大下道治
私は去る一月二十四日から二月一日までの九日間、おぢばの青年会特別ひのきしん隊に参加させて頂きました。ご承知のように青年会本部のひのきしん隊は、上から言われてつくられたものではなく、青年会長様を中心にあくまで青年会員の自発的な思いのもとに発足したもので『やかたの完成その日まで』を合い言葉に今日まで続いている活動であります。現在は、南右第一棟・二棟の普請現場に於いて、瓦運びを中心としたやかたふしんの関連作業を行っています。しかし、その作業といっても、内容はまち/\で、日によってはセメントを練って職人さんに届けるだけの作業や、寒い地下二階の更にその下にある汚水層らしき所(その数は半端ではない)の掃除という日もあります。これならまだ動けば暖まるし、やっているんだという気になり勇めるものです。しかし、朝の出動時にひのきしん隊の軽快な音楽に送られながら『さあ!おやさとふしんの担い手となろう!』と掛け声の元、勇んで現場に着くと、一日中ヘラやコテの水洗いという日には、「こんな事をしていて情けないなあ」「若い職人さんからはどのような目で見られているのだろうか」と、くだらないことばからり考え、勇みにくいものであります。しかし、たかがヘラ一つ、コテ一つの水洗いがどれだけ役に立っているかと考えると「職人さんたちにとっては作業がしやすく、仕事が捗る。仕事が捗れば良いふしんが出来る。これ程大きな伏せ込みは無い」と、思い方を変えれば、その心しだいでいくらでも勇むことが出来るものであります。私はついつい、楽な仕事、格好いい仕事、おいしい仕事、これはあの人の仕事と勝手に線を引いてしまっていることがあり、反省させて頂いております。春季大祭に於いて大教会長様は、『上級の御用、大教会の御用を通して、しっかりと徳積みをさせていただこう』と、をや親への真実の伏せ込みの大切さを強調されていました。組織の中の役割さえしていればそれでよいように思いがちですが、自分の時間に畳一枚でも、例えガラス窓一枚でも拭かせていただこうとの心で日々をつとめさせて頂きたいと思います。