「・・・・おやさまのひながたがありますでしょう、もうそれがホント、心強かった。もう、どんな時でもね、教祖のひながたがあるじゃない。”その中を喜んで通ってこそ本当の陽気ぐらしじゃない 。喜べることに喜ぶのは三つの児でもできる。でも喜べない中をひながたじゃないかとおもいましてね、もう、(涙声)ホント、教祖と一緒に通らしていただいた。ですから、もう親に申し訳ないことも不足はないし、商売の店のソバガ売れないことも、これも皆、神様の試練じゃと思うて、もう全て教祖と二人連れと思うてる。そして、教祖が時には『お前ようそこまで通ってくれるなあ』と喜んで下さりよるなあと自分独り喜んでいる。(笑声)」 これはご承知の事と思いますが、地方講習会のビデオの中の「よふぼくこゝにあり」の一場面です。夫婦が大変難儀苦労の中、心を合わせ、信仰を基盤として商売を始め、四十数年経った今では行列のできる程のラーメン店にした姿。どんなに忙しくてもにをいがけを欠かさず、又、心の確かな拠り所として教祖のひながたがあり、必ず見守って下さっているという確固たる信念。思わず目頭が熱くなり、これが「よふぼく躍進地方講習会」の否、お道の真髄だと思いました。世上では、オウム真理教はじめ、法の華、ライフスペース等々、心痛む事例が多すぎるが、人間の強欲の姿そのままであり、論じるに値しないと思う。「よくにきりないどろみづや こゝろすみきれごくらくや」とお教え頂くお道は、素晴らしい一言に尽きる。我々は唯ゝ、この最後の御教えを確り自覚し「誇りと信念」を持って突き進み、どんな時にも有難い教祖のひながたの道を歩めば間違いはないのである。二000年に向ってコンピューターの誤作動が云々されているが、我々は、「ひながた」があり誤作動はない筈である。我身は恥ずかしい限りであるが、成人に向かって日々努めたく思います。