世界たすけは私達の使命なり 横田えつ ♪〜輝やくあけぼの今、陽は出でて〜♪ 毎朝五時過ぎ、十月半ばのこの時間帯はま だ日の出を拝む事はできませんが、教会の門口を娘は北へ、私は南へと自転車のカゴ に朝刊を詰め込み、薄暗い冷気の中を新聞配達に出かけます。夜明け前の新しい空気 を胸一杯に吸い込む時、前述の婦人会歌の一節が自然に出てくるのです。それが、四 ・五月頃の歌詞通りの美しい情景に出合えた時などは、鼻の奥がツンと痛み、目頭が 熱くなるほどの感動を覚えます。吹く風に、そよぐ木々に、さえずる小鳥に、道端の 雑草にさえ神様を感じ生かされている事の純粋な喜びに浸れる私の大切な時間でもあ ります。 さて、全世界に大きな感動を与えたオリンピックの幕が閉じました。その時を待って いたかのように、冷戦状態にあった世界のあちこちで再び紛争が始まりました。肌の 色こそ違え、うれしい時には手を叩いて喜び、肩を抱き合って健闘を賛える。悲しい 時、口惜しい時は肩をおとす。その同じ感情の表現を数日前にオリン ピックで見 たはずであるのに、争いを起こしている国の人達の凄惨な報道が同じテレビでみせら れているこの現実は何とも言いようのない悲しみを感じます。 全ての人間は創造主である親神様からこの身体をお借りしている訳ですが、オリン ピックに出場した選手達のような強靭な精神と肉体の鍛錬をした人の心、片や世界の あちこちで傷つけ合っている人達の心を比較する時、心の自由を許されたその使い方 のあまりの違いに恐ろしさを感じます。 私が毎朝鼻歌まじりに拝するお日様と同じお日様を見て、その国の人達も朝を迎えて いるはずなのに、きっとその心には歌など口ずさむ余裕も明るさもないでしょう。 人が傷ついてうれしい国はありません。まして家族が殺されて喜ぶ人種もないはずで す。紛争や内戦に喘ぐ国の人達は、親神様がお創り下さったこの身体の同じ感情表現 ができる真に解放された心の自由を一日も早く取り戻して頂けるようにお祈りするば かりです。