脚本家 古谷壮志の
「わーるど・いず・のっといなふ」
「嫌み系で行こう!」

大阪のシンボル、といえば最近はユニバーサルスタジオなんかだろうか?通天閣、大阪城、道頓堀。結構色々あるけど、忘れてならないのは「太陽の塔」だ。

何時だったかは失念したがその昔「大阪万博」が開かれた際のシンボルだったらしい。私は当然万博の年になんてまだ生まれてもいないからよくは知らないが、塔の存在は知っている。

太陽の塔を作ったのはあの「芸術は爆発だ!」でおなじみの岡本太郎氏だ。私は常々思っているのだが、大阪万博の開催時のテーマが確か「進歩と調和」だったらしいのだが。

あの太陽の塔の何処が「進歩と調和」なんだろうか?今でも緑豊かな緑地公園の真ん中に馬鹿でかい姿もそのままに座っているあの塔。開催時は色々なパビリオンが並んで、緑地公園も「進歩と調和」してたかもしれないが、今はそうではない。あの塔は間違いなく場違いだ。

しかし、よくよく考えてみると、もしかしたら岡本太郎の狙いはそこにあったんじゃないだろうか?岡本氏は実は自然と人間の共存つまり「進歩と調和」等というのは、近代以降の人間の文明においてはあり得ないと言うことを我々に言いたかったんじゃないだろうか?

それを証明するかのように、太陽の塔に隣接するように建てられた空中都市「アクロポリス」(だったと思う)は見事に朽ち果て、数年前までは展望台としても解放していたらしいが今ではその余りの老朽化のために閉鎖され、解体を待っている。

だが塔は何一つ変わることなくそこにそびえ立っている。それもその筈、塔には別に使いようが在るわけでもなく、ただそこに無用の長物として置いてあるだけなんだから朽ち果てる事もない。それに、当時最新の技術が投入された只のコンクリートの固まりなんだから、ちょっとやそっとでは朽ち果てたりしないだろう。

太陽の塔をを見ている、エジプトのことわざを思い出す。

「歴史は人をあざ笑い、ピラミッドは歴史をあざ笑う」

ピラミッドはその造られた意図すら分からない只の石の固まりだ。太陽の塔もまた同じ。岡本太郎はきっと、万国博覧会のシンボルを隠れ蓑に人間の文明に進歩と調和などあり得ないという強烈な皮肉をあの塔に込めたはずだ。

そうじゃなかったらあんなに馬鹿でかく作る筈がない。緑地公園は人々を癒す「癒し系」の場所だが、その中にそびえる塔は強烈な「嫌み系」な訳だ。少なくとも人々がそれに気づくのはもっとずっと後の事で、あの塔が何百年、何千年と残っていたらの話である。

だがきっとあの塔はピラミッドと同じく歴史をあざ笑う事だろう。それに気づいたとき、人間はどんな生活を送っているのだろうか?
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