親子 平壤分教会長                         中村清子  H11,8 

年々に高齢化社会になってまいりまして、私も御多分にもれず、すっかりとその仲間
入りをしてしまいました。私の身内に痴呆症の姑さんを夫婦と娘三人で介護し、なか
なか大変な様子を聞いておりました。そのような中でも皆明るく通って、娘達もおば
あちゃんの仕草を笑いながら話してくれておりましたが、先達て家族の温かな世話取
りの許に、出直しされました。 
娘達も次々と結婚し、男の兄弟が無いものですから、末娘だけは家を継ぐものと思っ
ておりましたら、その娘もやがて他家へ嫁ぐことになりました。そしてその相手の方
は、一人息子でそのお母さんが又、痴呆症でありました。会社づとめをしている息子
さんがお母さんの面倒を見ていて、お昼休みに会社から帰ってきて世話をし、また会
社へ戻るという毎日だったそうです。末娘はその事を承知で、私もうちのおばあちゃ
んでなれているから、お世話をさせてもらえると言って嫁いで行きました。近所の方
も毎日一人で 居られる時は、心配でしたがお嫁さんが来て下さって安心しています
と喜んで下さっています。主人も毎日労ってくれ手助けしてくれているそうで、昨年
元気な男の子を授けて頂きました。目下、お姑さんの介護と育児に勇んで頑張ってい
ます。
一昨年、大教会主催の親子おぢばがえりには新婚間もないこの若夫婦が、お母さんの
両手を引いて、神殿前を歩いている所の姿が、河原町報に写真となって載っていまし
て、思わず目頭が熱くなりました。これが立派な親子おぢばがえりだわ、と感激致し
ました。
思い方一つで陽気に日々を通らせて頂けるものだなあと教えられている私です。
昔、平壤の母から何度も聞かせてもらっていた言葉に
 「喜べは 喜び事が 喜んで 喜び連れて 喜びに来る。」
 日々通る上での座右銘にさせてもらっております。