脚本家 古谷壮志の
現象学的人間論と、うずまき
この物語はフィクションであり、
登場する人物、団体名は実在のものとは
一切関係有りません。
らせん編その2
 私たちは雑誌の原稿を片手に大学に向かった。道中、教授と私はフルイ君について話し合った。
「あんな不味いお菓子をよく二つも食べられますねえ」
「学生の一人暮らしというのは人間をああも変えてしまうもんかねえ」
「どういうことです?」
「あんなに不味いお菓子をぺろっと平らげてしまうなんて、余程貧しい食生活を送っているという証拠だよ」
「悲しいですねえ・・・それより、彼の髪の色を見ましたか?」
「ああ、金髪だったね」
「髪を染めるお金はあっても食費は無いということですか?」
「いやいや、そうじゃないよ。君は少し観察眼に欠ける所があるようだね」
「じゃあ何か他にも?」
「気付かなかったかね?彼の目、青色になってたじゃないか」
「そんな・・・一体何が?」
「きっと・・・・限界を超えたんだろう・・・・」
「はあ?」
 そのことに対する彼の推理はこうだった。「フルイスト」ことフルイ君は自らの独自の表現技法である「フルイズム」を追求するあまり、人間としての限界を超えてしまったのだ。それによって、彼は「超サイヤ人」ならぬ「超フルイスト」になってしまったのだ。金髪になったのも眼球が青くなってしまったのも、それが原因だろうということだった。 私は「教授って意外にバカだな」と、素直に思った。
 私たちは大学前の急な上り坂に差し掛った。
「どうしてこの大学はこんな変な場所に建ってるんだろうねえ?わざわざ作ったのかなこの坂?」教授が言った。私も同感だった。大学のカリキュラムにも不満はあったが、何よりの不満は正門前のこのバカみたいに急な上り坂であった。後に解ったことだが、この坂は芸術系大学だけに、「芸の道は厳しい(険しい)」ということを学生たちに体感させる為に、意図的に作られたものであった。まるで小話のような話である。
 急な坂を登り切った所で、教授も私も思わず立ち止まってしまった。坂の上には信じられない光景が広がっていたのである。教授も私も、ほぼ同時に同じ言葉を口にしていた。「なんだこりゃ・・・?」
 それは正に「信じられない光景」という表現が最も適した光景であった。後にも先にも私がこんな感覚に陥ったのは、ラジオでサザンオールスターズのコンサート中継を聴いていたら、そこに何の関係もない西条秀樹がいきなり登場して、コンサートに飛び入り参加した様子を聴いた時だけだったろう。
                          つづく

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