繋いだ手を少女は暖かいと感じた。
前を行く青年と共にむき出しのコンクリートで出来ている建物の中を走り回る。
時折誰かの声が聞こえたり、弾けるような音が響く。
それでも振り向くことなく、少女は青年をまっすぐ見つめていた。
不意に、光に包まれる。眩しさに一度目を瞑るも、ゆっくりと開ければ、目の前には小さな窓から見ることしか出来なかった『空』が広がっていた。
+ You and sweet smell +
「ふ〜・・・・ここまで来れば、大丈夫か・・・・」
狭い路地裏で青年が冷たい壁に寄りかかって座る。
それを見た少女が真似するように隣に膝を置いた。手は繋いだまま。
灰色の髪が風に揺れる。そんな些細な事すらも、少女にとっては初めてのことだった。
「大丈夫か?怪我とか、してないか・・・?」
隣に座った少女を青年が覗き込む。どちらかといえば青年の方が細かい傷を負っている。
「・・・だいじょうぶ・・・?」
目をぱちくりして、少女は首を傾けた。
「う〜ん・・・元気か?ってことだ」
「・・・・・・げんき・・・・・?」
(知らないのか・・・)その言葉そのものを。
きょとんとしている少女を見ながら、青年はおもむろに上着を脱ぐ。
「少し汚れてるけど我慢しろよ」
脱いだ上着を薄い布一枚で出来た服を着た少女の肩に優しくかけた。
まだ青年の体温が残っている上着の裾を、少女はゆっくりと握り締める。
「腹減ってないか?」
ぽんぽんと、少女の頭を撫でながら問いかける。
「・・・・・はら・・?」
「あー・・・っと、お腹空いてないか?」
苦笑を浮かべながらも青年が言い直す。
「・・・・・・わからない」
(・・・・・・・わからない・・・・?)
上着の裾を握ったままの少女の返答に、青年は少し戸惑う。
「・・・今まで食事とかどうやって取ってたんだ?」
「・・・・・えいようざいを腕から入れられたり、くすりをもらってた」
少女の答えに青年は眉を寄せた。
視線を腕に向ければ、まだ真新しい注射器の傷がある。
(『食べる』っていうことを知らないのか・・・)
造られてからずっと、少女はそんな生活をしていたのだろう。
黙り込んだ青年を不思議そうに少女が見上げていると、何かを思いついたのか青年がゆっくりと立ち上がる。
「少し、ここで待ってろ」
すぐに戻ってくるから、と同じように立ち上がろうとした少女を制して青年は道の奥へと消えてった。
青年の姿が見えなくなった方向をしばらく見つめてから、少女は空を見上げた。
大きな建物の隙間に空が覗く。あの部屋の窓よりも大きく、感じることが出来る。
ゆっくりと空へと手を伸ばす。けれど空には届かない。
けれど、あの部屋にいたときよりもとても近いように少女は思えた。
しばらくすると、足音をたてて青年が少女の隣へと戻ってきた。
「お待たせ」
少し息を切らした青年が少女の隣に座る。
すでに腕を下ろしていた少女は走ったせいで少し肌が赤くなっている青年を見上げた。
「ほら、これ食べろ」
青年が差し出してきた物を見る。手に持っている物からはほんのりと甘い香りが漂う。
不思議そうな顔をしながら青年の顔を再び見上げると、少し微笑まれて手にそれを渡された。
カサリと音をたてる紙に包まれた暖かい物を、少女は少し見つめてからゆっくりと取り出した。
中にあったのは香ばしい狐色に焼けたワッフルだった。
「ここの美味いんだ。食べてみろよ」
「・・・・・・たべる・・・・」
「口にいれて、よく噛んでから飲み込むんだ」
少しの間、手にある物を見つめてから、青年に進められるように少女はそれを少し口に含んだ。
ふんわりとした感触と同時に、ほんのりとした甘さが口の中に広がる。
気づけば少女は、ゆっくりではあるが夢中になってワッフルを食べていた。
そんな少女の様子に青年は満足そうに微笑む。
「そういえば、お前名前は?」
「・・・・・名前?」
口の横に食べカスをつけた少女が見上げる。
「俺の名前はエオだ」
「・・・・・・・・ヘスヴェル」
灰色の人。ただそれだけを意味する名前だった。
その意味に気づいたエオは少し悲しそうな表情をしながらも、少女の頭を撫でる。
「ヘスヴェルか・・・・・・・」
小さくその名前を呟いていたエオは、何かを思い立ったように顔をあげた。
「そうだな、今日からお前の名前はヴェルだ」
「・・・・・・ヴェル?」
少女がエオを見つめる。
「そうだ。嫌か?」
「ううん」
首を横に振った少女の様子に、エオは満足そうに微笑む。
「さて、そろそろ移動しよう。行こう。ヴェル」
「うん」
先に立ち上がったエオが少女−ヴェル−の手を取り、二人はゆっくりと歩き始めた。
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