その後、お葉書を頂きました。
北京で飛行機が落ちたのをみたとき、ある下士官が長い鉄の棒を持って『曹長機です』と涙ぐんで居たのが印象的だった。との事です。親父の戦友だそうです。なぜ長い鉄の棒を持っていたのでしょう?
飛行場は北京郊外の南苑と言うところで、敵機の空襲にあったそうです。その後、軍医とは親しくしており、良いお医者さまだった、との事です。親父は、全身火傷で複数の医者が左右から治療をしてくれたそうです。上手な人とそうでない人の差があり、今でも両手の色が違うのはそのせいだとか。80近い今でも、足には鉄砲の弾が入っており膝が痛むことがあると言っています。
20年ほど前になりましょうか、親父が、あまりにもおなかが痛い、と言うので入院した事があります。検査で『腎臓におかしな陰がある』との事で、医者は不思議に思い摘出しましょう。と言いました。本人は手術を大変いやがっていました。私には戦争の時の弾だ、と言うのです。私が医者に話したら、やっと納得したようです。レントゲンの陰があまりにもおかしいので不思議に思っていたそうです。鉄だと周囲におかしな陰が出る、と言うことでやっと納得した様です。そこで、何十年も経過しているのだから、弾なら放置しましょう。と言うことになりました。親父もやれやれ、と一息つくし、医者も何とか納得がいった様で一件落着、、それにしても医者嫌いで、医者に何も言わない親父にも困った物です。