「ぼくの地球を守って」(以下、「ぼく地球」)は、1987年から、1994年にかけて
白泉社「花とゆめ」に連載されました。
劇中の舞台は1991年の東京が起点、前世の記憶を持つ7人の男女の数奇な
運命を、複雑な人間感情を織り交ぜながら描いた、日渡早紀氏の
代表的な作品です。
連載当初は静かなものでしたが、魅力的なストーリーのせいか、
1年もしないうちに大変な反響を呼び、ドラマCDが発売されたのちに
OVAシリーズ、サントラCDが発売されています。
プラザ合意による為替取引の自由化で、その後しばらく続いた「円高不況」は
輸出産業が基盤であった、私の住む中京圏に深刻な影響を与えました。
「コスト意識」という言葉が聞かれるようになったのもこの頃です。
結果的にこの不況は一過性のもので、不況を脱したこともなまじ確認
できないまま、金利政策など種々な因子によって「バブル経済」へと
突き進んでいきました。
今では音楽メディアのスタンダードであるCDが普及しだしたのもこの頃で、
バブル経済の勢いでその普及はすさまじく、たった2年程でそれまでの
EP・LPレコードがショップの店頭から駆逐されたのがとても印象的です。
音楽シーンの方では、代表的なものでTMNetwok(84年)や
チェッカーズ(85年)、CCB(86年)、爆風スランプ(88年)、
BlueHerts(88年)、そしてTMNetworkの流れを汲む
B’z(91年)や、あと昨年末話題になった聖鬼魔U(87年)というのも丁度
この頃のデビューでした。
私事で恐縮ですが、私はこの頃、TMに相当入れこんでいました。
以降、access,TMR−e(TMR)と続きます(あーはずかし)。
ファッションではD.C.ブランド(87-90年)、渋谷カジュアル(89-90年)が
流行。同じ頃連載されていた、「ぼく地球」作品中でもこうしたファッションを
よく目にします。
渋谷の街が若者の街として注目されたのもこの頃で、それまでの30年余り、
"若者の街"は、池袋、新宿、原宿、そして渋谷と、山手線を南に回る格好に
なっています。もっとも、最近の傾向は分散傾向にあるようですが・・・。
1991年後半となるといよいよ景気に陰りが見え始め、
「バブルはとっくに弾けた」、「各経済指標が急降下している」と、
マスコミがうるさく言うばかりで、私達のような一般の消費者からすれば、
不況そのものはまだ体感出来ずにいた頃でもあります。
経済がそれまでの”惰性”から”静止(ゼロ成長)”に突入しだしたのが
細川内閣の93年以降。いよいよマイナス成長の「平成不況」が本格化して行きます。
マイナス成長下であっても、コミック・アニメ、ゲームに関しては比較的
堅調で、「ぼく地球」などの優れたヒット作が市場を下支えしていたのは
言うまでもありません。現在では、不況にも強い産業であることが各経済誌で
取り上げられ、注目を集めています。
先に発売されたドラマCDの売り上げの皮算用から、ビクタエンタテイメント
から94年以降順次発売されていったのが、OVAシリーズ@〜E、連動して
サントラシリーズも3枚発売されてました。
予想していたほどの収益が上がらなかったのでしょう。非常に完成度の高かった
OVAシリーズはE巻で打ち切られ、申し訳ないと思ったのか、直後に原作中の
見せ所とも言えるシーンを集めたイメージビデオを発売。その後、ファンの強い
要望に押される形で、主人公たちの10年後を一部に収めた総集編が2年後に
発売されています。
・・・
と言った具合で、概略的で恐縮ですが、こうした時代背景の中、
大々的なエポックを創りあげ、「ぼく地球」は多くのファンに支えられ、
活況を呈したのです。
非常に不安定な時代背景であるにもかかわらず、
こうした世相に翻ろうされることなく、極めて安定した情景設定に基いて
提供された「ぼく地球」は今もってなお、強い輝きを放っているように感じて
なりません。
(火曜サスペンス「〜通信局シリーズ」の水谷豊みたい(笑)
ゆのさんがお書きになったとても詳しい解説が、「日渡早紀ファンリンク-すばる-」(
http://member.nifty.ne.jp/yu/subaru/ )にあります。
非常に興味深い記述もありますので、ぜひそちらの方もご覧になってはいかがでしょうか。
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