先代に見る珠玉の想い出抄
                        平東分教会長夫人 丹治道恵

毎月発行されています「平安西」月報の題字を拝見させて頂く度に、先代会長(父)
の事がいろ/\と偲ばれます。思い返せば大東亜戦争が始まり、京都の街もだん/\
危険になり、平安西内部の役員先生方も徴兵や炭坑ひのきしんにと駆り出されたり
で、あとには少人数の女性と子供ばかりの教会になってしまい、父が唯一の男性とな
りました。そんなある日、「平安西もいつ戦火に見舞われるか知れないので、教会に
ある神様の大切な道具や祭儀式に使用する装束等を疎開させたいから手伝ってほし
い」と言われ、それぞれの品物を玄関の門の入った所に置いてある赤車(荷車)に運
び、水筒に水を入れ、父は足にゲートル、私もモンペに運動靴、背中に防空頭巾を
しょって父の引く荷車の後押しをして、川端通りを一路平龍分教会様へ行きました。
その時は不思議にも空襲に遭う事もなく、無事に運ばせて頂き大変お世話になりまし
た。父は「暑くて大変だけど喜んで運ばせて頂こうネ。」と言うが、荷物は重いし足
は痛くて半べそをかいている私を励ましてくれました。それは、確か私の小学校五年
生の時だったと思います。又、父の代理で、京都市内のご部内教会様へ度々書類や連
絡物を届けに参りました。そんな時はいつも「神様のお使いの御用をさせて頂くのだ
から」と、何事にも不足に思わないで喜んで、勤めさせて頂くようにと言われまし
た。又、ある日の朝早く、沢山ある教会内の便所掃除をしている私を見て「便所掃除
か、ご苦労さんやなあー。人の見ていない所を一所懸命ひのきしんさせて貰うのや
で、人様にお礼を言われる様なひのきしんでは、陰の徳を積んだ事にならへんからな
あ」と、人の見ていない所で徳を積む事の大切さを教えて頂きました。
 母も又「“実るほどこうべを垂れる稲穂かな”の通り、どんなに立派になっても、
教会にはいろ/\大勢の方がお参りに来られるのやから、人様には頭を下げてお辞儀
をして低い心で通りなさい。そして、言葉一つで相手の方を喜ばせたり、いずませた
りするから、その使い方には特に注意するよう心がけなければいけないよ」と教会に
居る者の心使いの大切さを仕込まれました。
 幼少の頃、私は祖母(大下ゑい)と寝起きを共にしていました。その部屋には、ご
部内教会の会長様、奥様がよく出入りされていて、その折、私はよく可愛がられてそ
の先生方からいろ/\と大切な事を教えて頂いた気が致します。
 平東の初代会長様も、青年時代に東京へ布教に出られ、九十歳で出直しされるま
で、毎月欠かさず、酒一合に茹で玉子二〜三個を持ち、白色麻の絣、袴姿で八時間か
ら十時間かけて親教会へ伏せ込みされました。今なら新幹線で二〜三時間で京都へ着
く事を思うと、本当に大変な事だったと思います。
 長男、佐一が生まれて二〜三ヶ月の頃、平東にお風呂が無かったので、夕方早目に
銭湯へ行ったある日、帰り際に急に強い雨が降り出しました。早く帰らないと教会に
用があるのに困ったなあーと思っている処へ、平東の先代会長様が傘を届にかけ込ん
で来て下さり、自分はそのまま自転車に乗って雨の中を白い袂を風になびかせながら
走って帰られました。そんな姿に接した時、涙の出る程人の優しさが身に染みて、有
り難さを感じました。何も言わずに、只々黙々と人様に喜んで頂ける様に身を持って
導いて下さった様に思います。
 教会生活をしていますと、嬉しい事 もあれば嫌な事もあります。自分に辛い事が
あったり、嫌な事を聞いた時、「神様が私に、醜い固い石のような自 分の角を一つ
づつ削って取り除き、丸く磨き上げ、光り輝く宝石となるようにとお手引きを頂いて
いるのだから、 決して不足に思わず、その人の後姿に 両手を合わせてお礼を申し
なさい」と、よく父母に聞かされました。極当 り前の事ですが、なかなか実行出来
ません。
 私の主人も時々身上を頂きますが、 お蔭様でその都度御守護を頂いており ま
す。本人の伏せ込みもありますが、 平安西代々会長ご夫妻、平東の先代会 長ご夫
妻の伏せ込みと徳のお蔭と感謝 致しております。
 今後も平安西の理につながる部内教 会の一員として、陽気ぐらしをモットーに
親々のご恩を忘れず、徳を潰さないように陰の伏せ込みと徳を積ませて 頂き、ご恩
報じの道をつとめさせて頂きたいと思っております。