楽しみの道をいつまでも我心より拓く末代の道 恭智分教会長 田中実
「お前は千人に一人というところをおたすけ頂いたのや、何べん葬式を覚悟したか分
からへん、神さんのお蔭やで」と、いつも初代会長から聞かされていた。その私が、
今年六十五歳、年金を頂戴する年を迎えた。(六十五歳から老人と呼ばれるそうであ
る。あまり嬉しくない言葉だが)よくぞ今日までと思う。全く親神様の御守護はもと
より、初代の信仰のお蔭である。種々の深い因縁の姿に、その納消を決意して、盛業
中の商売を捨てて道一条に断ちきった初代会長、そして至らぬながらも二代の道を通
らせて頂いている。お蔭で現在、私は健康な妻と子供三人、六人の孫をお与え頂いて
人並みの喜びを味合わせて頂いている。誠に有難いことである。
最近、脳梗塞で入院している人のおさづけにやらせて頂いているが、この脳神経科
の病室は私より年若い人が多いようだ。皆、血管障害で脳梗塞とか脳血栓等で、ほと
んど身体の自由がきかない。言葉も話せない。奥さんが呼びかけても反応がない。食
べさせてもらう食事も口から漏れる。中には時々「アー」とか「ウオー」とか奇声を
発する人がいる。奥さんや家族が来て世話をしてもらう幸せな人は少なくて、ほとん
ど病院に任せきりである。食事から下(しも)の世話まで看護婦さんは大変である。
少しでも寝たきりにならぬよう、リハビリに心掛けておられる。中でも軽症な人は、
病院の廊下を端から端まで行った来り来たり。お顔を拝見すると、元気な時は、さぞ
イバッテいただろう頑固そうな元社長さんか校長先生かと思わせる風貌である。杖に
すがって足を引きずり、リハビリに一所懸命はげんでおられる。その後ろを見ると、
はしょった寝間着の下のステテコには、お尻に黄色い便の跡、まったく気の毒な姿で
ある。誰しもこんな姿になりたくてなっておられる人は一人もない筈である。因縁の
姿か、一寸した心の向きが違っていたのか。人ごとではない、自分の明日の姿かもし
れない。元気で見舞いに行ったり、おさづけをさせて頂ける自分がどれだけ有難いこ
とか。因縁深い私には何が現れて来ても、文句は言えない。ひのきしんするのも、身
上が達者に御守護頂いていなければ何一つ出来ないのである。
六十五歳、まだ老いたとは思わないが、いつ惚(ぼ)けないとも限らない。惚
(ぼ)けるという字と惚(ほ)れるという字は同じ字だという事を最近になって知っ
た。
教祖に惚れ、神様に惚れ、おたすけに惚れぬけば、いつまでも 惚(ぼ)けないで
御用にお使い頂けるかも知れない。有難いことに、お道に停年はない。