ようこそ人間のふるさとへ

 JR、近鉄天理駅。一地方都市の駅としては格段に広い駅。聞くところによると、その駅前広場の面積は日本を代表する観光都市京都駅のそれとほぼ同じだという。その前から東、山手へ向かってアーケード街が伸びている。

 延々と続く商店街。奈良県で一番長いというアーケード街を通ると、あちこちに「ようこそお帰り」と書かれた看板を目にする。家に帰ったわけでもないのに、なぜ「おかえりなさい」なのか。それはここに「ぢば」と呼ばれる地点があるからだ。

 「ぢば(地場)」とは一般に場所を示す言葉。ここでは、「かんろだい」と呼ばれる木で造られた台が据えられ、天理教信仰者の礼拝の対象となっている地点を指す。天理教の教祖中山みきは、「ぢば」は、神が人間を創られた元の場所、すべての人間のふるさとだと教えられた。だから、天理教を信じる人は「ぢば」を訪れることを、ふるさとへ帰る意味を込めて、「ぢばへ帰る」とか「『おぢば帰り』をする」と言い、迎える親里の人は「お帰りなさい」と応えるのだ。

 アーケード街を抜けるとそこはもう。神殿の目前、神苑のまっただ中。広々とした境内地を玉砂利を踏みながら神殿に向かって歩いていく。

 目前にそびえる大神殿は、「かんろだい」を囲む、東西南北の4つの礼拝場からなっている。四方八方どこからでも「かんろだい」を拝めるようになっており、たとえば、南礼拝場で「かんろだい」に向かって座ると、北礼拝場で参拝している人と向かい合う形になる。その様はまるで、互いに拝みあっているようだ。礼拝場は四六時中開放されているので、いつも祈りを捧げる人々の姿が絶えない。

 北礼拝場から回廊を通って、北側へ。そこには教祖(おやさま)がお住まいになる「教祖殿」がある。午後2時。響きわたるミュージックサイレンとともに、人々の動きが止まる。教祖中山みきが、この世から姿を隠された、明治20年(1887)1月26日(陰暦)午後2時を偲んで、黙祷を捧げるためだ。

 

 教祖中山みきのことを、人々は「おやさま」と呼ぶ。それは、教祖が「月日のやしろ」という立場にあったことによる。しかし、何よりも教祖ご在世の時代の人々にとって、教祖の姿は、子供を愛する親の姿そのものだった。教祖の魂はいまも教祖殿に留まられ、世界の人々をたすけるために、存命同様に働かれていると教えられる。

 

 教祖殿から祖霊殿へ、東西南北の礼拝場、教祖殿、祖霊殿は二階建の回廊でつながっている。ぐるりと一周回ったならばその距離およそ800メートル。その回廊を歩いてしばしば目にするのが、木の床を雑巾で拭いている人の姿。多くの人の手によって磨かれた回廊は自分の姿が映るほど輝いている。

 

一周回ってもと来た南礼拝場へ。靴を履いて正面を見ると美しいおぢばの風景。本当のふるさとに帰ったことを実感する。

 あなたも一度おぢばへ帰ってみませんか?お一人で帰られるもよし、お近くの教会で訪ねられるもよし。私どもの教会でもご案内させていただきます。                                          

参考『「ようこそお帰りの町」天理』天理教道友社より

 


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