脚本家古谷壮志の
「わーるど・いず・のっといなふ」
「落ちた黒鷹は何を観る?」


話題の映画「ブラックホークダウン」を観た。


流石に最新作だけあってど迫力のすごい映像で見ごたえは十分。最近の映像技術の進歩には目をみはるものがある。


観る前に友人から聞いていた話では。「近代(現代)の戦闘シーンというのは兵器が進歩してるせいかやたらと人が簡単にサクサク死んでいくので観ていてつまらない」ということらしかった。



言われて観れば確かにそうで、友人も「プライベートライアン」と比較していた。内容はというと、93年にソマリアで米軍が遭遇した戦闘の一部を忠実に再現しているそうで、その顛末が描かれているだけの映画なのでこれといったストーリーがある訳では無いのだが、簡単に言うと、ソマリアの内紛の中心的なゲリラの幹部を米軍が逮捕し、内紛終結に向かわせる思惑で展開した作戦が失敗、挙句に急襲部隊の援護にあたっていた戦闘ヘリ「ブラックホーク」が撃墜されてしまい、近代稀に見る市街戦に突入してしまうというものだ。




まあそこらへんは歴史的事実なので、ここで書いてしまってもネタばらしなんて言う人は居ないだろう。米軍は最強の特殊部隊「デルタフォース」を投入し急襲作戦を展開し、その護衛にはレンジャー部隊が当たっていた。



特殊部隊と聞くといかにも強そうな印象を受けるが、実際は従事する作戦が特殊なだけで、それに応じた訓練をしているにすぎない。特殊な作戦というのも、要は大規模な師団を率いる必要の無い作戦、或いは隠密性を要する作戦。例えばゲリラ基地の急襲、暗殺、情報収集が主で、違っているのは装備くらいのもんである。



劇中でも急襲の担当はあくまでデルタの役目で護衛に当たるレンジャー部隊の方が遥かに人数が多い。流石に失敗の許されない小規模な作戦に投入されるだけあって精鋭ぞろいは当たり前だが与えられている装備は劇中の描写が正確ならかなりのものである。



まず急襲作戦にはデルタ専用の小型戦闘ヘリで移動。それに四人ずつ分譲して3台のヘリで降下する。その他、暗視装置やボディーアーマー。装備している銃器などは私の知る限りでは最新の物である。



マニアックに細かくあげると、例えば銃器ならレンジャーが主に装備しているのはM16A2と呼ばれる単純なライフルであるがデルタが持っているのはそれを更に改良し、収縮式ストックや様々なアタッチメントを付け替えることが可能にしてあり、全員の銃にダットサイト(簡易等倍スコープ型照準機)が装備されていたりする。



これは急襲を目的とした装備なので当然と言えば当然ではあるが、それにしても単純に、実に金のかかった部隊である事が解る。作戦自体はデルタとレンジャー部隊を合わせて五十人程度で行われた様で、その内デルタが15人程でその他はレンジャー部隊だった様だ。


近代稀に見る市街戦とはよく言ったもので、状況は滅茶苦茶そのもの、いち早く急襲を察知したゲリラ達に援護するために上空で待機していた戦闘ヘリ「ブラックホーク」を二機も撃墜された部隊は、街の住民がほぼ全員ゲリラの民兵という市街地に取り残されてしまい、総勢三千人からいる民兵達がウヨウヨいる市街を、逮捕したゲリラ幹部を連れて逃げ惑う羽目になった上に墜落したヘリの乗員の救出にも向かわなければならなくなった。



五十人程度の少人数で援軍も即座には到着出来ない状況で、である。最悪だ。銃器やロケット弾を手にした三千人からいる民兵を前にして出来ることと言えば限られている。ただただ撃ちまくってひたすら逃げるしかない。現実にそうなったようで、映画の三分の二はその描写で占められている。





何に驚いたかというと、その状況の滅茶苦茶さもさることながら、記録されている両陣営の損害規模である。記録によると米軍側の死者が19名、ゲリラ側が1000人以上ということらしい。思わず「?」という文字が頭に浮かぶ。いくら何でも差が有り過ぎるんじゃなかろうか?しかも米軍側は19名のうち少なくとも4〜5名はヘリ墜落の際に死亡した乗員である。



ということは実際の戦闘で死亡したのは12〜3名ということになる。ハッキリ言ってこれは恐るべき数字である。兵力は互角どころか圧倒的にゲリラ側が上回っている上にゲリラ側もこん棒やクワを手に襲ってきたわけではなく、前述の通り銃器を携えている訳である。それも豆鉄砲程度の物ではない。旧ソ連製のカラシニコフや英製のG3など、大口径で威力のあるライフルが殆どでそれ以外にも榴弾やRPG(ロケット弾)なんかもわんさか出てくる。




にも関わらず米軍が全滅することはなかった。まあ最終的には後方部隊が近くに居たパキスタン軍や米軍の山岳師団を率いて救出さえるような形になったとは言え個々の部隊の戦闘力は驚異的と言ってよい。偶然が重なったとしても生き残れるような状況ではない。物量に差があったとして、これらの違いはいったいなんだったんだろうか?




たしかトム・クランシーの小説「レッドオクトーバーを追え」の中にこんな台詞があった。「訓練と準備を怠らなければ、乗り越えられない事態など無い」もちろんこれは登場人物の軍人の台詞である。



軍隊は恐ろしく色々な事態を想定して兵士達を訓練している筈である。当たり前の話ではあるが、特に軍人としての訓練を受けていないであろう民兵とはやはり格段に能力に差が出てくる。



米軍の死者数の少なさにはそこに鍵があるように思える。つまりはやはりやって無駄になる努力は無いということだろうか?生きていくには如何に様々な事態を想定し下準備をしているかで結果が随分と変わってくるものなのだろう。



本来ならここで閉めたいところだが、どうしても、前述したような私の疑問が現在の中東情勢とダブってしかたない。パレスチナでの死者数は発表されているのがどれだけ正確なのだろうか?何せイスラエル軍の師匠に当たるのは米軍な訳で、きっとそれは、私の想像を遥かに越えるものなのだろう。単純な感想としては、監督は来日記者会見で「私はこの作品で戦争の賛否については描いてない」とうことらしかった。



なんて無責任な奴だと私は軽蔑したが、映画では明らかにそれは描かれていて。普通に考えてあんな状況に飛び込みたい人間がいるはずがない。
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