中澤せつ子 日乃丸分教会 私が今も大切に残している一通の手紙があります。それは三十六歳の時、卵巣腫瘍の 身上を頂き憩の家に三週間入院した時に主人である会長がくれた手紙です。前年に母 が子宮癌で出直し、毎日/\母の思い出ばかりで心を倒している時でした。“どんな 当り前の事にも「ありがとう」と言える感謝の心、「すみません」と言える謙虚な 心、「どうしたの」と言える思いやりの心をしっかり自分のものにしてほしい”とい う内容でした。 私はなか/\”ありがとう”“すみません”が言えません。又“どうしたの”と優 しい言葉も言えません。その後も会長自身の身上による八ヶ月の入院、又、私の二度 目の入院と次ぎ/\と厳しいお仕込みを頂きましたが、多くの方々の真実と優しい心 に触れどんな中も喜んで通らせて頂けるよろこびの台を経験させて頂いたのだと、親 神様の深い親心を悟らせて頂きました。 自分の身上を通して身上者の方の心を分からせて頂き、その方の身になっておたす けに励ませて頂こうと努力しています。おたすけに出させて頂くと母を思い出しま す。出血の中も勇んでおたすけに歩き、癌を恐れず最期まで神様にもたれて眠るよう に出直した母の姿、又一方日乃丸の前会長は、脳梗塞の身上で右半身が不自由になっ ても、いつも上級平安西の事を思い、看病している私に“おおきに”“すまんな あー”と言って下さり、優しい温かい心の父でした。 主人はいつも、おたすけに出させて頂く時は、“お母さんのおたすけの道中を思い 出し少しでも近づけるよう頑張れ”と言ってくれますが、母のように神様に凭れきる ことも出来ず、又、前会長のような温かい心にもなれません。 我教会神殿ふしんの前後には、次々と役員さんの奥様に大きな身上のお手入れを頂き ました。一人は大腸癌で手術を受けられ、私は手術後に付添いをさせて頂き同室の人 にも毎日、二人三人とおさづけの取り次ぎをさせて頂きました。又、奥様も元気にな ると隣のベッドの人におさづけを取り次いで下さいました。お蔭で人工肛門を付ける こともなく御守護頂かれ、奥様と共に親神様に御礼を申しあげました。 私はおさづけを取り次いだ後、必ずその方の手や足、背中をさすらせてもらいま す。以前読んだ“重症の枕もと”という本の中に、手当てということが書いてありま した。“宗教家が神の力で治してあげようなんていっている間はだめである。絶望で あることを知っていながら、尚足を運んでくれる宗教家の愛情と信頼の中に病人のた すかる道がある。病人が治る道ではなく、たすかる道である。病人が痛いと言えば優 しくその場所に手を当てる。その手の温かみを通して人間同志の愛情と信頼が通い、 そこに病人が孤独から脱する道がある”と書かれてありました。私も入院中に深谷忠 政先生が来て下さり、お腹に手を当てて、“お腹の中に出来ている腫瘍を溶かしても らうような温かいぬくもりの心で通りや、子供を宿す所だからしっかり理の子を授け て頂きや“とお仕込み下さり,おさづけを取り次いで下さいました。届かぬながらも 元気に御用をつとめさせて頂ける昨今、肝に銘じております。 此の度、婦人会創立九十周年の旬に、『育つ努力・育てる丹精・一手一つの和』の スローガンを踏まえて歩んで来ましたが、先日長男の結婚の御守護を頂き、何も分ら ない未信者のお嫁さんを教会にお引き寄せ頂きました。今、まさに育てる丹精にかか らせて頂く時を迎えました。 先日、委員部長講習会で“自分自身が教えに基づく厳しい道を通り、理づくりをし なければ育たない”と聞かせて頂きました。又、会長からも“お前のつとめ方次第 や”と言われ身の引き締る思いです。未だ成人途上の私自身が、“育つ努力”をさせ て頂く時をお与え頂き、これからも勇んでつとめさせて頂きたいと存じます。