最近のいずみ

Last Update:2001/3/31

パートタイムアスリートいずみ 本格始動!?


■2001年3月31日(土曜日)
 午前中は雨や雪の中、体育学校で練習。予定ではかなり質の高い練習をする 予定だったが、天気のせいでゆるめの練習に変更。物足りなかった。これで もう来週からはレースが始まる。冬場の練習もあっという間に終わって しまった。
 午後は、英語教材モニターの説明会があって川越へ行った。場所が わからなくて30分ほど遅刻した。すでに説明は始まっていた。モニターは 7人。男3人、女4人。みんな若者。とにかく送られてくるCDを聞き流す だけで、突然英語を話せるようになるらしい。なんてすばらしい教材なの!!
 説明が一通り終わると、ガーナ人を交えて自己紹介など、日本語と英語での 適当な会話。ぜんぜん盛り上がらなかった。みんな日本語ではしゃべってた けど、英語で質問をしてくれって言われて、誰も話さないので、ガーナの スポーツ事情について質問してみたら、いい質問だと言われた。何がいい質問 だったのだろう?
 最後にアンケートと、ガーナ人との1対1のレベルチェック。意外と話せて、 なんとなく成り行きで、メールのやりとりをすればもっと英語は上達するから メールをよこせと言われた。あなたは自信がなさそうだから、もっと自信を もって話しなさい、とアドバイスをもらった。メール書かなきゃいけないのぉ?
 とにかく、この英語教材を16ヶ月間タダでやらせてもらうことになった。 続くのだろうか?

■2001年3月30日(金曜日)
 1ヶ月半ぶりに英語学校へ突入。最近、学校から「どうしているんですか?」 というはがきが連続で3枚も届いて(しかも違う先生から)、そろそろ行かな ければ・・・ と思い、重い腰を上げた。
 教室へ入ると、先生が2人も来て「どうしてたの?合宿にでも行ってたの?」 と。「職場が変わって、行くのがイヤになるくらい遠いんですよ」と言い訳。 「熊谷にも学校を作ってもらわないとダメですね」と言われた。
 行かなきゃ、行かなきゃといつも思っているが、交通費も往復2000円 以上で、片道1時間半。やっぱり気が遠くなる。その割には毎週、国立 競技場へ行くのは何の苦も感じない。不思議だ。走ることに冒されて いるのは間違いない。これくらい英語にも冒されないとやらないのかも。

■2001年3月29日(木曜日)


第1作目完成!!
 最近料理を習いたくて、料理学校にでも行こうかと考えていたが、材料費+ 受講料を考えると、高くて無駄に思えるので、自分で本を買ってきて自分で やってみることにした。しかし、今住んでいるところでは使える道具が電子 レンジのみ。そこで電子レンジだけで勝負できる料理をすることにした。
 まずは甘いものが食べたかったので、お菓子作りに挑戦。今日のタイトルは 「ヨーグルト風味のチーズケーキ」。大雨の中、道具は100円ショップで、 材料はスーパーで調達してきた。
 水につけたゼラチンを電子レンジで溶かして、それに、カッテージチーズ、 ヨーグルト、砂糖を混ぜてひたすらかき混ぜ、あとは適当なカップに入れて 冷蔵庫で冷やすだけ。
 見た目は悪くなく、まず後輩に毒味をさせたが、なかなかいけると言って いた。そのあと自分も食べてみたが、味は悪くなかった。しかしカッテージ チーズの固まりがそのまま残っているので、ヨーグルトゼリーの中にチーズの 固まりが入っている感じで、チーズケーキとは呼べない代物だった。次は カッテージチーズの代わりにクリームチーズでも入れて挑戦してみようと思う。

■2001年3月28日(水曜日)


Lipton RED STRAIGHT TEA
 またまた懸賞ゲット。サントリーの新製品「Liptonレッドストレート ティー」1ケース(500ml×24本)。1年に1回のペースでペット ボトルは当たっている。けっこう大きなものが当たると必ず、こんなところで 運を使い果たしているのでは・・・ と思ってしまう。でもこれだけ毎年 当たっているのだから運も実力のうちっ!?

■2001年3月27日(火曜日)
 英語教材のモニターに当選した。全部ただで受講できるが、月1回の レポートと取材があるらしい。下手するとその内容が写真入りで広告へ 掲載されるとか。しかし「英語が話せるようになる」まで、サポート してくれるらしい。なんかすごいものを当ててしまったような気がする。 しかし期間が15ヶ月もある。こんなに続けられるのだろうか? 受講するかどうか考え中。

■2001年3月26日(月曜日)
 最近蚊ががんばっている。毎晩うるさい。しかもかなり攻撃的。そこら じゅうを刺される。朝起きてみると、シーツには血が付いていて、眠っていて 意識がないながらも蚊と戦った形跡がある。ヨタヨタしたデブった蚊が壁に とまっているのを発見。この蚊の行く末はご想像の通り。

■2001年3月25日(日曜日)
 11時くらいまで寝ていて、その後テレビをボーっと見ていたら2時。 食事をするのも忘れていた。4時半から武蔵小杉でアンビバレンスの送別会が あったので、急いでお出かけ。東武東上線、JR武蔵野線、南武線を乗り継ぎ 武蔵小杉へ行った。1時間早く着いてしまったので、駅前の店をぶらつき、 100円ショップに入って飲み物を買ったときに驚くべきことが発覚!!  あるはずのお札がない!! よく考えてみると、電車に乗る前は福沢諭吉が 2枚あったはず。そしてJRに乗るとき、諭吉さん1枚で切符を買った。 そのまま硬貨のお釣りは取った覚えはあるけど、新渡戸さんと夏目さんを もらった覚えがない。やってしもうたぁ・・・ 大学にお金を振り込んでから、 お金なくて困ってるのに・・・ この9000円は痛い・・・

■2001年3月24日(土曜日)
 六本木の平石クリニックへ行ったら、派手な格好をしたおっちゃんが あとから入ってきて、誰かと思ったら有名デザイナーYKさんだった。 いろんな生地をつぎはぎにしたようなジャケットで、内側にはしっかり本人の ブランド名入っていた。
 かなり足を引きずっていて、大変そうだった。痛風だかリュウマチだかで (はっきり覚えてない)足が腫れ上がっていた。明日はテレビの放送がある ので、歩かなければならないらしい。自分の体がこんな風になっても仕事を しなければならない有名人はつらいものだ。
 病院に行った後、スケートへ行った。たぶん3,4年ぶり。重心がうまく のらなくて、不安定でこわかった。スケートリンクは気温が暖かくなっている こともあって、溶けだしていて水浸し。もうそろそろ終わろうかなぁっと 思ったときに、見事に滑って転んだ。1月にも雪で滑って転んだけど、同じ ようにきれいに転んだ。ズボンの後ろ側は完全に水に浸かりTシャツにも けっこう浸みた。油断してるとすぐこうなる。気を付けなければ・・・

■2001年3月23日(金曜日)
 最近、いきなり花粉症に似た症状が出てきた。朝から目がかゆくて、 走っているときにはくしゃみしまくり。練習終わったあとは、ずっと鼻水が 出っぱなし。垂れてくる。鼻がつまって呼吸ができなかったり、鼻水が無限に 出てきたり・・・ どんどんティッシュがなくなってゆく。昨日の夜からは 鼻のかみすぎのせいかだんだん頭が痛くなって、頭がボーっとしてきた。 目はウルウルして喉が痛い。完全に鼻声。これは風邪?

■2001年3月22日(木曜日)
 試合の申し込みで郵便局へ行き、大学の学費を入れに銀行へ行った。 郵便局では、たった2000円を現金書留のために500円取られ、 銀行では手数料として735円取られた。銀行の手数料は振り込んだ額から したら大した金額ではないが、郵便局の方は、あまりにも高すぎる。銀行の 方も金額が大きくなくても手数料は同じはず。金貸し商売は、こういう ところからお金を巻き上げて、ずるいぞぉ!!もう利用してやらんと言いたい ところだが、そうできないところが悔しい。

■2001年3月21日(水曜日)
 今日の最高気温はなんと22度。風もなくポカポカとした4月の天気。 はっきり言って、先週末の沖縄よりいい季候。長袖の制服は暑くて、半袖で 過ごしたいくらいだった。その暑さの感覚で、Tシャツ1枚とその上にもう 1枚軽く羽織って、夜、国立競技場へ行ったのだが、考えが甘かった。夜は けっこう風も吹いて、昼とは違い寒かった。練習をすれば汗は出てくるが、 すぐに冷えて寒くなった。まだまだ3月なんだなぁと実感した。

■2001年3月20日(火曜日)


朝霞の梅
 合宿中、毎晩飲み放題・食べ放題の店に行き、朝はホテルのバイキング だったので、体重が増えているのではないかと思い、測ってみると見事に 4kgアップ。やっぱり飲み過ぎ食べ過ぎだった。こんな調子でやってたら アスリートじゃなくなる。自己管理をしっかりしようと思った。

■2001年3月19日(月曜日)
 合宿最終日。午前中はまた場所を変えてコザの競技場へ。ここには全日本女子短距離ブロックが合宿に来ていて、知り合いも少しいた。あのオリンピック 男子400mファイナリストの高野進さんもコーチで来ていた。
 飛行機の時間が迫っていて練習時間があまり取れないので、最後の練習は 全員で300m×2のみ。ほぼタイムトライアル状態。普段はジョッグが 多く、長い距離ばかり走っているので、こういうスピード練習には対応 できない。去年までだったら付いて行けたタイムなのに、先頭から1秒も 離された。この差をあと1ヶ月で埋めないと、シーズンに入ってからの レースが厳しくなりそう。
 2時に那覇を出て4時過ぎには羽田に着いた。関東も意外と暖かい。 しかも沖縄より天気がいい。ちょっと悔しかった。

■2001年3月18日(日曜日)






沖縄不二ホテル
 西崎競技場は予約があって使えないため、高速道路を使い、沖縄市の 市営競技場へ行った。事前に電話で使用の可否を聞いていて、使えることに なっていたのに、行ってみるとサッカーの試合があるので使えないと 言われた。わざわざ電話で使えることを確認して、遠くから着たというのに、 こんな風に言われ、どうしてくれるんだぁ!!っとみんな切れ気味。競技場の 人もそれに気づいたためか、別の競技場を紹介してくれた。もちろん使える かどうかも確認してくれて。
 次に向かった競技場は、同じ沖縄市の県総合運動公園の競技場。いろいろな 運動施設や公園を完備して、ジョギングするのにもいい環境。慶応大も 合宿に来ていた。
 練習は8000mビルドアップ。5000mを過ぎたあたりから撃沈。 ペースがおちて大した練習にならなかった。一人練習はやっぱり辛い ということで、短距離の80mダッシュや250m+100mなどに 後から参加した。
 午後はどこかの砂浜で練習をする予定だった。車で動き回り探してみたが、 走れそうな場所を発見できず、結局また競技場へ戻ってきた。全員疲れている 感じだったため、午後の練習は競技場でフリー。400mハードルの練習を する人がいて、1度やってみたいと考えていた競技だったので、それに 着いていって教えてもらうことにした。1番大切なのはリラックス。走って いるときですらリラックスできないのに、ハードルを越えるときにも リラックスというのは難しい。

■2001年3月17日(土曜日)


ゴーヤーチャンプル丼



西崎競技場
 アンビバレンス沖縄合宿初日。9時に羽田集合で、出発前に朝練を しようと思っていたのに、知らないうちに目覚ましを消していて、寝坊。 たまたま気がついた時間が出発する時間だった。もう少し眠っていたら、 飛行機に乗ることができなかった。
 羽田空港では、金属探知器で引っかかって2回も検査を受け直した。 金属ものはすべてあずけたはずなのに、それでも引っかかりかなり目立った。 原因はのど飴。のど飴の入っている袋に金属探知器が反応していた。
 約3時間のフライトで沖縄に到着。天気は沖縄のイメージに合わない雨。 空港で食事をして、10人乗りのレンタカーを借り、そのまま糸満市の 西崎競技場へ向かった。
 西崎競技場の使用料は市外の人は、6時までの使用が130円。安い。 22時までの使用もできてそれでも190円。国立競技場とは大違い。 全日本の跳躍ブロックが合宿に来ていていた。
 練習はみんな短距離練習だったので、一人で400m×5+1000m×7 +400m×5をやった。久しぶりに時間を気にせず、練習にだけ集中 できた。雨が降っていて、気分は良くなかったが、着ているものが全部 濡れてしまえば、どうでもよくなってくる。練習が終わると、雲がなくなり 夕日がきれいに見えた。もっと早くこうなって欲しかった。

■2001年3月16日(金曜日)


発表中
 熊谷に来た当初から出されていた課題があり、その発表があった。内容は 通信に関する英語論文を探してきて、それを翻訳し提出、その後プレゼン テーションをするというものだった。12月から出されていた課題なのに、 全く手をつけず、あわててやり始めたのが2月の下旬。選んだ論文が悪くて、 他の人の3倍くらいの長さだった。翻訳ソフトで翻訳してみても、専門用語も 多いので、全く日本語にならず、結局自力で訳すしかなかった。しかし、 自力で訳したものも、半分日本語になっていなくて、論文自体が理解 できなかった。そんな中での論文発表だった。
 自分の理解できたところだけを抽出し、パワーポイントに打ち込んだ。 それだけでもかなりの量になり、5分の発表時間だったのに7分かけて しまった。時間は守れず、言いたいことも言い切れず、大事なことだけを 抜き出すというのは難しいと感じた。

■2001年3月15日(木曜日)
 1月以来のベンチプレス。ますます上がらなくなっていた。去年は10回 上がってた重さが、今日は1回も上がらなかった。走ることじたいは去年より いいと感じていたが、ここまで上半身の筋力が落ちているとは驚きだった。 これでは走りも変わっているはず。でもそれがかえっていいのかも。

■2001年3月14日(水曜日)
 毎週水曜日はクラブチームの練習会。これに参加しないと、1週間が異様に 長く感じられる。今日は基地で飲み会。明日卒業する人の謝恩会なのだが、 なぜがその謝恩会の企画は自分たちがやっている。まぁ、半分仕事。散々 食べて、飲んで、もとは取った。会は自分が見た感じでは盛り上がっていた ので成功だったと思う。いろいろな人と知り合えたし、これはこれでよかった。

■2001年3月13日(火曜日)
 練習場所、探しの続き。熊谷近辺にはまともに使える競技場がないという 情報を友達からもらったため、もう少し範囲を広げ、次にねらったのが 鴻巣陸上競技場。ここは噂によるとナイター開放もしているらしい。 インターネットで検索して電話番号を調べ、早速電話した。
 電話はすぐにつながり、競技場の個人使用についてたずねると、3月までは 午後5時で終了。4月からは午後6時まで。結局熊谷の競技場といっしょ。 5時に基地を出て、鴻巣駅についた頃にはもう競技場は閉まっている。ただし、 毎年7月くらいから金、土にナイター開放をしているが、今年は今のところ 不明。金、土なら体育学校へ行けばいい。結局ここも自分にとっては使えない 競技場だった。頼りになるのは、やっぱり国立競技場だけか。遠い・・・

■2001年3月12日(月曜日)

コード切断後

修理中

直ったアダプター
 ここ3ヶ月くらい、パソコンのアダプターの調子が悪く、接続しても 電源につながったり、つながらなかったりしていた。最近は特につながらない ことが多く、パソコンの詳しい同期の人に原因を探ってもらった。
 原因は、パソコンとの接続口付近のコードが切れそうになっていること だった。使えなくなるのは時間の問題。早く新しいアダプターを買った方が いいが、そうすると高くつくので、自前で直してしまおうという話になった。
 決心してすぐに道具をそろえ、コードをニッパーで切ってしまった。 これでもう後には戻れなくなった。コードは同軸ケーブル状で、中心に プラスの導線があり、その周りを絶縁体が囲んで、絶縁体の周りをマイナスの 導線が囲んで、最後に外側に出ている部分が囲んでいる。これを切って、 またくっつけるというのは、結構大変な作業。まるで神経と神経を結びつける 手術みたい。コードを切った位置がパソコンとの接続口に近いところで、 何度も接続に失敗し、コードがどんどん短くなっていった。3回失敗して もうこれ以上コードはないというところまで来たが、なんとか接続でき、 無事に電気が通るようになった。しかし、完全に直ったというわけでもなく、 もしアダプターが熱を持つようだったら危険。これは応急処置のようなもの。 できるだけ早く新しいアダプターを買った方がいいようだ。

■2001年3月11日(日曜日)
 午後から名古屋の栄に出た。栄クリニックという病院。専門は美容外科、 形成外科など。ここの院長、末武先生には、誰かに会うと必ずその人固有の 色が見えてくるという不思議な能力があり、それを使ってスポーツ選手を 中心にカラーセラピーを行っている。また手をかざすだけで、痛みのあった 場所の痛みがなくなってしまうという信じられないようなことも行っている。
 先生に会ってすぐに自分の色は青で、いつも青を身につけるとよく、黄色は 一番身につけてはいけないと言われた。そのとき着ていたものは真っ黄色の セーター。一番身につけては行けないものを身につけていた。ちなみに走る のに使っているスパイクも黄色。だからこの前千葉クロカンの時転んだのか?
 自分の色を見てもらった後は、調子の悪いところに手をかざしてもらった。 調子の悪いところというのは、去年8月に捻挫した左足首と、一昨年痛めた腰。 腰は昨日のトレーニングで筋肉痛になっているので、変化を感じることは できなかったが、左足首には効果が出た。違和感のあったところは何も感じ なくなり、スムーズに動かせるようになった。驚き。こうやって先生は、長年 専門医に通って治療を受けても改善しないような患者を、本業とは別に ボランティアで助けているらしい。すばらしい。
 最後にスポーツ選手にはいつもサインを書いてもらっているからと言われ、 色紙を渡された。色紙にサインをするなんて今までしたことないし、なんか 有名人みた〜い、なんて勝手に思った。先生の部屋に通されて、そこで サインをした。ただ普通に名前を書いただけだけど・・・ 自分も偉くなった なぁ〜、なんてまたまた思い上がり。先生の部屋にはいろんなスポーツ選手の サインが置いてあって、そこにはその人のカラーのシールが貼ってあった。 自分の色紙にはもちろん青のシールが張られた。

■2001年3月10日(土曜日)
 朝8時半には家を出て、小牧にあるトレーニングジム「ゴールドフレックス」 へ向かった。だいたい10時から先生に見てもらうことになっていたが、 ジムへ着いてから1時間くらい話していたので、トレーニングが始まったのは 11時くらい。
 午前中は基本のスクワットのみ。ひたすらそれだけ。昨年と比べるといい 形になってきたと言われ、喜んだ。
 午後は理想の走り方というものをを教えてもらった。言葉では理解できても 実践はできない。いつか理想の走りになると信じて常に意識して走るしかない。 その後はまたずっとスクワット。どういうわけか、左のハムストリングス (もも裏)に負荷がかかっているように感じない。そこでいろいろと原因を 探ることになって、体をいろいろいじってもらいながら、何度もスクワットを した。結局原因はわかからず、完全に負荷を感じるようにならないまま、 夜8時をまわってしまった。帰るときには体の背面はパンパンになっていた。
 スクワットに始まりスクワットに終わった1日だった。

■2001年3月9日(金曜日)
 夕方5時に仕事が終わり、すぐに外出。目的地は実家。いつも新幹線は 各駅の「こだま」に乗り、豊橋で降りて岡崎まで行くのだが、今回は、 間違って金券ショップで名古屋行きを買ってしまったので、「ひかり」で 帰ることになった。「ひかり」は東京を出たら次の停車駅が名古屋。東京で 座れなかったら最後。2時間立って乗るしかない。この席取りは、かなりの 戦い。何人かでまとまって乗ろうとしている人たちは、丸ごと席を取ろうと しているので、なかなか全部確保することはできない。自分のようなひとりで 乗る人間は遅れて入ってもどこかに空きがある。それでなんとか座れ、 2時間爆睡できた。そして名古屋で東海道線に乗り換え、岡崎へ。熊谷基地を 出て約5時間の旅だった。

■2001年3月8日(木曜日)
 日比谷線の脱線事故から1年が経ったという記事を見た。いろいろな細かい 要因がたまたま重なって起こってしまった事故で、亡くなった人もたくさん いた。営団地下鉄の陸上部はこれが元で消滅した。自分にとっては、これが 一番大きなショックだった。それでもみんながんばって陸上を続けているの たけど、いまだに移籍先がないということを聞いた。日本では企業なしには スポーツはできないのだなぁと思う。早く外国並のクラブチームが できないかなぁっと思う。まずはアンビバレンスをそういうチームにしたい。

■2001年3月7日(水曜日)
 大学から来年度の履修登録関係の書類が届いた。今年からは履修届が インターネット上でできたり、CD−ROMでの授業振り替えもできるように なったり、少しずつ、うたい文句になっているマルチメディアな大学に 変わってきているなぁと思った。
 12年度取得できた単位は3科目6単位。1年間で最大38単位取れる んだから、この取得単位数は相当少ない。しかし休みが取れないために スクーリングには参加できないし、大学の勉強以外にやることが多く、 これだけ取るのもけっこう辛かった。1年目は開講している科目も少なく、 ほとんど履修の自由がなかったが、2年目からは急に選択肢が増え、 勉強してみたい科目が多すぎる。自分の生活環境から考えて履修可能なのは、 最大4科目。たったこれだけのために高い学費を払うのは、ちょっと もったいない気がした。

■2001年3月6日(火曜日)
 そろそろトラックシーズンに入るので、練習場所を探しに行った。地図を 見て、基地から自転車で行けそうな距離に熊谷運動公園というの発見。 とにかくそこへ行ってみた。だいたい自転車で20分。
 行った時刻が8時頃で日が暮れていたため、営業はしていないだろうと 思っていたが、プールは8時30分まで営業していた。そのほかに 陸上競技場、野球場、テニスコート、相撲場などがあった。しかしプールを 除いて全く営業してなかった。冬場は5時までの営業らしい。ということは 外出できる時間にはもう営業していない。シーズンが始まったら、もっと 遠くまで行かないといけなくなる。熊谷近辺だとどこに競技場がある のだろう?

■2001年3月5日(月曜日)
 早朝の空は穏やかで晴れ渡り、とても気分が良く、気持ちよく走れたが、 昼頃からは強風で歩いていてもなかなか前に進まない。最近、熊谷の午後は いつもこんな感じ。こんなに風が吹いていると、走るのもイヤになってくる。 一緒に走る人がいれば、やる気がわいてくるが、ひとりではなかなか テンションが上がってこない。と言いつつも、ひとりで400mちょっとある 芝生のコースを作り25本のインターバルをした。つらい。
 花粉症の人は花粉が飛んできてつらいと言うだろうが、ここでは、 砂が飛んでくるのでもっとつらい。サングラスでもしてないと目なんか 開けてられない。

■2001年3月4日(日曜日)


五島プラネタリウム観望会
 レースのない日曜日で久しぶりの休みなのに雨。何となく憂鬱になる。
 懸賞で当たった「平山郁夫展」を見に行った。これなら屋内なので雨は 関係ない。平山郁夫さんは防大の卒業式にも来賓で来ていたりするので、 名前は知っていたが、絵を見たのは初めてだった。立体感があって、とても 優しい絵を描くという印象を持った。
 夜は渋谷の駅前にある五島プラネタリウムへ行った。ここは44年も営業 している伝統のあるプラネタリウムなのに、なぜか3月11日で閉めてしまう らしい。プラネタリウムを見に行こうと思っていたが、行ってみると整理券は なくなって「本日は終了」となっていた。しかし外は雨がやんで観望会が あるというので、屋上に上がって、星を見ることにした。渋谷にしては 意外と静かで、周りが明るかった割にはよく星は見えた。係りの人が5台の 望遠鏡を用意し、お客に見せ、お客はそれに群がった。望遠鏡で覗いた のは、月、木星、金星、土星、スバル。月はクレーターが、木星は縞と4つの 衛星までしっかり見えた。金星は月のように欠けていて、土星はなんとか輪が 見えた。スバルは羽子板のような感じで星が並んで集まっていた。熊谷で 見ればもっとたくさんの星が見られるだろうと思ったが、解説してくれる人が いないと、見てもよくわからない。

■2001年3月3日(土曜日)


いずみに群がる後輩たち
 午前中は体育学校で練習。60分ビルドアップ走。4分/Kmペースから はじめて最後は3分/Kmまで上げた。ずっとジョギングのような感じで、 まずまずだった。実業団合宿に行って来た後輩とそれほど違いがなかった ことで、まだまだ今年もできると実感した。
 夜は横須賀で、防大陸上部納会があった。OBの参加は数えるほどの人数で、 寂しい感じもしたが、かなり上の先輩と話すこともでき、行った甲斐はあった。

■2001年3月2日(金曜日)
 朝起きたら外は一面銀世界。5時の時点ではかなり湿っぽい雪が降って いて、道路はみぞれ状態。氷水の中に50分間足をつっこんでいるよう だった。かなり冷たかった。帽子をかぶって雪が目に入らないように走って いたら、木の枝に気がつかず、顔面に突然当たり、顔が雪だらけ。 走り終わったら、雪がやんだ。なんか納得行かない。

■2001年3月1日(木曜日)
 また授業の試験。記述問題ばかりで、試験直前、頭の中にインプットした ものを忘れないうちにひたすらアウトプットするだけ。最近テストを受ける 度に思うのは、字が汚いということ。字が上手い下手よりもとにかく、覚えて いるうちに書こうとするから仕方ないのかもしれないが、もうちょっと きれいに書けないものかなぁと思う。自分の書き方次第だんだけど。



[昔のいずみ]