人間の集まりでもあった。

だが流石に映像を学ぼうと集まっただけに映画という共通言語を持っており、映画の話題を通じて皆は打ち解けた。しかし中には打ち解けない人間も居て、教授もその一人であった。彼は何時もツンと澄ました顔で授業を受け、休み時間は某かの本を読んでいた。そんな彼がある日突然話し掛けて来たのである。どうも私の読んでいた本に興味を抱いたらしい。私はその時、ボネガットの「猫のゆりかご」の文庫を読んでいたのだ。

「君、僕はボネガットを読んでいる人間を初めて見たよ」

 それが彼の第一声だった。後に解ったことだが彼は読書家で、SFやミステリーなんかが好きらしい。確かにボネガットを読んでいる人間は珍しいだろう。私自身今だにお目にかかったことは一度もない。蛇足ではあるがこの時、彼はボネガットに妙なニックネームを勝手に付けており、その時もボネガットとは言わずにそのニックネームでボネガットを呼称していた。今となってはそのニックネームは失念してしまったが、教授自身に尋ねても私同様失念していた。失念してしまう位なんだからどうでも良いことなのだろう。次に彼が発した言葉はこうである。

「君、ピンホール同好会に入らないか?」ピンホールというのは最も原始的なカメラの一種である針穴写真機のことで、彼はそのピンホールの愛好家だったのだ。彼曰く「ピンホール同好会というのは「何それ?」の枕詞である」とのことらしい。確かに何それ?と言いたくなる。私はその当時ピンホールカメラの事を知らなかったのだ。言わずもがな、私は言った。

「何それ?」

「ピンホールカメラの愛好会だよ。誰でも簡単に出来るんだぜ」これも後に解ったことだが、ピンホールカメラによる写真撮影はそれほど簡単なものではなく、写真技術に関する知識が結構必要だったのだが彼はこの時そんなことには全く触れなかった。どうやらピンホールを切っ掛けに仲間が欲しかったらしい。

 次回は私が彼の助手になった経緯を話す事にしよう。

      つづく

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