シリコンバレー (1998年3月21日更新)

●なんでもない田舎町だった

アメリカの西海岸にあります。でも、シリコンバレーと言う地名はありません。 サンフランシスコから南へ向かって80Kmほどのところにサンノゼと言う小さな町があります。 このサンノゼから北をみると、はるか遠くにサンフランシスコがある (実際は見えません) と 言う事になります。 この付近一帯をシリコンバレーと呼びます。

ここは30年前は何でもないただの田舎でした。 日本から訪問すると、いまでも田舎町に見えますが、 現地の人たちは 『ものすごい混雑』 になってしまった、と言っています。

ここは世界で最も活気のあるハイテクの町です。 インテルやHP (私が大好きなヒューレットパッカード社)、 SUN、アップルなど、みなさんにおなじみの会社をはじめ パラボラアンテナがイッパイ並んでいるヒューズエアクラフト社 (宇宙開発など航空、軍事の会社) などのハイテクの会社が軒を連ねています。 軒をつらねると言っても実際には隣の会社との間には広い芝生があって、 ゆ〜ったりとしていて我々からすれば『ぽつん』『ぽつん』と点在していると言った感じです。

サンノゼ空港には東京成田からアメリカン航空の直行便も飛んでいます。 ジャンボジェットではなく少し小型の飛行機ですが、とても便利なので、この直行便が好きです。 税関もフレンドリーです。 私が展示会でもらったシリコングラフィック社の帽子をかぶっていたら、 おまえはシリコングラフィックに勤めているのか?と聞かれました。

●開拓者精神

話は200年ほど前の西部開拓の時代に遡ります。 当時ゴールドラッシュが起きました。 一攫千金を目指す者たちが未開拓の西部を目指しました。 西部は一気に活気つきました。 大陸横断鉄道の経営者はゴールドラッシュで大儲けをしました。 この富豪は娘のために学校を作ったのです。 サンノゼとサンフランシスコの間にあるスタンフォード大学がそれです。

開拓者精神旺盛な西部にあるスタンフォード大学では
最も優秀な生徒は会社を作る。
次に優秀な生徒は、最も優秀な奴が作った会社で一緒に働く。
並に優秀な奴は、大企業にでも就職すればいい。
と言われているそうです。

日本と違って終身雇用制ではありませんから彼らは自由に転職します。 むしろ5年以上同じ会社にいるのは誰からも引き抜いてもらえない人、 と言われて価値のない人だと言われていました。最近はこの考え方も若干見直されていますが、、
会社が気に入らないとか、もう少し給料を欲しいと言うならじゃんじゃん転職してしまいます。
いい部下を集められない上司には上司の資格はないのです。 上司は部下に好かれる環境を整備して、いい仕事をしてもらう必要があります。 いい部下が集められるのはいい上司と言う事になります。 つまり優秀な部下に好かれる人がいい上司なわけです。
会議は、出席してみて、もし自分に関係ないとか、つまらないと思えば、 途中でさっさと帰ってしまいます。 会議の主催者 (上司) は、その会議でなにをするのかを明確にして実りある会議を開くわけです。
テーブルには上司が用意したお菓子が置いてあったりします。

開拓者精神とは一攫千金を目指すわけですから、一儲けしようという精神があります。 ビルゲイツが2兆円の資産を1代で築く事が出来るのも、 アメリカの自由な精神の基でのみ可能な事、ではないでしょうか?

●自由な雰囲気

シリコンバレーは全く自由な雰囲気のところです。 会社に固執するという考え方がないので企業秘密と言うことへの考え方が日本とは異なります。 私たちがなにか知りたいと言えば何でも教えてくれます。 逆に『あなただけに』と言って教えてあげた事が、 あっという間にシリコンバレー中に知れ渡っていてビックリする、 と言った事もありますから注意が必要です。

会社に固執しないので、おつきあいは、どこの会社に勤めているとか、地位などは関係なく、 その人の性格や実力が評価されます。 ですからなにか悪い事をすると、それ以後は周囲から『あの人はこんな人』と言う噂が知れ渡り、 社会的な地位を失う事になります。 どこかの国の大蔵省やら銀行のような不公正な事があれば、その人はそれなりの人と見なされて、 それ以後は主要ポストへはつけなくなるわけです。

規制や風習にとらわれず人間同士のつきあいが出来る場所、そんな感じの町です。 この町に暮らす人たちは比較的おおらかです。気候が温暖で、割合に収入もいい。 そんな町でした。 しかし毎日1000人も流入すると言われるメキシコからの不法入国者が南から次第に北上しており、 近年かなり治安が悪化してきたと言われています。 それでもロスに比べれば、まだまだ人々はおおらかで、おつきあいしやすい土地だと言えます。

●シリコンバレーの周囲 (観光スポット)

車で、北に1時間弱でサンフランシスコ、南に3〜5時間ほどでロサンゼルス、 西には低い山脈を越えると太平洋があります。

お勧めは、西に1時間ほど走り太平洋へでてからさらに南下したところにあるモントレーです。 モントレー水族館には野生のラッコがいます。 親にはぐれた子供のラッコを飼育して海に返す作業をしていたり、 水族館で説明してくれる人たちがみなさん地域のボランティアたちであるなど 商業主義の水族館では味わえない【雰囲気】を味わう事ができます。

モントレー水族館をすぎると17マイルと言う有料道路があります。 アメリカで有料道路は珍しいです。 高速道路もただですからね。 私が知っている有料道路は、ボストンとサンフランシスコ周辺の橋、それに、 ここ17マイルだけです。

●私の先生

いまから30年前、日本には半導体の技術はほとんどなく、全てをアメリカから教わっていました。
am4 この写真に写っている瓦礫の広場は『フェアチャイルド社』の跡地です。 フェアチャイルド社は当時世界でもっとも技術力のある半導体メーカーでした。 この会社が持つ半導体の基本特許の日本総代理店をしていたうちの会社は、 この会社からいろいろな事を教えてもらいました。 半導体の作り方、検査、検査装置、使い方からマーケティングまで、何でも教えてくれるのです。 彼らからすれば、私は発展途上の小さな島国から来たみすぼらしい若者だったから、でしょうかねぇ?

やがて、フェアチャイルド社で半導体の技術を学んだ人たちの一部がスピンアウトして インテルと言う会社を作りました。 さらにインテルからスピンアウトしてザイログ社を作った人たちもいます。 多くのエンジニアがこのフェアチャイルド社から育っていったのです。

フェアチャイルド社は『フェアチャイルド&カメラカンパニー』(良い子のカメラ)と言うそうです。 つまり子供向けのおもちゃのカメラを作っていたようです。 おもちゃ会社が半導体で大当たりして世界最大の半導体メーカーに育っていったわけです。

フェアチャイルド社はカメラの技術を使った プレーナー方式 という画期的な製造方法を確立しました。 元々オモチャのカメラを作っていた会社なので 写真の原理で半導体を作ってしまおう、と思ったんでしょうね? 写真の技術を使ってシリコンの表面に感光剤を塗り、 その感光という作用を用いて半導体を製造するのです。 現在でも世界の半導体メーカーのほとんどはこの方法で半導体を製造しています。

その後30年、いまでは見る影もない姿をさらしています。 日本の半導体メーカーが強くなり、世界を制しているのです。 97年のランキングを見ると世界No.1はインテル、続いてNEC、モトローラ、などの順です。 トップ10には日立、三菱、東芝などの日本のメーカーが名前を連ねています。

この瓦礫の広場の入り口に張られた1本の鎖の前に立って瓦礫の広場を見ていると、 何とも言えない気分になります。 感無量。 我が恩師は一体どうしてこうなってしまったのだろう?と。

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