宇野浩司 江濱分教会長
なんとか無事、年を越したと言うのが今年の元旦の感慨でした。振り返れば何と騒々しい年越しであったことでしょう。「コンピューターが誤作動するのでは 」との大騒ぎに、一体何がどうなるのかと尋ねられ、困った方も多かったのではないでしょうか。その上、非常用の食品や物品を買った等、災害襲来の予告に恐々とした年の瀬でした。 月の終わりをみそかと言い、年の最後の日を大みそかと呼びます。十二月三十一日から一月一日への移行は、毎日の日替わりと何ら違わないことですが、年が変わるという事は、やはり大きな区切りなのです。 昔から年越しと正月は、それぞれの国や民族のしきたりや習慣によって迎えるものですが、今回の年越しは、世界中を一つの緊張に包んでしまった感がありました。こんな事はかつてなかった事態でした。何がどう現われたり、停電したり、暴走したりするのか、あるいはないのか、予想はつかないが、日時だけははっきりしている妙な予告ですから、用心しろと言われても、もう一つピンときません。今回の出来事は、「固唾をのむ」と言う言葉がピッタリくる感じで、多くの人が待機したり、不安を感じたりした事でしょう。事実、何万という人々がその瞬間の不測の事態に備え、徹夜の働きをされました。しかし、何事もなく無事二000年の年が明けました。誠にご苦労様な事でした。まずは、大災害や大事故がなかったことを祝うべきでしょう。済んでしまえば、何だ大層に言って備蓄の買い物をどうしてくれるのかと、ぼやく向きもあるかもしれませんが、用心というものは本来、無駄になって良かったのであり、備えが役に立つ時は危機に直面、あるいは遭遇しているという事なので、空振りの無駄をしても喜ぶべきではないでしょうか。「転ばぬ先の杖」は、平時は邪魔な物です。 教祖の教えてくださったこの道も、またしかりです。そういう意味で今年は、また、別の意味のおめでとうが加わる誠に不思議なお正月でありました。