最近のいずみ

Last Update:2001/1/31

パートタイムアスリートいずみ 本格始動!?
 

■2001年1月31日(水曜日)
 朝は目覚ましを無意識に止めてそのまま寝てしまい、気が付くと時計が 20分くらい進んでいた。朝練の時間が短くなって、何やってんだぁと反省。
 夜は代々木の織田フィールドで練習。2週間半ぶりにスパイクを履き、 陸上競技っぽい練習をした。メニューは1000m×5。負荷がかかり過ぎ ないように軽めに走るつもりだったが、気が付けば最後はぜぇ〜ぜぇ〜 しながら、かなりの負荷をかけていた。一緒に走れる人がいるから、こういう こともできる。きついけど楽しい練習だった。

■2001年1月30日(火曜日)
 また科目終了の試験があった。昨日は、アロマポット事件もあって、勉強 する気が起きず、結局何もしないまま寝てしまった。勉強をしないまま試験に 臨むわけにはいかず、朝練を諦めてその時間に勉強をした。昨日は本当に 何もする気になれなかったが、一晩寝るとスッキリして、たった1時間だけど、 集中して勉強ができた。
 試験は、できたのかできなかったのか、自分では手ごたえがなくて よくわからないが、とりあえず合格ということだった。めでたしめでたし。

■2001年1月29日(月曜日)

壊れる前にうれしくてたまたま撮影していた アロマポット
 ここ半年くらいの間欲しかったアロマポットが手に入った。アロマポットは 普通の店にもたくさん売っているが、ほとんどはろうそくを置くタイプで、 火の用心をしないといけない。しかしろうそくの代わりに電球が入った、 コンセントをさすだけでいいアロマポットならその点安全。寝るときにつけて 寝ても大丈夫。快適な眠りができるはず。
 店でなかなか見つからないものをどこで手に入れたかというと、結婚式の 引き出物。最近はカタログから自分で好きなものが選べる。そのカタログで 見つけて、やっと手に入れることができた。
 早速、オイルを入れるお皿にパルマローザのオイルを入れ、床にある コンセントにポットを差し込み、スイッチをつけた。少しずついい匂いが してきが、部屋が広いため、それほど匂いは行き渡らなかった。でもこういう ことができるだけで今日は満足だった。
 20分ほどして、アロマポットのことを忘れてしまい、普通に部屋の中を 歩いていたら、なにか足にあたるものがあって、そのままの勢いで蹴飛ばして しまった。気が付いたらアロマポットは割れて、破片が床に飛び散っていた。
 こんなに欲しくて仕方なかったものなのに・・・ たった20分で、使い ものにならなくなってしまった。なんてドジな自分・・・ かなり落ち込んだ。 今晩は快適な眠りはできなさそう。

■2001年1月28日(日曜日)
 大学の後期試験があった。科目は「人間科学概論」と「表現科学概論」。 昨日、一昨日と必死にテキストを読んで、なんとか試験範囲の3分の2くらい はカバーできていたが、まだ残っていたので、朝早く起きて勉強するつもり だった。しかし、気が付くと目覚ましは止めていて、1時間も寝坊していた。 試験の時間には問題なかったが、ちょっとヒヤッとした。
 もうひとつヒヤッとしたことは、試験会場がどこかわからなかったこと。 駿台法律経済専門学校ということは受験票に書いてあって、昨年1度行った ことがあるので、何も考えていなかった。さて行こうと思ったとき、どこの 駅に行けばいいのか思い出せなかった。なんとなく飯田橋だったような気が して、飯田橋へ行ってみると、駅の周りの感じが違う。試験開始まで あと10分。やっぱり御茶ノ水だったような気がして、御茶ノ水へ行って みると、そこが会場で、試験開始1分前に席に着くことができた。
 試験は相変わらず4択10問。人間科学概論の方は10問中8問を解いて 残りは「心と身体と文化について思うところを書け」という問題。試験時間中 ひたすら書いた。表現科学概論はテキスト持ち込み可で、しかも4択。しかし フランスを中心とした文学芸術などの話しなので、テキストを見ながら解答 しても、これで正しいのかどうかわからないという感じだった。
 どちらとも単位は取れたと思うが、今回は完全に試験のための勉強だったが、 忘れたらまた勉強すればいいっか。
 大阪国際女子マラソン、渋井陽子はすごかった。初マラソン世界最高。 世界選手権代表は決まり。東京陸協の小幡さんは残念だった。

■2001年1月27日(土曜日)
 大雪のために滑って転んだ。漫画のようにきれいに。滑るから注意して 歩こうと思って5秒のうちにやってしまった。転んだあとは放心状態。 何やってるんだろ?って。そうやって考えているうちにズボンは水が浸みて きて、散々だった。怪我をしなかったのでよかったが、尻がずっと痛い。 歩いていても、仰向けに寝てみても痛い。明日はもっと痛くなるかも。

■2001年1月26日(金曜日)
 たまプラーザまで治療に行った。埼京線に乗っているときに、新大久保を 通過して新宿へ到着する直前に、電車が止まった。原因は新大久保駅で 山手線が人身事故を起こしたためだった。幸い自分の乗っていた電車でなく、 新大久保も通過していたため、すぐに電車は動きだし、終点の新宿へ着いた。 渋谷経由で東急に乗りたかったが、事故のため山手線の内回りと埼京線上下 ともが動かなくなり渋谷へ行けなくなった。困っていたら、振り替え輸送 をするという放送が流れた。ルートを考えた末、営団地下鉄を使って 渋谷へ行き、そのままたまプラーザへ行くことができた。
 事故が起きたときすぐに対応して動くJRはすごいと思った。他の私鉄 もすぐにそれに対応して動いていたし、約11万3千人に影響があった そうだが、その人たちの振り替え輸送代をたぶんJRが払うのだから、 事故が起きたときの損失はすごいものだろうと思った。しかし、人が 亡くなってしまってるから、損失どころではない。

■2001年1月25日(木曜日)
 1年ぶりくらいにベンチプレスをした。全く上がらなくなっていた。 1年前と比べると7割くらいの力しかない。上半身が貧弱になっているのは 身体を見てわかってはいたが、数値として見ることによって、本当に弱く なっていると認識できた。このまま放っておくと、シーズン中、身体が もたなくなることが目に見えている。ちょっとずつ刺激を入れよっと。

■2001年1月24日(水曜日)
 読売新聞のスポーツ欄に「自衛隊と合同練習しませんか」という記事が 載っていた。日本のトップ選手のために施設を開放して、一緒に練習しよう ということらしい。確かに、体育学校の選手だけが施設を使っているのは 宝の持ち腐れだった。外の人たちがどんどん練習に入ってきて、切磋琢磨 できればいいと思う。
 ついでに、体育学校の監督・コーチも自衛官だけでするのではなく、外から 募集すれば、その監督・コーチのもとにいい選手も入ってきて、活気が出て くるのだろうけど・・・ その辺が徹底的にできないから、特に陸上の長距離 なんかは民間企業から置いていかれている。
 また、国内だけで練習するのではなく、海外にしっかりとした拠点をもち、 外国の選手と練習できる環境がないと、国際大会では勝負できないのでは ないかと思う。ヨーロッパへ行って、外国の選手と接してみて、彼らは常に 外国へ出て行って練習や試合をし、外の情報を仕入れているように感じた。 しかし、これは予算が付かないとどうにもならないっか。
 本当に国際大会で勝たせたいのなら、このくらいまで体育学校にも考えて ほしい。

■2001年1月23日(火曜日)
 熊谷に来て、体調不良で二度目のダウン。こんなに弱い身体ではなかった のに・・・ この3ヶ月の急激な生活リズムの変化に、身体がついていって いない。というよりもストレスがたまってる。思うように走る時間が とれないし、時間に縛られる生活になったし、普通だったら何でもないこと なんだけど、自分の中ではかなり大きな要因。医務室へ行ったが、ドーピング のことを考えると、風邪薬はもらえず、あまり効き目はないよと言われながら 抗生物質と胃薬をもらった。薬を飲んで寝たけど、本当に効き目がない。 体育学校のメンバーは、今頃沖縄で練習してるんだろうなぁ。

■2001年1月22日(月曜日)
 また科目終了の試験があった。試験に出そうなところはまとめるだけ まとめておいたが、それを覚えていなかった。前日が休みだと、なかなか 勉強はできない。休みの時くらい平日のことは忘れていたいし・・・  結局勉強を始めたのは朝からで、勝負は試験が始まるまでの15分間。 時間がないこともあり、かなり集中ができて、ひたすら覚える作業。その結果、 試験はなんとかできた。覚えたものを、そのままその場で書き出したような もので、猛烈な勢いで書きまくったので、一番はじめに終わって教室から 出てこられた。試験のためだけの勉強をしてしまって、ちょっと後悔。

■2001年1月21日(日曜日)


鈴本演芸場
 上野へ寄席を見に行った。先ずは学割を使って入場料が安くなり、 2000円。ちょっと得した気分。時間帯は昼の12時20分から。12時頃 に中へ入ったときには、まだお客は少なくて、一番いい席に座れた。周りは おばちゃんばっかり。
 落語が始まると、会場はアッという間に満員。座る場所もなくなって立ち 見になっていたみたい。寄席といえば、落語だけを2時間くらい聞くものかと 思っていたら、全く違った。全部で4時間半。途中で、切り絵、マジック、 三味線など盛り沢山で、どれも楽しめた。どの噺家さんも、今日は1年に 1回のサービスデイだとか、途中で帰る人がいるが、たいがい演芸場の前で 車にひかれてるから、途中で帰るのは控えた方がいいとかという始まりで、 いろいろ笑わせてくれた。久しぶりに大笑いできた。でも半分以上が下ネタ だったような・・・ おばちゃんたちは大喜び!?
 4時間半は、長いようで短かった。かなり充実した贅沢な時間の使い方を したような気がした。しかし席が狭くて、エコノミー症候群になるかと思った。

■2001年1月20日(土曜日)
 朝7時に熊谷基地を出て、籠原駅から六本木へ。血液検査をした後、 六本木から和光市へ。朝霞駐屯地で1時間ジョッグした後、和光市から たまプラーザへ。たまプラーザで治療した後、たまプラーザから行田へ。 今日の終着駅は行田。大学同期の柵木の実家へ招待された。1日で、 埼玉-東京-埼玉-神奈川-埼玉とずっと移動ばかりだった。
 治療先では、日常生活でかなりのストレスがたまってると言われた。 最近ずっと顔面痙攣が起きていているのも寒さとストレスが原因みたい。 何にストレスを感じているのか?わからない。自衛隊の生活自体が ストレスなのか?それとも電車に乗ってこんなにいろいろ行くのが ストレスなのか?

■2001年1月19日(金曜日)
 NHK教育で毎週夕方6時25分から放送されていたアメリカのファミリー ドラマ「フルハウス」が完結した。10年以上も続いた長いドラマで、中学 だったか高校だったか覚えていないが、昔からこのドラマが大好きで見ていた。 家族を大切にしようというようなメッセージが常に込められていながらも、 ドラマの種類としては完全なコメディー。友達に言わせれば、全然笑えない らしいが、自分としては笑えてしかたなかった。いつかこのドラマが大 ブレイクすると信じていたが、ブレイクする前に終わってしまった。
 「ミスター・ビーン」も高校時代から好きでNHKの深夜放送で見ていて、 友達に教えて上げたが、見向きもしてくれなかった。しかし、その後、 大ブレイクし、ちょっとおもしろくなかったが、「フルハウス」はそういう こともなく、ちょっと残念。自分としてはこういうのを見る目があるか なぁっと思ってたのに・・・  とにかく、毎週楽しみにしていたドラマが終わってしまって、来週からは もう放送はないので寂しい。

■2001年1月18日(木曜日)
 NHKで最近深夜に再放送されている「驚異の小宇宙人体」を見た。 最新の遺伝子研究についての説明がされていた。遺伝子なんていう、普通では 考えることのない世界をいじることによって、いろいろなことができてしまう ことがわかった。遺伝子がたった一文字違うだけで生まれながらに致命的な 病気にかかってしまっている人がいて、必死に立ち向かう姿が印象的だった。 遺伝子治療がどんどん進歩すればいいなぁとは思ったが、遺伝子組み替え 食品については、ちょっとこれでいいのかなぁと思った。

■2001年1月17日(水曜日)
 午後は試験の勉強で自習。いろいろ勉強できるなぁっと喜んでいたのに、 体調がおかしいのか、集中力がなく、イライラして、落ち着かない。結局 何もせずに終わってしまった。運動できないのがかえってストレスになって いるのかも。腰は昨日よりは良くなってきた。

■2001年1月16日(火曜日)
 腰痛はたいして回復せず。ずっと座ったままの姿勢は辛い。今日も1日 あまり動かず、安静にしていた。後輩からは元気がないですねぇと言われたり もした。安静にしていようと思うと、声のトーンも小さくなり、元気がない ように見えてしまうのだろう。体を動かさないとよけいに調子が悪くなり そう。
 最近風呂に入って鏡を見る度に、身体が細くなってきたと思う。だんだん 筋肉の量が減ってきている。昨年まではサーキットトレーニングを週に2回は やっていたのに、体育学校を出てからは1ヶ月に3,4回しかしてない。 今年に入ってからは1回もしていない。そういうところからも腰痛になる 原因が出てきたのかなぁっと思った。

■2001年1月15日(月曜日)
 半年ぶりに腰痛が復活。座っている姿勢が辛かったりする。授業中、 腰に低周波治療器をかけ痛みを紛らせた。腰痛だと気が付いたのは土曜。 そまま駅伝を走ってしまったのもよくなかった。このまま酷使続けると また歩けなくなる。ということで1日運動せずに、安静にして、腰を いたわった。

■2001年1月14日(日曜日)
 伊東駅伝の日。昨日から始まった新年会は、人によっては朝の4時とか 5時まで続いたらしい。しかもそれに付き合っていた選手もいたみたい。 試合前に、こんなに食べて飲んで走ったことはない。ついでにいつもより 寝ていない。この駅伝は毎年こんな感じで参加するらしい。みんな本当に タフだし、陸上が好きだ。
 自分の区間は第1区。2年前に1度走っていて、コースはわかっている。 コースはとにかく登りだけ。前に走ったときは、横浜国立大や滝ヶ原自衛隊 などに負けて、区間4位だったので、今回は勝ちたいと思って臨んだ。
 スタートして、すぐに名古屋商科大の選手がとばし、横国大と滝ヶ原 と自分だけがついて行くことができた。中盤にペースが落ち、横国大 が先頭に立ち、揺さぶりをかけながら自分たちをふるい落とそうとしたが、 みんな離れず、ずっと4人で併走。坂はきついし、風が強いし、今年の箱根 駅伝の山登りを思い浮かべながら走っていた。
 残り2kmくらいで、滝ヶ原が落ちた。その後、自分も足にきて(両足の 前脛骨筋が完全に張って)、ダウン。名商大と横国大の2人にしぼられた。
 残り1kmで横国大が完全に抜け出し、名商大がどんどん落ちてきて、 捕まえることができたが、最後の100mで抜き返され、1秒差で区間3位。 予定していたよりも走れなかった。チームは結局6位。一般は7チームしか なかったので、あまりよくなかった。また来年頑張るしかない。
 レース後は、地ビールを飲みに行き、その後箱根湯本の富士屋ホテルの 温泉へ行き、帰ってきた。かなり内容の濃い1日だった。

■2001年1月13日(土曜日)
 実は今日も新年会。今度はクラブチーム「アンビバレンス」の集まりで、 場所は伊豆半島の富戸にある貸別荘。普通電車で3時間以上かかって、 とても遠かった。なぜ伊豆かというと、明日、駅伝に参加するから。
 新年会開始は夜7時から始まり、そのまま寝るまで続いた。寝たのは1時 過ぎ。鍋料理を大量に食べ、お菓子も頬張り、飲みは適度にしておいた。

■2001年1月12日(金曜日)
 和光市駅前で新年会があった。何の集まりかというと、体育学校中距離の 集まり。もう所属が違うのに、呼んでもらえてうれしかった。話すことと いったらもちろん陸上中距離のこと。今年の合宿の話しなんかしていて、 自分はもう参加できないんだなぁと思うと、悔しくて仕方ない。2月にある 奄美大島の実業団合宿などは招待なので、宿泊費・交通費を出してもらえる というのに、自分は休みが取れないから参加できない。あぁ〜行きたい。 休みくれ〜!!
 新年会へ行く前に夕食を熊谷基地で済ませていたのに、飲みだしたら 関係なくどんどん食べられる。1次会が終わって2次会に行っても、やっぱり 食べてしまった。今年何度目の大食いなのだろうか?

■2001年1月11日(木曜日)
 最近の雪のせいでランニングシューズは真っ黒。このシューズは買ってから 一度も洗っていないので、洗うことにした。石鹸をつけてゴシゴシと洗って いると、茶色の泡がどんどん出てくる。見た目でわかっていたが、本当に 汚かったんだぁっと再認識。ちょくちょく洗って上げないといけないなぁ と思った。半年くらい履いているので、シューズの裏はかなりすり切れて いた。替え時かもしれない。今までご苦労様でした。

■2001年1月10日(水曜日)
 今世紀初のクラブチーム練習参加。電車で2時間かけ、渋谷の織田 フィールドへ。
 今日は人が集まっていて、いつもは短距離のメンバーばかりなのに、 珍しく長距離のメンバーも大勢いて、長距離練習ができそう。長距離は 練習が始まるのが遅そうだったので、先ずは短距離と一緒に練習。メニューは 500m+400m+300m+200m+100m。300mが終わったところで、長距離が10000mを 始めたので、途中からそれに合流。短い距離で追い込んだ直後のため、 走りはじめから足がつりそうになった。残り2000mでペースが上がり、 きつくなって8000m走ったところでやめた。最後まで行こうと思ってたのに 行けず、本当は我慢できたんじゃないのか?っと自己嫌悪。
 練習後、渋谷で食事。メキシコ料理に挑戦!? 見た目は辛そうなもの ばかりだったが、どれもおいしかった。全部食べ終わらないうちに腹一杯で 食べられなくなり、もったいないなぁと未練を残しながら残して店を出た。
 メキシコ料理でゆっくりしていたら、10時半。ゆっくりし過ぎ。電車を 乗り継いで帰り、熊谷基地に着いたのは0時40分だった。

■2001年1月9日(火曜日)
 仕事始めの日ということで、朝練も再開。昨日、一昨日の雪がしっかり 残っていて、走れるかどうか心配だったが、車の通った後をたどって なんとか走ることができた。しかし、雪がなくても氷がしっかり張っていて、 ほとんどアイススケート場。つるつる滑りながら、無理矢理走った。
 日中、基地の隊員が除雪をしてくれたようで、夕方は雪はなくなり走れる 状態になった。最近大食いばっかりして、体重が気になっているので、 じっくり90分ジョッグ。ゆっくり走ろうと思ってたのに、気が付くと どんどんペースが上がっていて、完全に息も上がって、フラフラになりながら 90分走りきった。1日で30km以上走ってしまった。体重も元通り。

■2001年1月8日(月曜日)


20cm以上積もってました
 朝起きて、窓の外を見ると、銀世界。積もりすぎ。しかもまだ降っている。 朝のニュースでは高崎線は運転を見合わせていると言っていた。昨日のうちに 戻ってきてよかった。基地内では雪の重みに耐えられなかった木が倒れたり 枝が折れたり、外柵のフェンスが曲がっていたり、ひどかった。
 練習をしようと思ったときに、熊谷基地では雪があって、全く走ることが できないので、夕方、朝霞駐屯地に戻った。朝霞駐屯地は除雪がしっかり してあって、外周は走れるようになっていた。午前中は昨日熊谷に 戻ってよかったと思ったが、どうせ朝霞に来るんだったら、戻らない方が、 無駄に交通費を払わなくてよかった。昨日はなかなか難しい選択だったのだ。

■2001年1月7日(日曜日)
 昨日徳島駅を夜の7時半頃に出て、東京駅に着いたのは朝7時半。 夜行バスではなく、寝台列車に乗ったため、しっかり眠れ、12時間の 移動だった割には全く疲れず、目覚めはよかった。なんかすごい旅をしてきた ような気がして、大満足。
 2日間まともに運動せず、甘いものばかり食べていたので、体重が心配に なり、計ってみたところ、70kg寸前。約4kgオーバー。これではいかん と思い、走ることにした。アキレス腱が心配で、スピードも上げられず、 ゆっくりと90分ジョッグ。外は寒いのであまり汗をかけず、体重も1kg ちょっと落ちただけ。来週は駅伝があるし、このままではまずい。
 天気予報で夕方から雪が積もると聞いていたので、熊谷に戻れなくなる前に 熊谷へ戻った。籠原の駅に着いたときには、雪がかなり降っていて、熊谷基地 に着いたときには、頭に雪が積もっていて髪が凍っていた。

■2001年1月6日(土曜日)

2001 AKIRA Graphics Art



眉山(びざん)山頂から見た徳島
 昨日の夜、浜松町から夜行バスに乗り徳島へ向かっていた。約10時間の 乗車で徳島駅に着いたのは朝7時半ごろ。バスがただの観光バスだったので、 10時間も乗ると乗り心地は悪く、しっかりと眠ることはできなかった。
 徳島へなぜ行ったかというと「鈴木章 遺作展」を見に行くため。鈴木章 さんはグラフィックデザイナーとして活躍されているときに、突然白血病と 診断され、その後は白血病と闘いながら「生きる」ということにこだわり 続けて、亡くなる直前まで絵を描いていた人で、その作品を見て、いろんな ことを感じてきた。生きてるだけで幸せだなぁと思えてきて、力がわいて きた。もう昨日までのダメ人間じゃ〜いかん!!と思った。
 徳島ではこの日、市町村対抗の駅伝が最終日で、大塚製薬の知り合いも 参加していて、ゴールが徳島市役所前で近くにいたので、その駅伝も見に 行った。地元の新聞では1面で大きく取り上げられ、ラジオでも生放送。 力の入れ方が箱根駅伝と変わらないくらいに見えた。
 帰りは徳島から高松、岡山経由で、寝台車に乗り東京へ向かった。 夜行バスよりも遠回りで長旅。しかもお値段は倍以上。夜行バスは 予約がいっぱいだったし、飛行機はもっと値段が張るのでこれしかなかった。

■2001年1月5日(金曜日)
 今日からは、しっかりとした生活パターンでいこうと思い、朝6時半に 起きて、ラジオで英会話入門聞いて、朝練をした。そこまではよかったが、 一昨日からの足痛がまだ治らず、走っているうちにアキレス腱まで痛くなり、 我慢できず、ジョッグを止めた。そのまま歩いていても痛みが残っているので 少々心配。
 午後、もう一度走ってみようと思っていたのに、昼食後古本屋に行って うろうろしていたらあっという間に外が暗くなってしまって、断念。意志が 弱い。新年早々ダメ人間。
 結局しっかりした生活もできず、なんとなくダラ〜ッとして1日が終わった。

■2001年1月4日(木曜日)


ちょっと雪のない富士山
 初めて自分でヒゲを剃った。といっても電動のひげ剃りなんだけど。今まで は、お子さまだったためか、ヒゲを剃るのは、床屋に行ったときだけだった。 その他は、ヒゲが伸びたときに、はさみで、ちょっとちょんぎるだけだった。 でも最近やっと大人になったのか、ヒゲがかたくなり、生えるようになって きた。もうそろそろ自分でお手入れをしないといけないかなぁと思って、 電動のひげ剃りを買った。
 剃った感想としては、よく切れるじゃん。でもそのあと肌がカサカサする というかザラザラするというか、なんかイヤな感じ。きっとわずかに皮膚の 表面も削っているのだろう。
 今日は実家から関東へ戻ってきた。実家の方は、雪が舞って、吹雪のような 状態だったのに、静岡あたりからはよく晴れていて、富士山もきれいに見えた。

■2001年1月3日(水曜日)
 昨日の夜高校の陸上部OB会があり夜遅かったためか、朝走ろうと思ってた のに寝坊して、10時過ぎに起床。そのまま箱根駅伝を見たらあっという間に 2時。
 これじゃ〜いかんと思って、山の方へ60分ジョッグに出かけた。父親と 走ろうと思ってたのに、着替えて外に出たら、父は走りに行ってしまったあと だった。
 はじめは軽快に走っていたが、途中から靴が足に合わなくて (足が靴に合わない?)、足の指が痛くなってきてペースダウン。60分で 走るつもりだったのに75分もかかった。
 夜はまたなぜか高校の陸上部OB会。昨日来て、今日行ったのは僕だけ。 メンバーも自分よりも下の子たちだけで、ほとんど知らない子ばかり。 ずっと先生と話し込んでいた。

■2001年1月2日(火曜日)
 朝霞で朝練をして、愛知県へ帰るため8時半頃に出発。今日は親戚が祖母の 家に集まることになっていたので、祖母の家に向かった。
 祖母の家に着いたのは14時過ぎ。新幹線で豊橋まで行き、そこからJRで 蒲郡まで向かったのはよかった。そこから名鉄に乗り換えてたところ、電車が 1時間に2本しかなくてしかも単線になったため、電車が来るまで待つ時間が 長く、イライラしてきた。電車が走り出してもスピードが遅いし、田舎だぁ と思った。
 窓の外は、曇り空で今にも雨か雪が降り出しそう。古い家々と畑や田んぼ ばかりで寂れた風景。とても寂しい気分になってきたが、時間の流れが ゆっくりで、途中から心地よくなってきた。日本にもこんなに時間の流れが ゆっくりな場所があるんだなぁと思い、ホッとした。

■2001年1月1日(月曜日)


菅野、和泉、森は応援
 毎年恒例の全日本実業団駅伝があった。気候としては寒くて風が強く、 あまりいい条件ではなかった。自衛隊体育学校は、1区で出遅れた ものの2区の松村さんが17人抜いて区間5位の走りで、チームに勢いを付け、 最終的に21位。ここ最近ではかなりいい結果だった。今年はコースの 距離が延びて、中距離選手が走るのは難しくなったが、それでも選手として 走っている知り合いが何人かいて、みんな頑張っているのがわかり、やる気が 出てきた。


[昔のいずみ]