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清水延吉
    (しみずのぶきち)
斯道会一号講社平安組
周旋方
平安西分教会役員 
平壌分教会長
などを歴任する
清水家信仰の初代
右)清水重延
 (しみずしげのぶ)
平安西分教会役員  
平泉布教所所長

(左)清水み津江
     (しみずみつえ) 
桂平泉分教会初代会長
天理教桂平泉分教会は清水重延(しげのぶ)、み津江夫妻が布教し、昭和十八年、重延を所長として天理教平泉布教所を設立することに始まる。清水家は上級平安西分教会の在籍であり重延もそこで育った。結婚を機に夫婦で布教に出、布教所開設となったが、戦争など様々の事情で神実様を信者、松本家へ預け、布教所復興を願いつつも平安西役員としての御用のままに昭和39年出直した。
平泉布教所は重延の妻、み津江が継いだ。その後継者といえる、娘とも子は既に嫁いでいたが、その夫、哮三郎の理解もあり、京都市西京区桂の自宅に神実様を祭り、父の念願であった平泉布教所の復興を遂げる。また教会設立の機運が高まり、自宅の一部を改造し神殿を作り、昭和47年桂平泉分教会の設立となった。また、この間、家族は一家で清水家に入籍した。
自宅の一部を改築し、新しく
なった神殿での記念写真。

多くの人たちの念願であった桂平泉分教会の設立が実
現した。奉告祭は多くの人たちの手で、喜びの内に執
り行われた。

清水み津重会長を真として、ますます教会も賑わい、喜び勇んで日々を送っていたわけであるが、昭和56年6月27日、73歳にしてがん性腹膜炎で出直した。後任教会長には娘、清水とも子がつとめることとなった。主婦から一転して教会長になったとも子だったが、様々な苦労を乗り越えながら会長としてのつとめに励んでいる。写真は二代会長就任奉告祭の様子。
 
 教会の土地建物はそれまで哮三郎の名義だったが、み津重会長の出直しをきっかけとして、哮三郎の「前会長の霊に親孝行させてもらいたい」という願いと、会長、役員、信者一同の悲願であった「お教え通りに男鳴り物と女鳴り物が相対しておつとめをつとめさせていだけるだけの広い神殿を御守護頂きたい」という気持ちが立てあって、教会の土地建物を売却し、昭和59年3月26日、宇治市伊勢田町浮面47番地38の地に、新たに、宗教法人の教会として、神殿の移転、建築の御守護を頂いた。おぢばに正対する新しい神殿で、神殿移転建築奉告祭を努めさせて頂いたわけであるが、新会長就任3年足らずにして新しい神殿を御守護いただいた不思議を誰しも感じずにはいられなかった。
 

 


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