LATTICE(ヌーサイト/コナミ 2000)
以前、シューティングに対する攻略というものについて、3階層に区分した事があった。
その時は、これらの各階層を主に攻略の指針として、あるいはそのゲームにおいて肝要な
部分を理解するためのツールとして、紹介したのがメインだった。
また、これとは別に、シューティングには面白さの3階層モデルというのがあると考えている。
こちらは、
「敵を破壊する爽快感」
「敵の攻撃を避けるスリル」
「攻略パターンを構築してステージを攻略する達成感」
の3つで、下の面白さほど、回数を重ねないと面白さが分からないという順番。
個人的にこれらの面白さで大抵のシューティングについては語れるのではないか?と考えている。
サウンドがどうとか、演出がどうとかいうシューティングももちろんあるんだけど、
それはシューティングとしての面白さではなく、別種の面白さを持ったゲームがたまたま
シューティングの形態を採っていただけ、なぁんて大胆不敵な事も思ってたり。
ガチガチの王道以外のシューティングを認めない訳ではないんですが、シューティングの面白さというのは
本質的にこれくらいしかなくて、あとはその部分集合っつーかサブクラスっつーか枝葉でしか
ないっつーか。
まぁアレですね、こんな事書くと俺って人間はシューティングに関して保守派なんじゃのぅ、
なんて思われるのかも知れません。
そんな前フリから今回紹介するは、シューティング保守派の神経を逆撫でせんが如く現れた
トランスジェネレータシューティング「ラティス」ときたからさぁ大変。
パッケージ裏面に「3Dハイスピードシューティング」と銘打っていますが、個人的には
「コレはシューティングじゃねぇ!」と叫びたくて仕方ありません。
このゲーム、基本はグリッド上のレールを走りながらキーアイコンと呼ばれるターゲットを入手、
それに対応するゲートをくぐって先へ進むというゲームです。
レールは3D空間内においてワイヤーフレームのワイヤーのように配置されており、プレイヤーはその
レールをなぞるように進む訳ですが、このレールが4つの面を持っており、プレイヤーは各面を
移動する事ができます。
レールを走っていると突然障害物が行く手を阻んだりしますんで、撃つなり避けるなりする必要が
あります。基本的には自分の真正面に障害物が現れるので、取り敢えずショットを撃てば当ります。
R1を押したまま十字キーを操作すると、自分は移動せずに視線を動かす事ができます。
通常は使いませんが、プレイヤーを捕獲する敵(ウルトラ警備隊のマークみたいな奴)とか、
キーアイコンを格納しているカプセルを撃つために使います。
はっきり言って簡単に説明しましたが、このゲームはプレイしないと雰囲気は掴めません。
パッケージ裏の写真も、何やらビデオドラッグのような画面ばかりなのです。
で、このゲームのキモが何かというと、まさに「自分で動かすビデオドラッグ」であるという点に
あるのではないかと。
このゲームがそもそもビデオドラッグのような独特の浮遊感を味わせようという意図の元に作られて
おり、作曲者は細野晴臣ときています。そのスットコドッコイにミニマルなBGMの中、
レール上を高速移動してサイケデリックな画面の中で幾何学的な障害物をクリアしていく…
これをシューティングの面白さと同じようなものか、というとなんとも言いがたいんですよ。
感覚的には「こんなのシューティングじゃねぇ!」なんですが、的確な操作で障害物の間をすり抜ける
ようにクリアした時の感覚はキツい攻撃パターンをノーボムでクリアした感覚に近いものがあるんだよねぇ。
だけど、そこから先の話になると、シューティングというよりゲーム一般の面白さの話になるような
気がして。しかもそれも、俗に言う「ゲーム性」で語ってしまってよいものか?と悩むような感覚。
JMでもディック・デッカードでもジェイク・アーミテジでもいいけど、サイバースペースの中で
アクセス方法とか行動の仕方について手間取ったりしないっしょ?彼らの行動は基本的に完成された
パターンに基づいている。「知っている世界」であれば、そこに最適解があり、完成されたパターンが
既に存在するわけよ。そのパターンに従って動く様は無駄がなく、ある種の美しさがある。このゲームに
おいても、ステージの攻略パターンを完成させたとき、それには美しさが伴うのかも知れない。
が、俺にそこまでやり込ませる魅力がこのゲームからは感じられんのですわ。
なぜだ?
音楽とシンクロして(ところでミニマルってある意味ヒキョーよね。曲を聴く際に認識すべき時間単位が
小さいから、ゲーム中の行動とシンクロさせるのって比較的楽でしょ。これがメロディアスになると、
1小節、1フレーズ、1パートという単位でゲーム中の行動と曲がシンクロしないといけないんだから)
障害物を避けまくるスリル!スピード!サスペンス…はないか。とにかく音ゲー同様、
脳に直接訴えてくる快楽が存在するはずなのに…。
ん、直接?
もしかして、あまりに直接過ぎるアプローチで面白さを伝えようとするゆえに、俺はこのゲームを
拒絶してるのかな?
つまりこのゲームは、反射神経にモノを言わせて障害物を避けるという「スリル」を一番直接的な
面白さの階層として持つけど(あと、ジャンプという動作があるので、独特の浮遊感覚という
面白さもある)、その上の階層はイキナリ、迷路を解析し走破するというレベルに
なってしまう。普通のゲームがその間に持つ、
「避け方、壊し方を工夫する」
「場面に合ったパワーアップを選択する」
といった階層の面白さは一切放棄してしまっている訳だ。そして、「迷路を解析し走破」という
レベルにしたって、攻略の代償(面白さ)が供給されている訳でもない。ただ次の迷路に
行けるようになるだけだ。じゃぁ本質的には障害物を避けるスリル(と浮遊感覚)だけ?
それってあまりにも直接的過ぎない?言うなれば
「甘いもの欲しいなァ。どらえもーん(←本物に敬意を表し、全ひらがな標記で偽者感を演出)」
「ハイ、砂糖〜」
「まんまやないけ!」
というようなもの。そこには「和菓子をお茶と一緒にいただく」とか「バームクーヘンをコーヒー
と一緒にいただく」「クリームパンの周辺部を最初に食べて、クリームの比率が多くなった中央部を
一気にいただく(下品な食い方だなぁ)」というような工夫の余地がないし、
甘いという感覚を刺激するだけでそれ以外は良く言えば蛇足、悪く言えば色気ゼロという事になる。
これを「プレイヤーに最も提供したい面白さをダイレクトに抽出」ととるか、
「攻略の余地がなく、ゲームとして一本道」ととるか。
俺は後者だったという訳なんでしょうね。
ゲームの面白さなんてもともとシンプルなものだった。それこそこの「ラティス」なんかよりもずっと。
だけど、そこにはスコアでもなんでも、プレイヤーが能動的にプレイ方法を作り出す余地があった。
ゲームの製作手法などが進歩し、現在のゲームはかなりの部分で、プレイヤーの
行動を製作者側が先読みできるようになっていると思う。このゲームは、その意味でかなり極まった
レベル(プレイヤーの行動が殆ど製作者の意図を逸脱しない)にあると言えるだろう
(別に逸脱してもいいんだけど、やって面白い訳でもなさそう、というのが殆どだと思う)。
「ゲームなんてプログラムだから、それ以上のものではないんだよね」
そういう人(ある程度ゲームを経験している人に限るが)にこそ、このゲームはやってみて
もらいたい。我々プレイヤーがいかに無意識のうちに「プログラム以上のもの」を求め、
勝手に作り出してプレイしていたかが確認できるはずだから。
そして案外そういうものが、ゲームにとって実は大切なものであるかも知れない事も。