脚本家 古谷壮志の
現象学的人間論と、うずまき
この物語はフィクションであり、
登場する人物、団体名は実在のものとは
一切関係有りません。

ぐるぐる編その3

 第二食堂での会話を食堂のオヤジが聞いていたかどうかは解らないが、聞いていれば恐らくこう言っただろう。

「なに馬鹿なこと言ってるんだ」実際バカみたいな提案であった。

「君、大学内の全ての食堂の冷し中華を食べ比べて見ないか?」教授はそう私に提案したのであった。彼の頭の中は言ってみれば、ダンスのステップがサイドステップからボックスに切り替わった様なもので、素晴らしい提案をしたと自分では考えているんだろうが。傍から見れば下らない提案であった。

「どうしてですか?」私は思わずそう聞いた。

「そりゃあ君、調べる必要があるからだよ」私は首を傾げた。

「何でまた・・・?」

「実は雑誌を作ろうと思ってるんだが、その中の特集記事として学内冷し中華食べ比べというのを考えてるんだ」私は言った。

「なら最初からそう言えば良いじゃないですか」

「最初からそう言うと、君が客観的な意見を述べないんじゃないかと思ってね」

 彼の意見には一利あった。だが後に解ったことだが、彼は遠回しな、というよりまどろっこしい言い方がどうも癖らしく。相当な臍曲りでもあった。恐らく彼は最初からそんなことは考えていなかったに違いないのだが、今となっては解らない。

「雑誌というと・・・どういった?」私は尋ねた。

「雑誌は雑誌だよ。だが同人誌といった類の物ではなくて、単なる雑誌だ」

「内容は?」

「好きな物を書けば良い。何でもいいんだ、だからこそ雑誌と呼ぶんじゃないのかい?」「まあそうですけど」私は取材に参加することを承諾し、その場は彼と別れた。

 数日後、取材は開始された。学内には当時4種類の冷し中華が存在した。第一、第二、食堂、王将、ヴィラージュ、それら4つの食堂でそれぞれ独自の冷し中華をメニューに入れていた。私はもう一人の助手であるフジオカ君と共に第一、第二食堂、と王将の冷やし中華を食べた。取材を終え、雑誌制作に取り掛かろうと言うところで大学は休みに入ったため、教授は実家に帰省してしまった。実家が何処に在るのかは知らなかったが。「僕の実家の近くの池にはワニが居るという噂があってねえ・・・云々」と言っていたので、多分東京の練馬区だろう。一方の私はと言うと、当時私は小劇場劇団の設立に関わっておりその準備として勉強のため、同じく東京で数日間を過ごしていたのだが。それは本編にあまり関係が無いので割愛することにする。

 そうこうしている内に夏休みも明け、私は久しぶりに教授と再会した。その後に起こる信じがたい事件の数々のことなど何ら予期しないままである。

                              らせん編に つづく

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