ASICの歴史 (99年10月更新)

それはコンピュータからはじまった (膨大な回路をすべてLSI化したい)

当初、コンピュータは真空管で作られていました。真空管には寿命があります。膨大な回路を必要とするコンピュータには、大量の真空管を使っていました。このためにしょっちゅう故障します。1時間もするとどれかが壊れると言われるほどでした。

真空管が壊れる確率が8000時間に1本と仮定します。1台のコンピュータに8000本の真空管が使われていると、このコンピュータは1時間に1回壊れると言う計算になります。これでは動いている時間より修理に掛かる時間のほうが長くなってしまいます。寿命を延ばすためには、どうしても半導体を使う必要がありました。半導体なら、ほぼ半永久的に動作するからです。

当初、コンピュータは非常に高価な装置でした。1台が数億円もしました。生産台数が少ないので専用のICを開発するのは困難でした。専用ICを開発するには莫大な費用と半年〜2年とも言われる開発期間が必要だのです。しかしそれでも装置の値段が高いので開発する費用を捻出する事が出来ていたのです。

マスタースライス (レディーメイド)

LSIは一つずつ専用設計をしていました。しかし、コンピュータは複雑な装置なので、どこかにミスがあります。コンピュータが完成するまでにはたくさんのやり直しが必要なのです。ちょっと手直しするだけでも大変なお金と時間がかかっていました。

コンピュータ屋さん達はうまい方法を考えました。基本的な回路を最初から作って置いて、配線を変えるだけで手直ししてしまう方法です。基本的な回路を『マスター』、欲しい回路(配線)を施す事を『切り出す』と言う意味で『スライス』と呼ぶ『マスタースライス』と言う方法を編み出したのです。つまり失敗した部分の手直しは配線のやり直しだけで済む方法です。

これでLSIを製造する際、最も時間がかかる拡散行程を共通化する事ができました。配線なら2〜3日で出来ます。しかし、拡散行程は半導体に不純物を熱で拡散する工程なのです。1000℃と言う高温で、何日もかかって拡散を数回繰り返す事でようやく下地(マスター)が完成します。従来、毎回、最初からやり直していたのです。

ゲートアレイ登場

日本ではマスタースライスと呼んでいましたが、ちょうどこのころアメリカでゲートアレイと言う製品が出始めました。あらかじめゲートを並べて置いて、必要な配線をすればLSIが出来ると言うのです。まさに日本のマスタースライスと同じ考え方でした。

電卓をマイコンと呼んだように、マスタースライスをゲートアレイと呼んだのです。ゲートアレイはマイコンではやれなかった超高速処理が可能なのです。

CMOS−1

私たち半導体屋は、昔から、少量(10万個以下)のLSIを手軽に作ることができると良いなぁ、と思っていました。

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