最近のいずみ

Last Update:2001/2/28

パートタイムアスリートいずみ 本格始動!?
 

■2001年2月28日(水曜日)
 週に1度の国立競技場練習の日。いつもは4人で練習しているが、なんと 今日は3人も増えたので、短距離と中距離で分かれての練習になり、久し ぶりに中距離的な練習ができた。内容は、1000m+800m+600m+500m。 夜は雨の予報になっていたが降らず、気温も高く、体が動き、充実した 練習になった。

■2001年2月27日(火曜日)
 最近授業で送受信機という項目をやっているのだが、実際に受信機をいじる 機会があった。小さな受信機だが、結構すごい。近所の家で話している電話が まる聞こえ。コードレス電話は、かなり電波を出しているらしく、受信機は これを全部受信してしまう。盗聴が簡単にできてしまうということ。この 受信機、秋葉原に行けば、1万円ちょっとで簡単に手に入るらしい。聞く だけなら違法でもなんでもないそうで、それを人に漏らしたりすることは 違法。最近コードレス電話は当たり前のように普及しているけど、使うのが 怖くなった。

■2001年2月26日(月曜日)
 大学の試験結果が送られてきた。「人間科学概論」はS、「表現科学概論」 はA。テキスト持ち込み可だった「表現科学概論」は、出題された問題が 不適切だそうで、9問で100点満点になって、1問間違えるとS (90〜100点)がもらえず、A(80〜89点)になっていた。テキスト 持ち込み可で1問間違えたのは自分が悪いが、普通不適切な問題があったら、 それは全員正解にするもんじゃないの?もし4問間違えた人がいたら、 本当は合格だったのに、それが不合格になるんから、これはかなり重大なこと であるはず。自分が悪いと言われればそれまでだけど、10問採点だったらS。 Sがもらえなくてちょっと悔しい。4択10問試験の恐ろしさを知った。
 ついでに第一級陸上特殊無線技士の結果も送られてきて合格していた。 こちらは予定通り!?の合格。直前だけ勉強して取った資格だから、これ 持ってても、今のところただ持っているだけで、なんの役にも立たない、 むなしい資格となってしまったのでした。今後の活用次第かな。

■2001年2月25日(日曜日)


走る前



ラストスパート
 八王子(全関東)駅伝に出場。なんで括弧書きで全関東になっているのか よくわからない。八王子駅伝でいいじゃないかと思った。それか全関東駅伝 でいいじゃない。なんでこんな名前なのだろう?とかなり考えたが、答えは 見つからなかった。
 天気は、昨日の雨があがって晴れわたり、気持ちよかったが、風か強くて 走るのにはあまり歓迎できない。スタートは10時。2区4.3kmを走った。 昨年の結果を見て目標を13分にした。コースは下り、平地、登り、平地と いう周回コースを1周回って競技場でたすきリレー。出場チームは一般 108チーム、高校も100チームくらい。一般には、法大、帝京大、拓大 など箱根駅伝の有力校も出場していた。
 先頭の方は大学の対校戦状態。自分がたすきをもらったのは先頭から 3,4分後。人がごちゃごちゃいて、順位はわからない。下りで20人くらい 抜いて、平地でちょっとへこたれて、また登りと平地で人を抜いて、 たすきを渡した。何人抜いたかわからなかった。タイムは13分9秒。予定 よりは9秒遅かったが、ほぼ満足のいく走りができた。昨日、一昨日の 睡眠不足の影響はなし。区間賞は12分38秒で大学生が取っていたが、 一緒に走っていたら、それに近いタイムで走れたような気がする。 

■2001年2月24日(土曜日)
 昨夜は徹夜。朝まで飲んでいた。朝5時過ぎから電車に乗って仮眠して、 そのあとマクドナルドで仮眠して、六本木の平石クリニックへ。先週の血液 検査の結果をもらいに行ったのだが、結果はかなり悪い。疲労の度合いを示す CPKという値が基準値の15倍くらい。白血球数も基準値以下。肝臓の 機能を示す値も基準値よりかなり高かった。先週は疲れてたらしい。でも 今日の方が徹夜してて疲れてるかも。
 夜は稲城にいる大学の同期の家へ泊めてもらって、向かい酒。なかなか ハードな週末。明日は八王子駅伝。大丈夫か?

■2001年2月23日(金曜日)
 基地内で持続走大会(駅伝)があった。最終走者の第7区、3.1kmを 走った。区間によっては、何人かでまとまって走るところもあり、なかなか 複雑なレースだった。チームの中にはかなり年のいったおっちゃんたちもいて、 たった1kmを走るだけなんだけど、きつそうだった。自分にたすきが回って きたときには先頭と1分以内で3位だったので、問題なかった。1km過ぎ には先頭を抜いてあとは一人旅。優勝も決まってしまい、張り合いがなくなり、 妥協の走りへ。人が応援してるところだけがんばってゴール。自分を追い込め られなかった。それでも区間は1位だろうと思ったら、なんと1秒差で2位。 ショック。油断しちゃ〜いかんと思った。航空自衛隊にも走れる人がいて、 なかなか捨てたもんじゃないと、ちょっとうれしくなった。

■2001年2月22日(木曜日)
 パソコンが思うように動かなくなったので、昨日はパソコン内のデータを 人のハードディスクにバックアップしてもらい、再インストールをして、 やっと動くようになった。なにもソフトの入っていないパソコンはなんだか 気持ちいい。でもなにもなければただの箱なので、今日はひたすら必要な ソフトをインストールした。Windows98にバージョンアップもでき、やっと 元の環境に戻り、安堵。

■2001年2月21日(水曜日)
 2週間ぶりに国立競技場へ行った。練習は300m×6。国立競技場の メイントラックで練習するのは初めて。国立競技場はトラックが硬く、足への 負担が大きいと言われるが、それを実感した。4人で走ったが、4人とも 練習中に足にけいれんが起きた。この競技場はとてもいいトラックだとは 思うが、練習するのには向いていない。やっぱり試合で好記録を出すのに 向いた競技場だ。

■2001年2月20日(火曜日)
 パソコンのオペレーションシステムをWindows95からWindows98へバージョン アップした。そうしたら、Internet Explorerも勝手にバージョンアップされ、 ちょっと困った。お節介なことをしよって。これがマイクロソフトの戦略かぁ と思った。このバージョンアップのおかげで、インターネット、メール、 HPの更新ができなくなってしまった。困ったぞぉ。

■2001年2月19日(月曜日)
 昼の献立に茹でカリフラワーというのがあって、イメージとしては茹でた 白いカリフラワーが出るはずだった。でも食堂へ行ってみると緑色のものが 出ていた。それはブロッコリー。なぜか茹でブロッコリーに変わっていた。 食堂の人の勘違いか、それとも本当に知らないのか?

■2001年2月18日(日曜日)
 千葉国際クロスカントリー当日。体育学校を8時半に出て昭和の森に着いた のは10時。レースは13時03分からなので、ちょっと着くのが早かった。
  参加種目は一般男子4km。メンバーとしては中距離のトップクラスの 選手と一部の長距離選手。天気もいいし、かなりのハイペースになることが わかっていた。
 スタートして直線の300mは思っていたよりも速くなく楽について行けた。 1km通過が2分38秒。昨日のペースト同じ。しかし楽に行けている。 ひょっとしたら結構行けるかもと思いながら最初の丸太の障害へ差し掛かった とき、この障害をどう飛び越えようかという疑問が起こった。ちょっと 躊躇してたら、アッという間に障害まで来て、思い切って飛び越えることに したが、行動が遅く障害に足を引っかけ転倒。両手と膝が地面をすり、その後 2回転。立ち上がったときには先頭からかなり遅れ、泣きべそモード。
 転倒後、走りはじめたときには6,7番の順位で、十分8位入賞は狙えた ので、気を取り直し走ったが、もう先ほどまでのスピードは出ない。あとは 階段や登りで苦しみながら惰性で走っていた。1km〜2kmは3分18秒。 2km〜3kmは3分13秒。3km〜4kmは3分18秒。
 結局少しずつ抜かれ、ゴールは12分29秒で10位。転んだ時点で、 ちょっとあきらめが入っていたのが最大の失敗。気持ちが弱かった。 久しぶりに精神的な弱さを感じた。
 来年は絶対リベンジ。11分台で走りたい。

■2001年2月17日(土曜日)
 朝一番に六本木の平石クリニックへ行って血液検査。いつもなら土曜の朝は ほとんど客はいないのに、今日はかなり混みあっていた。なぜかと思ったら、 みんな花粉症。もうすでにひどい人から予防のために来ているひとまで、 いろんな人がいた。
 その後、午前中のうちに体育学校へ行き、練習。明日は試合なので、練習を していないくせに最終調整で1000mを走った。相当弱っているはずなので、 少し頑張らないとまともなタイムが出ないと思い、頑張って走った。完全に 1000mだけで力尽き、このあと3kmを走れといわれても走れない。 明日は4kmなのに・・・ タイムは2分50秒くらいだろうと思ったら、 実際は2分38秒。やっぱり速すぎた。でも明日はこれくらいの入りで 走っていくはず。そうなったらあとの3kmはどうしてよいのやら・・・

■2001年2月16日(金曜日)
 やっと元気に週末を迎えられる。夜は体力測定の疲れを癒すため、たま プラーザまで治療に行った。しかし、筋肉痛がほとんどなので、身体がどこか おかしいのと違って、これは時間が解決するもの。そのため治療後もそんなに 大きな変化はなかった。治療が終わったときには夜10時半。そのまま 恵比寿のカプセルホテルに泊まることにした。
 前に泊まった時には喫煙できるところもあって、部屋の空気がよどんでいたが、 今回は禁煙用。だから快適かと思ったら、隣で寝ている人のいびきがあまりにも うるさくて寝られない。文句も言えないし、どうしたらいいんだぁ〜!!

■2001年2月15日(木曜日)
 昨夜はたっぷり雪が降り、今朝もしっかり雪は残っていたので、また 体力測定は、延期だろうと安心していた。しかし、もう延期することもできない らしく、予定通り実施することになった。
 朝から天気は良く、運動日和だった。しかし身体の方は病み上がりもあって それほどよくない。ついでに体力測定をする場所も道端。適当すぎ。今まで 体力測定してきた場所がしっかりしすぎだったのか?走り幅跳びでは、走路は 雪のためにすべったり、それ以前に走路が適当な凸凹芝生のため全力で走る こともできない。みんな同じだから文句を言っても仕方ない。全く考えても いなかった低記録が出てショック。そして普段やらない運動もするので 身体はボロボロ。とにかく沈んだ日だった。

■2001年2月14日(水曜日)
 ヴィールスをふるい落とし、やっと落ち着いた生活ができるようになった。 でもまだヴィールスがいるかもしれないから安静にしておこうと思ったら、 なんと明日は体力測定がある!!ということを聞いた。そんなぁ・・・  しかし、元気になってるからやらないといけない。だから今日から身体を 動かしておかないと、どう考えても明日は辛い。そこでゆっくりと ジョギングすることにした。
 走るのは1週間ぶり。気持ちいい。熊谷基地は周りが工場だらけで、変な 匂いのする煙が4本もうま〜く分布していて、ちょうど熊谷基地めがけて それが降ってくる。絶対この煙は身体に悪い。普通なら公害になってもいい くらい。いつもなら、イヤでイヤで仕方ない煙だが、それすら新鮮に思えて 心地よい。ゆっく〜りジョギングってこんなに気持ちのよいことだったのかぁ とじっくり実感しながら、結局60分ジョッグした。終わってみて、また 無茶なことしてるような気がした。反省。
 今日は、こんな体調で国立競技場の練習会に参加できないのが、 とても残念だった。

■2001年2月13日(火曜日)
 朝起きたときには相変わらず頭はボーっとして、微熱があるのかなぁっと 思ったが、熱を計ってみると平熱。というわけで通常通りの業務へ(といても ただの授業だけど)。10時頃に1度授業を抜け出して医務室へ。ここで 新しい薬をもらって、授業に復帰。
 午前中はだいたい具合はいいけど、問題は午後。午後も授業があるのかぁっ と思っていたら、なんと富士通の人たちによるIT関係の講演会が4時間。 教官に寝てたほうがいいと言われ、お言葉に甘え、午後はずっと寝ていた。 起きると5時前。また相当な寝汗をかき、こんどこそヴィールスを追っ払った 手ごたえあり。熱も微妙にはあったが、ほとんど平熱。勝負あり!! やっと明日からは普通の生活に戻れそう。

■2001年2月12日(月曜日)
 朝8時半に起きて熱を計ったら37度台。やっぱり頭がボーっとしてるし 思った通りの体温だった。しかし朝食後は、少しずつ調子がよくなってきて、 昼の11時頃には平熱に戻った。昨日は昼から具合が悪くなったので、それを 警戒して、11時過ぎからまた寝た。
 起きたのは夕方6時前。起きたときにまたフラフラして、イヤな予感。 体温を測ってみると、37度台。やっぱり熱があった。結局3連休のうちに ヴィールスを退治することはできなかった。
 明日の朝起きたら、ヴィールスがいなくなってますように・・・ 

■2001年2月11日(日曜日)
 朝起きたときには、頭痛もなくなり、下痢も回復に向かっていたが、 昼前からまた頭痛が始まったので、寝た。
 3時頃に起きたときには、ひどくなっていて、頭痛も下痢も復活。微熱も ある。昼食を食べたあと、また寝た。
 次ぎに起きたときは7時。相変わらず調子悪く、下痢はひどくなった。 そのまま夕食を食べ、ゆっくりしていたら、熱は下がってきた。 このままだと明日もずっと寝てることになりそう。

■2001年2月10日(土曜日)
 昨日の時点でスキーはあきらめ、3連休は寝てることにした。起きたとき には9時半で、朝食は7時からなので、とっくに終わっていた。お腹が 空いたが、食べるものがないので、昼までがまん。熱は起きたときには 37度台。昼になって平熱に戻ったが、頭痛と下痢は相変わらず。
 食堂の食事では、脂っこいものばかりがでるため、食べられるものは 野菜と米くらいしかない。ということで昨日の昼から、お腹が空いていても 食べられる物がなく、困っていたので、行田にある友達の実家にSOS。 基地の門まで迎えに来てもらって、収容され、やっと食事にありつくことが できた。

■2001年2月9日(金曜日)
 昨日の午後から頭痛が続いていて、昨日の夜の時点で体温は37.8度。 早めに寝たが、今日は授業の試験があって、勉強していないので、朝起きて 勉強。その時の体温は38.2度。昨日よりはよくなってると思ったのに・・・
 1,2限に試験があって、20分で試験を終え、医務室が休みのため、 外の病院へ行った。診断結果は今流行の「ヴィールス性胃腸炎」。激しい 頭痛と下痢になり、吐き気を催すもの。吐き気を除けば、完全に当て はまっている。油ものと牛乳は飲むなと言われた。朝食で牛乳を飲んで しまったと言ったら、叱られた。風邪だと思って甘く見るな!!と。 ヴィールスが心臓に回ってたら、下手すると急性心不全になるぞ!!と 脅された。運動は絶対禁止だとも言われた。
 病院から帰り、授業に出たが、あまりにもきつく、途中で部屋に戻って 寝た。午後もずっと寝ていたのに、夕方体温を測ると38.5度。また 上がってしまった。明日からスキーなのに・・・ ちょっと行けなさそう。

■2001年2月8日(木曜日)
 1陸特試験当日。朝5時半に起きて、池袋まで行き、喫茶店で最後の勉強を した。その後、試験会場の中央区晴海へ向かった。なんとか、昨日のうちに 出題範囲を1回こなし、朝の勉強で2回目の見直しができた。
 9時半から試験開始で、試験時間は3時間。問題は「法規」が12問、 「無線工学」が24問。全部マークシートなので、30分ほどで、問題を 解き終えた。自分の記憶のあやしいのが2問。わからないのが2問。
 結局1時間たったところで、会場から出てきた。その後、後輩と答え合わせ。 「法規」は8問、「無線工学」は20問正解。ずっと継続して勉強していた 後輩と、3日前から大急ぎで勉強した自分が全く同じ得点で、後輩はちょっと がっかりしていた。

■2001年2月7日(水曜日)
 織田フィールドが2月と3月は改修工事のため利用できないため、2月と 3月は国立競技場で練習。1ヶ月3500円で使い放題。2ヶ月分で 7000円払った。国立競技場は、トラックはもちろん、プール、ウェイト場、 体育館、サウナなどがあって、施設は充実している。自分が練習に行くのは 毎週水曜だけだからちょっともったいないけど、熊谷から毎日通ったのでは 身体もお金ももたない。
 夕方から雪やみぞれが降って、織田フィールドでの練習だったら、 走ることはできなかったが、国立競技場では、屋根付きで1周650mの 走路があるので、予定通り練習ができた。
 明日は第一級陸上特殊無線技士の試験があって、まだ出題範囲を全て勉強 できていなかったのに練習に参加してしまった。まぁ、なんとかなるさっ。

■2001年2月6日(火曜日)
 なんとなく、ボーっと国会中継を見ていた。とにかく社民党の土井さんが しゃべりまくって、森首相は押され気味で、どこまで話せばいいのか わからないとか言いながら答弁していたのが印象的だった。やらた「国民」と いう言葉が出て来るんだけど、なんとなく言葉だけの話しで、実際の国民とは 関係ないように聞こえてしまう。国会はやっぱり庶民からは遠い存在に思える。 国の方針を決めているんだから、近いはずもないか。ひとりの人が前に出て 演説し、あとの人たちはただ聞いているだけで、退屈そうにしている。なんか 学校の授業みたい。隣の人と話している人もいれば、寝てるように見える人も いるし、よくわからないけど笑っている人もいた。国会中継ってよくやってる けど、見てる人っているのかなぁっと考えてしまう。

■2001年2月5日(月曜日)
 マラソンの有森さんや鈴木さんの所属していたリクルートランニング クラブが休部が決まった。棒高跳び世界選手権6連覇のセルゲイ・ブブカが 引退を表明した。ちょっと悲しいニュースだった。
 それとは逆に、ニューヨークで行われた室内陸上では、女子60mで 40歳のマリーン・オッティ(ジャマイカ)が優勝、男子800mでは同じく 40歳のジョニー・グレイが優勝した。ジョニー・グレイは去年の 全米選手権で引退レースをしたはずなのにまだ現役で走っていた。しかも 優勝とは、本当にすごい。本人のやり方次第では、いくらでも競技を続け られるのだと思った。しかもトップクラスで。がんばろっと。

■2001年2月4日(日曜日)

横須賀市長距離走記録会



息子!?
 横須賀市長距離走記録会に参加した。種目は5000m。防大の学生を 引っ張ってタイムを出させてくれと頼まれていたので、それを引き受けての 参加だった。最近は練習ができていなくて、試合というよりも練習の感覚で、 しっかりペースを守って走りきる予定だった。しかし2000mを過ぎた ところから、身体が動かなくなり、どんどんペースは落ちて、ゴールタイムは 15分20秒4。防大生も2000m辺りで離れてしまって、あまりいい 結果は出なかった。オープン参加で出たはずなのに、レース終了後、1位の 賞状をもらった。マラソンの通過のどの部分の5kmよりも遅いというのが なんとも悲しい。もう少し走れるようになりたい。
 その後、防大同期の友達の家へ行ってシャワーを浴び、ゆっくりさせて もらった。そこで別大毎日マラソンを見た。またすばらしいタイムが出ていた。 しかも最近は影を潜めていたヱスビー食品の選手が優勝。4位にも ヱスビー食品の選手が入っていた。久しぶりにヱスビーの活躍を見られた。 大塚製薬、岩佐くんの初マラソンに注目していたが、最後の方はちょっと 辛そうだった。男子マラソンはずいぶん低迷していたけど、富士通の藤田くん が日本記録を出したり、今回も西田くんが好記録で走って、だんだん おもしろくなってきた。次のびわこマラソンでもまた日本人が好記録で 優勝して盛り上げて欲しい。

■2001年2月3日(土曜日)
 午前中は体育学校でウェイトサーキット。午後は、来週スキー合宿が あるので、スキーウェアを人から借りるために新宿へ行った。借りたあとは、 明日記録会があるので、横須賀へ向かった。品川から三崎口行きの快速特急に 乗っていたはずなのに、気が付くと、新逗子行きの普通列車になっていた。 新逗子行きでは進む方向が全く違っていた。どこかの駅で、車両が切り離され て、自分の乗っていなかった車両はそのまま三崎口へ行ってしまったようだ。 早めに気が付いたので、終点へ行く前に乗り換えられ、無事横須賀へ着いた。

■2001年2月2日(金曜日)
 食堂で、福豆がでた。福豆を見てはじめて節分の時期が来たことがわかった。 最近は節分なんて言ったって、何もしないから、へぇ〜節分なんだぁっと 思うだけで何も感じない。いろいろな意味合いがあってできあがったイベント なのだろうに。
 最後に節分を意識したイベントがあったのは防大時代。これはかなりハード だった。鬼を決めて、豆に関するものはなんでもというくらい鬼に投げつけた。 例えば、福豆はもちろん、納豆、豆腐など・・・ 鬼はだいたいくじ引きで 決められた。寮の中でバリケードまで作って進入してくる鬼と闘った。 1年生の鬼はみんなに囲まれて徹底的に叩かれていたが、4年生の鬼はモデル ガンでや竹刀で応戦していたので、はっきり言って少数の鬼の方が強かった。 もう節分の意味合いなんて関係なし。そして、終わったあとの掃除が大変 だった。特に納豆は廊下や部屋中に1週間以上匂いが残った。懐かしい イベントを思い出す福豆であった。

■2001年2月1日(木曜日)
 髭を剃るようになって、1ヶ月。たった1ヶ月で、髭の生える速度が格段に 速くなった。髭を剃ると、新しく生えてくる部分は、先を切り取られている ので、太い切断面のまま生えてくる。だから剃るようになってから、髭が 太くて丈夫になってきた。1ヶ月前までは1月に1回ほど床屋で剃って もらうだけだったのに、最近は2,3日に1回剃らないと、目立ってしまう。 たいして時間はかからないけど、今までと比べると余分な作業が増えたような 気がしてならない。



[昔のいずみ]